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読書 角田房子 わが祖国―禹博士の運命の種 [日記(2010)]

わが祖国―禹博士の運命の種わが祖国―禹博士の運命の種
  • 作者: 角田 房子
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1990/12
  • メディア: 単行本
 角田房子は『閔妃暗殺』『甘粕大尉』を読みましたが、いずれも確かな調査と堅牢な構成、説得力を持ったノンフィクションです。『甘粕大尉』は『死因鑑定書』が発見される3年も前に、大逆事件の全貌を明らかにするというミステリーそこのけのノンフィクションです。

 本書を読むまで、韓国農業の父と呼ばれる禹長春について全く知りませんでした。韓国では教科書によって小学生でも知っている偉人だそうです。

 禹長春は、閔妃暗殺事件の韓国側当事者を父に、日本人の母として1898年(明治31年)に生まれています。早くに父を亡くし(暗殺)母親の手で育てられた禹長春は、大正時代に多感な青春を過ごし、長じては日韓併合と父の国の独立、母の国の敗戦という怒濤の時代を生き、請われて単身韓国に渡り、かの国の農業近代化に尽くして果てます。

 禹長春が何故教科書にまで載る偉人かと云うと、キムチです。太平洋戦争と朝鮮戦争で韓国の農業は荒れ果て、キムチの材料である白菜や大根の収穫は危機的状況にあったようです。日韓の国交が回復するまで、種子は日本からの密輸入に頼っていた有様。白菜と大根の自給自足のため白羽の矢が立ったのが育種学者・禹長春というわけです。この時禹は53歳、6人の子供と妻を残し、国交も無い韓国に単身で渡ります。

 この二つの祖国を持つ韓国の偉人を差別⇒渡韓⇒成功の図式で捉え、立志伝の神話が生まれます。

一般に歴史上の人物の伝説は、長い時の流れの中で、大衆や社会の願望、意識、嗜好、夢などが生み育てた”虚像”であろう。(本書P.75)

 伝えられる禹長春像は実像であったのか?著者の追跡が始まります。それは虚像を剥ぐというのではなく、筆者は丹念に事実を掘り起こし、虚像が生まれた背景から虚像以上の実像を浮かび上がらせます。

 例えば、(当時の概念)朝鮮人⇒差別⇒渡韓の図式ですが、加害者の日本側も被害者の韓国側も非常に分かりよい図式です。さもありなん、だから渡韓して故国の再建に尽くした。差別が無かった筈はないのですが、異例とも思われる廻りの厚遇に支えられ、日本人の養子にさえなっています。禹は日本への感謝の言葉は漏らしていますが、恨みは一言も漏らしていません。しかし、禹は養家の姓を名乗らず、一生禹長春を名乗っています(家族は養家の姓を名乗った)。また、父の故国の要請を受けて、53歳にして家族を日本に残し、研究を捨てて一農業指導員に転身したことことも、伝説が簡単には成り立たないこと、伝説に隠れた実像を垣間見るようです。

 もうひとつ『種なし西瓜』の伝説です。韓国では『種なし西瓜』の発明者は禹博士であるとして長い間韓国の教科書にも載っていたそうです(種なし西瓜は日本人の発明)。禹が育種学の重要性を訴えるために紹介した『種なし西瓜』が、いつか禹の発明となって伝説が流布します。これは、戦後の復興期である昭和24年に全米水上選手権大会で優勝した古橋広之進が日本国民に希望を灯した様に、朝鮮動乱で国土の大半が焼きはらわれた惨禍の中で生まれた伝説だと想像します。

 伝説が検証され、禹長春の実像が明らかになるのですが、何故53歳になって韓国に渡ったのか、という疑問が著者を捉えて離しません。妻と6人の子供を残し単身の渡韓です(一番下の子供は8歳にもなっていません)。父の故国から請われたとはいえ、安定した生活を捨て、何故単身渡韓したのか。閔妃暗殺に荷担した父の償い、疲弊した韓国農業を再建しようという愛国心、日本での朝鮮人差別、と様々に想像されるのですが禹の本心は謎です。取材も終盤にさしかかった頃、禹の従兄弟が登場します。この従兄弟の登場によって、記録や家族関係者の証言に現れてこなかったもうひとりの禹が立ち現れます。日本で生まれ一生ハングルが話せず日本食を愛した禹は、紛れも無い儒教の国、「韓国人の一面を持っていたのです。家族に養家の日本姓を名乗らせても、自らは一生『禹』姓にこだわり続けたように、彼は韓国人だったようです。
 この辺りは、ミステリーを読むような面白さです。

禹長春.jpg
禹長春一家(1950年)
禹長春記念館(釜山)lifeinkorea



タグ:朝鮮・韓国
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cocoa051

角田さんはとても惜しい方でした。
2010年に訃報に接しましたが、心よりご冥福をお祈りします。
by cocoa051 (2013-10-16 07:01) 

べっちゃん

他に『悲しみの島 サハリン』『甘粕大尉』を読みましたが、いずれも力作です。本棚には、他に『いっさい夢にござ候』『『一死、大罪を謝す』があります。
甘粕シロ説を裏付ける資料発見の前に、事件の真相を解いた『甘粕大尉』は圧巻でした。
by べっちゃん (2013-10-16 10:24) 

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