映画 めぐりあう時間たち(2002米) [日記(2009)]
これはまた難解な映画です。
3つの時代の3人の女性の時間が交差してひとつの物語を作り出しています。ひとりは1923年のヴァージニア・ウルフ(ニコール・キッドマン)、もうひとりは1951年のローラ・ブラウン(ジュリアン・ムーア)、最後が2001年のクラリッサ・ヴォーン(メリル・ストリープ)。時空を超えた3人の女性のそれぞれの1日の出来事を重ね合わせ、疎外と愛と人生を描いています。監督は『愛を読むひと』で話題のスティーブン・ダルドリー。ヴァージニア・ウルフは実在のイギリスの作家です。
ヴァージニア・ウルフの小説『ダロウェイ夫人』が映画の下敷きとなっています。ヴァージニアはこの小説を執筆中であり、ローラはこの小説を読書中、クラリッサのあだ名は『ダロウェイ夫人』。
●1923年のリッチモンドでヴァージニアが『ミセス・ダロウェイは言った「花は買ってくるわ、私が」』と書くと、
●1951年のロサンゼルスでローラはベットの上で『花は私が買ってくるは』と声を上げて読み、
●2001年のNYでクラリッサは『花は私が買ってくるは』と家族に言います。
3人の女性が時代を超えて共に生きていることを鮮やかに描いています。
3人のストーリーを読み解きながら、この映画の意味を考えてみます。以下ネタバレとなれますのでご注意。
最初に断っておきますが、小説『ダロウェイ夫人』は読んでいません。
主な登場人物です。(クリックで拡大します)
【ヴァージニア・ウルフ】1923年イギリス・リッチモンド
冒頭で、ヴァージニアの入水自殺明らかにされますが、精神病とリッチモンドの生活に耐えられなかったことが原因です。もともとロンドンに住んでいましたが、2度の自殺未遂のため郊外のリッチモンドに引っ越したことが後に明らかにされます。ロンドンに戻りたいと家を抜け出したヴァージニアと夫レナードの駅のホームでの会話です。ここでヴァージニアは、
田舎に隔離されるの耐えられない、囚われの身となって自分の人生は奪われた、リッチモンドの生活より死を選ぶ
この静かな生活が幸せだと思えればどんなによかったか。平和で息が詰まりそうな田舎の生活より都会の暴力的な刺激を選ぶ
とまで言います。病気のために田舎の生活を選択したレナードの判断と、真っ向から対立します。レナードは彼女の為にロンドンでの仕事も捨てて、リッチモンドに来たようです。
ロンドンに帰ることを同意した後、レナードの落ち込みは目を覆うばかりです。ロンドン行き列車の発車アナウンスの流れるホームで、ヴァージニアは呟きます。
人生から逃げては心の平安は無い
結局ヴァージニアは自殺します。私たちほど幸せなふたりはいなかったと遺書を残して。
【ローラ・ブラウン】1951年ロサンゼルス
ロサンゼルス近郊の建て売り住宅?で、夫と子供と暮らす専業主婦です。絵に描いたようなアメリカの中流家庭の幸せが描かれます。彼女自身、戦争で苦労した夫のためによい家庭を築きたいと友人に語っています。にもかかわらず『ダロウェイ夫人』を読みながら、ホテルで睡眠薬自殺を図ろうとします。夫の誕生日に、しかもローラは妊ってさえいるのです。自殺の動機は一切明らかにされていません。
ローラは自殺を思い留まります。理由は、ヴァージニアが『ダロウェイ夫人』を執筆する中で、登場人物の誰か(たぶんダロウェイ夫人)を死なせることをやめたからです。まるで『ダロウェイ夫人』は悪魔の書か何かのようですが、これは『時間たちがめぐり合う』象徴と理解する他ありません。
自らの誕生パーティーで、夫のダンは息子のリッチーにローラについてこう語ります。これがローラについての唯一の手がかりかもしれません。
戦争に行ってふと気がつくとある娘のことを考えていた。繊細で不思議な今にも壊れそうなローラのことを考えていた。大抵ひとりでいた座っているタイプだった。戦場でいつもローラのことを考えていた。いつか彼女を家に連れてきて、今のように幸せにしてやりたいと。その思いで戦争を生き抜いた。それが幸せの理想だった。
レナードもダンもそれぞれヴァージニアとローラに深い愛情と慈しみを持っています。にもかかわらず、ヴァージニアは自殺しローラは夫と子供を捨てて家出をしてしまうのです。後に、ローラは平安な暮らしに耐えきれず死を選ぼうとしたと語っています。夫と子供との平凡な生活が牢獄だったのです。
【クラリッサ・ヴォーン】2001年ニューヨーク
クラリッサは現代のアメリカを象徴する存在として生み出されたキャラクターでしょう。彼女は雑誌の編集者をしながら同性の友人とベットを共にし、人工授精で生まれた一人娘を持つ40代?の女性という設定です。一方で、クラリッサには古くからの恋人リチャード(エド・ハリス)がいます。作家で詩人、同性愛者でエイズ患者、時折り幻視幻聴が訪れ、時間感覚が無くなるほど病状が進行しています。
クラリッサの物語は、リチャードの文学賞受賞の祝賀パーティーを開く相談から始まります。リチャードはパーティーは偽善であるといって参加を渋ります。
ローラと友人の会話で『ダロウェイ夫人』のパーティーの話が出てきます。映画では描かれていませんが、ヴァージニアも姉家族とパーティーを、ローラは夫ダンの誕生パーティーを催しています(ケーキも作ります)が、パーティーは重要な暗喩となっています。
リチャードクラリッサを『ダロウェイ夫人』とあだ名で呼び、そして言います、
静寂を隠すためにいつもパーティーを開く
パーティーには行けそうもない
僕たちほど幸せな二人はなかった
と言って窓から身を投げます。ヴァージニアとローラの物語では、ふたりはそれぞれ夫に守られる立場でしたが、クラリッサの物語では、クラリッサがエイズ患者の恋人リチャードを守る関係となり、自殺するのはリチャードです。
ヴァージニアは田舎の暮らしから、ローラは平安な家庭暮らしから、チャールズはクラリッサに護られた日常から、脱出を図るのです。
後にヴァージニアは、小説の中で(たぶんダロウェイ夫人の代わりに)誰かを死なせると語り、生と死のコントラストを描くために作中人物の誰かが死ぬのだと語っています。このリチャードの自殺もヴァージニアの創作通りに進んだのです。レナードの質問に答えてヴァージニアは言います。
命の価値を際だたせるために誰かが死ぬ、詩人が死ぬ。
ストーリは決まったがひとつ決まらなことがある、ダロウェイ夫人をどうしたらいいのか?
チャードが死にクラリッサは生き残ります。
【ローラとクラリッサ】
リチャードの死後、彼の母がクラリッサを訪ねてきます。リチャードが自殺の直前にローラの写真を見つめていましたから種明かしは済んでいますが、リチャードの母こそローラであり、リチャードがクラリッサを『ダロウェイ夫人』と呼ぶ真意もここにあったわけです。ローラはクラリッサに夫とリチャードを捨てて家出したわけを語っています、
自分の居場所が見つからず死のうとしたことがあった
あの暮らしは死だった
私は死ぬより生きることを選んだ
ヴァージニアは小説『ダロウェイ夫人』を書き、ローラはこれを読み、クラリッサはリチャードから『ダロウェイ夫人』と呼ばれています。これは何を意味するのでしょうか。1923年にヴァージニアが作り上げた『ダロウェイ夫人』という女性像は、普遍性をもって1951年のローラ、2001年のクラリッサの中にも存在するということでしょう。
妊娠・不妊、人工授精、フェミニズム、同性愛、人生、いろんなテーマを孕んでいます。ストーリーは地味ですが、大変良くできた映画です。しかし、これは女性の映画でしょうね。
テーマ曲は、クラシックの作曲家でもあるフィリップ・グラス。静謐な旋律のリフレインは素晴らしいです。
監督:スティーブン・ダルドリー
出演:
ニコール・キッドマン
ジュリアン・ムーア
メリル・ストリープ
エド・ハリス
ヴァージニア・ウルフ ニコール・キッドマン
何が幸せなのか?人によって様々である。
生きやすく生きることは出来る。
けれどそれが、辛い場合がある。
自分に素直である時、誰かを傷つけてしまう場合がある。
自分を傷つけた時、誰かをも傷つけてしまう場合がある。
時間が巡り巡って誰かが誰かと繋がっている。
by Betty (2009-12-21 16:25)
男性にはちょっと理解し難い映画ですね。
by べっちゃん (2009-12-23 09:13)