米原万里 オリガ・モリソヴナの反語法 [日記(2014)]
『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』の続編です。と言っても『アーニャ』はノンフィクションで、こちらは小説。『アーニャ』では、1960年代の在プラハ・ソビエト学校(ソヴィエト大使館付属8年制普通学校)で過ごした同級生の昔と今が語られましたが、本書ではソビエト学校のダンス教師オリガ・モリソヴナの謎を描くミステリです。1992年のモスクワの視点で、1960年代のプラハ、1930年代のソ連が描かれることになります。
日本人の著者が何故この学校に在籍することになったかは、『アーニャ』をご参照。
ロシア語翻訳家の志摩は、社会主義体制崩壊後のモスクワに在プラハ・ソヴィエト学校の同級生カーチャを訪ねます。目的は、ソヴィエト学校で圧倒的な存在感を示し、志摩に影響を及ぼしたダンス教師オリガ・モリソヴナにまつわる謎を解くためです。
謎1:ソ連派遣の当たり障りの無い教師の中で、1920年代のド派手なファッションに身を包み、罵詈雑言と皮肉(反語法)で生徒を翻弄するオリガとは何者なのか?謎2:あらゆる国の舞踊音楽とダンスに通じ、学校行事の主役を務めるオリガはどんな過去を秘めているのか?謎3:自称50歳、どうみても70歳を超えているオリガは一体何歳なのか?謎4:オリガと仲の良いフランス語教師エレオノーラ・ミハイロヴナは、志摩を見掛けると何故「お嬢さんは中国の方?」と問うのか?謎5:転校生ジーナは、祖母とも思えるオリガとエレオノーラを何故ママと呼ぶのか?謎6:オリガとエレオノーラは、「アルジェリア」という言葉に何故過剰な反応を示したのか?謎7:大使館付武官ミハイロフスキー大佐は、オリガと会って転倒し、3ヶ月後に亡くなった、ふたりの関係は?
などなど。社会主義体制下のソヴィエト学校ではあり得ない存在である、オリガ・モリソヴナという教師は何者なのか。この謎を解くことが、ダンサーを目指して挫折した、バツイチで子持ちのロシア語翻訳者・志摩にとっては、プラハでの少女時代を総括することになるわけです。
さて、オリガ・モリソヴナが駆使した「反語法」です。反語法とは、
1.断定を強調するために、言いたいことと反対の内容を疑問の形で述べる表現。
2.表面では褒め、または誹(そし)って、裏にその反対の意味を含ませる言い方。多くは皮肉な言い方となる。
皮肉、褒め殺しのことです。本書でのオリガの「用例」を書き抜くと、
・そこの麗しき堕天使、まだ地球の重力にお慣れでないね!
これは上品な皮肉で、こういうのも連発されるようです、
・去勢豚は、雌豚の上に跨ってから考える・他人の掌中にあるチ○ポコは太く見える・自分のチ○ポコより高くは跳べない
「ロシア語は世界に類を見ない罵り言葉の宝庫」とかマヤコフスキイかゴリキイが言っているそうです。
『アーニャ』の同工異曲かと思って読み進めると、さにあらず、スターリン体制下のラーゲリの惨状が語られ、大粛清の悪魔ベリアまで登場します。1992年の現在と1960年代のプラハ、そして1930年代ソ連と次々にタイムトラベルを繰り返し、その三重構造のなかでオリガ・モリソヴナの過去が次第に明らかになります。
この小説は、主人公・志摩が旅行者としてモスクワを訪れオリガ・モリソヴナの謎を解明する話です。旅行者ですから時間の制約があり、わずか1周間程の間に、次々と人物が登場し目まぐるしく話が展開し謎が説かれます。
志摩のプラハ時代の同級生で図書館書士カーチャ、ふたりを救けるエストラーダ劇場のダンサー・ナターシャ、同劇場の衣装係の老女マリア、1930年代の「大粛清」とラーゲリの体験者ガリーナ・エヴゲニエヴナなどなど。マリアは、志摩とカーチャをモスクワ・ミュージック・ホールに出演していたダンサー・バルカニア(ディアナ)に導き、ガリーナは「アルジェリア」の謎、大粛清で銃殺されたディアナがオリガ・モリソヴナとして復活する謎、オリガとエレオノーラの謎を解いていて見せます。
最後に同級生ジーナが登場し、ふたりがチェコスロバキアに渡ってソヴィエト学校の教師となった経緯を語り、何故オリガとエレオノーラをママと呼ぶようになったか、さらにミハイロフスキー大佐の死の真相を語ります。
息もつかせぬ展開で、読者は1992年、1960年、1930年、プラハ、モスクワ、カザフスタン・バイコヌールへと時空を旅し、オリガ・モリソヴナの反語法的運命を楽しむこととなります。
面白いです、3日ほどで一気に読んでしまいました。
タグ:読書
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