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映画 美しき運命の傷痕(2005仏伊ベルギー日) [日記(2012)]

美しき運命の傷痕 [DVD]
 原題は“L'Enfer(地獄)”。トリコロール・シリーズクシシュトフ・キェシロフスキの原案を死後に映画化したものです。Wikipediaによると

 ダンテの『神曲』をモチーフにした『天国編』『地獄編』『煉獄編』三部作の脚本に取り掛かっていた最中、心臓発作にて死去。三部作の脚本の完成部分『天国編』がトム・ティクヴァ監督により『ヘヴン』として映画化された。2005年、『地獄編』がダニス・タノヴィッチによって『美しき運命の傷痕』として映画化された。

とあります。「地獄」が「美しき運命の傷痕」に変ってます。作中フレデリックが大学で講義する「偶然と運命」から採ったのでしょう。「偶然から文学は生まれない」と言ってまから、この映画もなにがしかの「運命」を描いたものには間違いありません。すたしかに、「地獄」というタイトルでは売れませんよね。

 ソフィ、セーヌ、アンヌ三姉妹の物語です。長女ソフィは夫の浮気に悩み、次女セリーヌはどうも男性恐怖症で独身、三女の大学生アンヌは父子程も歳の離れた教授と不倫。三人のこの粘着質の日々が平行して進み、最後は彼女等の母親に収斂するという、ミステリアスな「これぞフランス映画!」です。
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長女ソフィ                      次女セリーヌ
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三女アンヌ                      母親 
 
長女ソフィ(エマニュエル・ベアール):幼い娘と息子の母親。夫ピエール(ジャック・ガンブラン)はカメラマン。夫の浮気で孤閨に耐えられず、浮気相手にストーカーまがいの行動をとったり、精神的に不安定な状態にある。
 
次女セリーヌ(カリン・ヴィアール):三十路を越えていると思われるが独身。セリーヌに言い寄る謎の男性が登場するも、関係を結ぶことを過度に恐れている。
老人ホームに入っている母親を慰問する事を勤めと考え、毎週通っている。母親にギネスブックを読み聞かせ、ふたりは筆談を交わしている。
 
三女アンヌ(マリー・ジラン):ギリシャ神話?専攻の女子大生。同じ大学の教授フレデリック(ジャック・ペラン)と不倫関係にある。家庭を選択したフレデリックから関係の清算を通告されるが、子どもを妊っていることが判明。

母親(キャロル・ブーケ):失語症。話すことは出来ないが、読み書き聴覚は正常で、セリーヌとは筆談で意思の疎通を図っている。失語症は過去の出来事が原因と想像される。

 クシシュトフ・キェシロフスキは「トリコロール」三部作で、

青の愛:女性を主人公とした、失われた愛の再構築
白の愛:男性を主人公とした、壊れた愛の再構築
赤の愛:両性を主人公とした、愛の輪廻または輪廻する愛

を描きました。この「神曲」三部作「地獄編」では、三姉妹の愛の三態が描かれます。(最後まで見ないと分かりませんが)この愛の三態には父親の不在が色濃く反映していると考えられます。ソフィの異常な嫉妬は父親を奪ったものに対する嫉妬であり、セリーヌの臆病は、再び父親を失うことを恐れる(失うくらいなら初めから所有しないという)予防線、アンヌの不倫は父親への愛の代償行為。
 この愛の三態を「地獄」と呼ぶにはいささか抵抗がありますが、愛が成就しない苦悩=地獄だと言えばいえます。父親の不在が三姉妹に「地獄」をもたらしたとすれば、ソフィは離婚しますから父親のいないソフィのふたりの子どもはどうなのか。アンヌの不倫相手は事故で死にますから、その娘はどうなのか。父親がいない子供というのは、それこそゴマンといるわけで、いちいち地獄を見ていてもキリがありませんが、「因果」というものは想像することができます。

托卵
 冒頭で繰り返し描かれたのは、カッコウの「托卵」でした。カッコウは他の鳥の巣卵を産み付け巣の持ち主に自分のヒナを育てさせる習性があります。冒頭の映像は、卵からかえったカッコウの雛が巣の持ち主の卵を外に蹴り出す映像が描かれます。ドジなことに、この雛は卵の最後の1個を蹴り出すことに失敗して、自分が巣から落ちてしまいます。そして、刑務所から出所した男(三姉妹の父親)が、巣から落ちた雛を巣に戻してやるんですが、これは何を象徴するんでしょう。「好事魔多し」「人を呪わば穴ふたつ」「捨てる神あれば拾う神あり」、そんなわけ無いです。

王女メディア
 もうひとつが、大学生アンヌが口頭試問で論じる「王女メディア」です。夫に棄てられたメディアは、復讐のために夫の相手を殺し、夫が愛するふたりの息子まで(自分の息子でもあります)殺してしまうという「ギリシャ悲劇」です。アンヌの口頭試問の語りをバックに、長女ソフィとふたりの子どもが遊ぶシーンがあります。ソフィは子どもを殺しませんが、このシーンもけっこう象徴的です。雨が降ってきて教会に雨宿りをしようとしますが、扉は固く閉ざされています。
 三姉妹が揃って老人ホームの母親を訪ねるシーンで、アンヌは「無駄に子どもを殺したメディアの顔を見たくて」母親に会いに行くのだと言ってます。父親がカッコーの雛で母親が王女メディア?。
 この母親は三姉妹の父親(夫)をホモセクシュアルと未成年に対する淫行で刑務所に送り込み、出所した父親は自殺するという過去をかかえています。この事件そのものが、実は母親の誤解に基づいていることが明らかになりますが、それを聞いた母親の返答がふるっています「それでも私は何も後悔しない」。運命はすべからく受容する、というスタンスでしょうか。

次女セリーヌ
 この映画の狂言回しとも言うべき存在です。男性に臆病で色恋沙汰もなく、父親自殺の経緯を知り、一旦はバラバラになった家族を再び結びつけます。父親の事件の真相を伝えようとセリーヌに近づいた青年(実は父親の淫行の相手)を、言い寄られたと誤解し裸になるという失態を演じます。

青年 → 裸になって父親を誘う =父親にその気は無かった
セリーヌ → 裸になって青年を誘う = 青年にその気は無かった

という構図になっています。
 セリーヌは列車で定期的に母親のもとを訪れています。この列車の車掌が、どうやらセリーヌに思いを寄せているようで、列車の中が一番安眠できる場所だという彼女に、列車の音を録音したテープをプレゼントしようとします。セリーヌに新しい運命が開けようとしています。
 
偶然から文学は生まれない 
 こうして見てくると、美しいかどうかは別にして「運命の傷痕」という邦題はなかなか含蓄のあるタイトルです。なんでもかんでも「運命」と言ってしまっても仕方がないですが、「偶然から文学は生まれない」わけで、偶然を「運命」と言い換えるところに文学(ドラマ)が生まれ、我々はそのドラマの主人公として生きることができるわけです。「私は後悔しない」と言った母親の真意もここにあると思われます。ドラマツルギーです。
 この映画の主題は冒頭で、フレデリック教授によって明らかにされていたわけです。

 4人の女優はよく知らなかったのですが、男優はすぐに分かりました。ソフィの夫は「クリクリのいた夏」のジャック・ガンブラン、アンヌの不倫相手の大学教授は「ニュー・シネマ・パラダイス」のジャック・ペラン、セリーヌをつけ回す男は、「ザ・ビーチ」のギヨーム・カネです。老人ホームで万華鏡に興じる老人は「髪結いの亭主」のジャン・ロシュフォール。監督は「ノーマンズ・ランド」の ダニス・タノヴィッチです。

監督:ダニス・タノヴィッチ
出演:エマニュエル・ベアール マリー・ジラン カリン・ヴィアール キャロル・ブーケ ミキ・マノイロヴィッチ ジャック・ペラン ジャック・ガンブラン ジャン・ロシュフォール ギヨーム・カネ

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