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呉善花 侮日論 (2) 反日の変遷 (2014文春新書) [日記 (2020)]

侮日論 「韓国人」はなぜ日本を憎むのか (文春新書)  続きです。本書を読むと、今日の「反日」の根は「小中華主義」や「華夷秩序」にあるということに「なるほど」とは思うのですが、朝鮮の一般民衆の中にもこうした思想があったとはちょっと信じ難いです。「小中華主義」や「華夷秩序」というのは、一部の知識人のイデオロギーだったのでないかと思います。対馬藩の朝鮮通信使・応接係の雨森芳洲を、日本人であるために蔑んだ申維翰は李朝の高級官僚、抵抗運動として有名な三一運動の主体はキリスト教、天道教です。いずれも一般民衆ではありません。それが何故今日の官民挙げての反日に至ったのか?。著者は、解放後の歴代大統領の対日観を分析して、反日が形成される過程を説きます。

 李承晩
 大韓民国の初代大統領、李承晩です。李承晩は独立運動の後1904年にアメリカに渡り、アメリカから独立運動を指導したといいます。(どこの国にも承認されていない)「大韓民国臨時政府」の初代主席(1919)であったにしても、1904年に渡米して1945年に帰国しますから、国内での独立運動の実績はありません。海外から帰ってきて大韓民国の初代大統領となれたのは、ウィルソン大統領と人脈がったあったと言われるアメリカとの関係でしょう。
 余談ですが、日本の敗戦に伴い、朝鮮総督府は行政権を呂運亨の建国準備委員会に引き継ぎますが、左派である呂運亨はアメリカから忌避されます。呂は1947年に右翼テロ組織(白衣社)に暗殺され、「大韓民国臨時政府」主席だった金九も1949年に暗殺されていますから、1945年~48年大韓民国の成立過程というのは(アメリカも絡んで)けっこうちなまぐさいものがある様です。

 米政府の後押しで大統領に上り詰めた李承晩には、二つの課題があります。1)日本によって近代化された「朝鮮」を、朝鮮総督府同様に国家として運営してゆこと。2)日本の敗戦によって転がり込んだ開放独立の下で、民意を如何にまとめ上げるか。
 李は、日韓併合のメリット(植民地近代化論)を十分承知していたはずですから、1)については、総督府の下で国家運営に当たった官僚を重用し国家運営にあたります。2)についてはけっこう厄介で、朝鮮民衆は、日韓併合によって自分たちの生活が改善されたこと実感していますから、民衆の生活レベルを落とせば日帝時代の方がよかったと避難されます。国内の求心力を高めるために権力が取る常套手段が、外部に敵を作ることです。日本を、朝鮮を侵略し搾取した悪者に仕立てる「反日」政策です。 李は、1875年の江華島事件~1945年の開放に至る70年間を日本に対する反侵略戦争と位置づける、反日イデオロギーの建国神話(共同幻想)を作ります。

 「反日」は、日帝支配下の35年間国外に逃れこれといって独立運動の実績の無い李にとっても都合のいいイデオロギーです。朝鮮国内の勢力には、お前たちは日帝に協力した親日だ!(今日で言えば土着倭寇)、国内にいなかったオレは独立の闘士だ!、と主張できるわけです。李承晩は、政策は親日、民衆には反日を掲げて新生国家の舵取りをします。北には抗日パルジザンを組織して日帝と戦ったとされる金日成がいますから、独立運動の実績の乏しいi李にしてみれば、下手に南北の統一を唱えれば金日成に倒されるため、「反共」は当然の選択です。今日の反日と反共 or 従北という政治的構図と、表の反日裏の親日の構図はこの時に始まったと言えそうです。

「韓国の独立は、独立闘争によって自ら戦い取ったもの」とは主張しませんでした。当時の韓国には、「韓国の独立は日本の敗戦、米軍の施政という外的な要因によって偶然得られたものであり、自ら独立を勝ち取ったのではない、それができなかったのは韓国人の力が足りなかったからだ」という当然の考えが大勢を占めていたのです。・・・「果敢な反日独立闘争を戦って自ら独立を勝ち取ったのだ」という考えで国内が一色になるのは、ずっと後の文民政権以降のことなのです。

 李承晩は、「李承晩ライン」という国境線を勝手に引き、「国境」を超える日本漁船を拿捕し、竹島と対馬は韓国領土だと主張します。国民には、反日教育を実施し、日本の大衆文化(映像や音楽、小説)を締め出し、反日というイデオロギーを作り出して民族のアイデンティティを鼓吹します。

 朴正熙
 軍事クーデターによって李承晩の後を襲ったのが朴正熙。朴は、日本の士官学校を卒業し満州国軍を経て大韓民国臨時政府光復軍、大韓民国陸軍に所属した生粋の軍人です。朴正熙は、日韓併合をもたらした最大の原因は、「李朝五百年の歴史にその根源がある利己的な党派主義」だとして、日韓併合を肯定します。

日韓併合は「韓国人自らが選択したもの」という歴史認識に立っていました。
・・・(日韓併合は)われわれは自分たちで選択したんだ。日本が侵略したんじゃない。私たちの先祖が選択した。もし清国を選んでいたら、清はすぐ滅びて、もっと大きな混乱が朝鮮半島に起こったろう。もしロシアを選んでいたら、ロシアはそのあと倒れて半島全体が共産主義国家になっていた。そしたら北も南も完全に共産化された半島になっていた。日本を選んだということは、ベストとはいわないけど、仕方なしに選ばざるを得なかったならば、セコンド・ベストとして私は評価もしている。(石原慎太郎との対談?)

現在からすれば、韓国大統領の発言とはとても考えられませんが、朝鮮史を直視すれば、歴史認識はこうなります。著者によると、この歴史認識は、軍人出身の大統領、全斗煥 、盧泰愚 にも共通してあったものだそうです。

連合国の勝利と、日本の敗戦という民族外的な状況が、八・一五光復のもう一つの大きな決定的要因となっていることは、皆さんもよくご存知の事実である。(『全斗煥大統領演説文集』第二輯、大統領秘書室、1983年)

 こうした歴史認識を持ちながら、国内では李承晩以来の反日教育を一貫して続けていたのです。この歴史認識が変わるのは、民主化運動とともに成立した金泳三以降の文民政権からだといいます。・・・続きます

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