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呉善花 侮日論 (3) 文民政権下の反日 (2014文春新書) [日記 (2020)]

侮日論 「韓国人」はなぜ日本を憎むのか (文春新書)  続きです。解放後の李承晩と朴政権~盧泰愚の軍事政権の「反日」を見てきました。李承晩が解放後の民意を纏めるため反日イデオロギーを利用したこと、軍維持政権、特に朴正熙が、日韓併合は日本の侵略ではなく朝鮮民族自らの選択であり、独立は(今日の韓国が主張する「自ら勝ち取った」ものではなく)連合国の勝利と日本の敗戦によって生まれたもである、という認識のもとに国家建設を進めたことが分かりました。この朴正熙の「歴史認識」には正直驚きました。その軍事政権に続く「文民政権」で「反日」がどう変化したかです。

金泳三(保守政党)
 旧朝鮮総督府庁舎を「日帝の残滓」として解体し、竹島に接岸施設を設けて実効支配の基礎を作ります。日韓国交正常化の時点での「竹島(独島)領有権問題は棚上げする」という日韓の密約を破ってのことです。
 日韓併合が自らの選択であったという朴正熙の「歴史認識」は消し飛んで、「過去精算」を実行し、竹島上陸、実効支配は李承晩ラインの復活です。竹島支配は、単なる領土問題ではなく反日のアイコンとして韓国領であることを主張する必要があったわけです。

金大中(革新政党)
 金泳三が反日を政権維持のために利用したとすれば、金大中は反日をイデオロギーに高めます。日本統治時代~軍人政権時代をひと括りに民主化闘争の歴史と規定し、「韓国の独立は自ら戦い取ったもの」だという今日の韓国のイデオロギーの元を作ります。

これまで国内にあった「我々は自らの力不足ゆえに、屈辱の歴史を歩んできた」という歴史認識を否定し、「我々は民衆による反日・反独裁の闘いという、誇り高く輝かしい民主化闘争の歴史を歩んできた」という歴史認識へと一変させたのです。はっきりいえば、自らの側の問題点を覆い隠し、「きれい事の心地よさ」を国民に与えてくれたのです。

誇り高き金大中(朝鮮民族)は、むざむざと日帝に支配され連合国の勝利によって開放されたという現実を否定したかったのでしょう。ついでに朴正熙、全斗煥、盧泰愚の軍事独裁を倒し民主的な国家を打ち立てたという歴史観の創設です。
 金大中は、李承晩、朴正熙の「反共」イデオロギーを廃し、太陽政策を掲げ北朝鮮との緊張緩和政策を取り、金正日との南北首脳会談を実現させます。これで「反日」と「親北」が出揃ったことになります。

盧武鉉(革新政党)
 盧武鉉は、金大中の反日イデオロギーを世界史の中に位置づけます。

盧武鉉の反日主義の大きな特徴は、日本の「植民地支配」は「人類社会の普遍的倫理」に反する反人類的な犯罪だという観点を強力に押し出したことです。そこで盧武鉉がいいたいことは何かというと、日本統治下で起きた諸問題は、単なる法律や政治制度の問題ではない、「人類社会の普遍的倫理」の問題だということです。
過去についても現在についても、「親日行為はその理由を問わず、どんな法律をも超えた
超法規的問題として断罪しなくてはならない」という、現在に特有な反日主義が出てくる根拠がここにあります。

竹島領有権主張に対しては、「単なる領有権問題ではなく、解放の歴史を否定して過去の侵略を正当化する行為」と強く非難しています。

 日帝の支配を、朝鮮民族の抹殺と捉え、ナチのジェノサイドに匹敵する人類史的犯罪としたわけです。ホロコーストがあったたわけでもなく、李承晩の「保導連盟事件」「済州島四・三事件」の方が一枚上手なんですが…。故に親日は「超法規的」に断罪され、親日についての表現の自由が奪われるわけです。つまり、反日については何でもありということになります。
 金大中の反日が誇大妄想であったとするなら、盧武鉉の反日は被害妄想といえそうです。このふたからスッポリと抜け落ちているのが、李朝の歴史です。朴正熙は、

日韓併合をもたらし、独立後に韓国を崩壊の危機にまで陥れた最大の原因は、「李朝五百年の歴史にその根源がある利己的な党派主義」だとして、その克服のためには韓国人自身の「人間改造」がなされなくてはならない。(『朴正熙選集』)

李朝末期の失政と腐敗が日韓併合を生み、日本の敗戦によって開放・独立がなされた、という認識があります。朴にとって重要なことは、「韓国の独立は自ら戦い取ったもの」だ云々という独立の経緯ではなく、独立後の国家建設のあり方です。イデオロギーよりも「漢江の奇跡」が優先されたわけです。
 盧武鉉は、

「日本は過去を真相究明して謝罪、反省し、賠償することがあれば賠償し、和解すべきだ」と述べ、「それが全世界がしている歴史清算の普遍的なやり方だ」と強調しました。そして、「個人請求権問題は韓国政府が責任を取るほかない」けれども、「日本も人類社会の普遍的倫理、隣人間の信頼の問題意識を持って、積極的な姿勢を見せなければならない」と主張したのです。ここに、「日帝による植民地支配」の問題は超法規的な問題だとみなす意志が、はっきり現れています。

日本は「人類社会の普遍的倫理」によって「個人請求権」をに答えよ、と言っているに過ぎませ。朴正熙が、日本からの5億ドルを使って韓国自身が始末すると約束した「個人請求権」が、盧武鉉によって蒸し返されます。蒸し返すと「個人請求権問題は韓国政府が責任を取るほかない」というこにはなるのですが。

李明博(保守政党)
 李明博は、大統領就任当初は「未来志向」を掲げて親日姿勢を見せますが、国内に反発が起きると反日の姿勢にシフトします。李の反日は、金大中、盧武鉉に比べ場当たり的です。支持率が20%台に落ちると反日を顕にし、これに勢いを得た裁判所は「韓国政府が賠償請求権の交渉努力をしないことは違憲」と裁定し、「挺対協」日本大使館前に「従軍慰安婦像」を建てます。盧武鉉の言った「超法規的」断罪が実行されたことになります。

 李明博は、側近、兄弟の逮捕で支持率が落ちると反日のアイコン竹島に上陸するパフォーマンスを演じ、「天皇が韓国を訪問したいならば、独立運動をして亡くなられた方々のもとを訪ね、 跪いて心から謝罪すればいい。」という国民に阿った発言をします。これで支持率は30%台まで回復したといいますから、反日はポピュリズムの象徴みたいなもの。反日教育はそれを支える大衆を作り出すことに見事に成功したわけです。李明博の反日は思想性に乏しく大衆迎合と権力維持の手段にしか過ぎなかった様です。

朴槿恵(保守政党)
 朴槿恵は、日本の歴史認識批判に対する発言や首脳会談を拒否する行動などから、強い反日姿勢が伺われますが、「慰安婦問題日韓合意」、「GSOMIAの締結」などを考えると、何処まで反日であったかは?です。朴正熙の長女ですから、親日的言動をとれば、反民主と映ることを恐れて反日のポーズをとっていたとも考えられます。
 著者は、朴槿恵の反日は、政権が保守勢力と革新勢力との危ういバランスの上に乗っていること、父親が朴正熙であることに関係していると言います。

(朴正熙は)日本から日韓経済協力協定に基づいた多額な支援を受け、国民の「戦後賠償」としてはわずかな支出をしただけで、その大部分を韓国産業化の資金として用いました。そうしたことをもって、野党をはじめとする親北・従北朝鮮政治勢力は、朴正熙は決して許してはならない親日派だとして、朴槿恵大統領の大きな攻撃材料としているのです。そのため朴槿恵は、執拗なまでに強固な反日姿勢を示し、自分は決して親日派でないとして国民の支持を得ようとするのです。

2914年出版ですから、現大統領・文在寅についての記述はありません。文在寅は、盧武鉉と合同法律事務所を開き、盧が大統領に就任すると秘書室長を勤めていますから、その政治思想は武鉉同様と思われます。従って、文の反日も「日本の「植民地支配」は「人類社会の普遍的倫理」に反する反人類的な犯罪」「「日帝による植民地支配」の問題は超法規的な問題」との立場をとっていると考えてよさそうです。従って、文の北朝鮮政策も、金大中の太陽政策を引き継いだ盧武鉉の親北であることは当然です。

 本書のハイライトは、李承晩~朴槿恵の各政権の「反日政策」です。政権維持のために「反日」が利用されたことがよく分かります。第二章「反日主義はどのように変遷してきたか」、第三章「 侮日観の伝統と華夷秩序の世界観」を中心に読んできました。残りの章はいずれも著者の持論の繰り返しですから、これで終わりにします。

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