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磯田道史 無私の日本人(文春文庫2015) [日記 (2020)]

無私の日本人 (文春文庫)  伊達藩62万石を相手に金を貸し、利息を取り立てる商人・穀田屋十三郎、生涯清貧を貫いた市井の儒者・中根東里、幕末の歌人、陶芸家の尼僧・大田垣蓮月、三人の「日本人の原像」を描いた短編集です。小説のようなノンフィクション、それとも磯田センセイの小説家デビュー?。

 「穀田屋十三郎」は『殿、利息でござる』として映画化されています。宿場が寂れゆくのを見かねた酒屋、庄屋9人が団結して藩に千両もの大金を貸付け、その利子で宿場を立て直そうという話です。当時の利息は、年利1割ですから千両貸せば利息は百両。物語のハイライトは、家産を傾けてまで自分たちの宿場を護る宿場を守ろうという心意気と、酒屋、庄屋と言っても身分は農民、農民が武士に金を貸す、武士が農民から金を借りるという前代未聞の話です。庶民がお上の手を借りず自助努力で宿場を救う、元祖「町おこし」の物語であり、搾取する武士階級に、農民階級が資本主義の原理で戦いを挑む物語です。

 江戸時代は、年貢米の徴収、農民間の訴訟など行政は、武士階級が直接関与せず、庄屋、名主、肝煎りに任せる間接統治であり、農村は農民による自治だっといいます。その意味では、庄屋たちがこの国を下支えしていたことになります。著者によると、

幕末、日本が目覚めようとしたとき、「学がある」ものは少なかった。学があるとい うのは、漢文で読書ができ、自分の考えを文章にまとめることができる、というほどの 意味だが、これができる人口は、意外なほど少なかった。
(家族を含めると)武家が百五十万、庄屋が五十万、それに神主や僧侶を加えた一割たらずが、洗練され た読書人口であって、とりわけ、農村にいた庄屋の五十万人が、文化のオーガナイザー になっていた。庄屋は、百姓たちにとって、行政官であり、教師であり、文化人であり、 世間の情報をもたらす報道機関でさえあった。国というものは、その根っこの土地土地 に「わきまえた人々」がいなければ成り立たない。
ーー五十万人の庄屋
この人々のわきまえがなかったら、おそらく、この国は悲惨なことになっていたにちがいない。

 明治維新、日本の近代化を支えた柱のひとつが庄屋階級であったわけです。市井の儒者として庶民教育を実践した中根東里、陶芸で鴨川に橋をかけ貧民救済に力をそそいだ尼僧・大田垣蓮月など、名もなき庶民の「原風景」が描かれます。『武士の家計簿』の磯田センセイらしい一冊です。

タグ:読書
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