SSブログ

ローラン・ビネ HHnHプラハ、1942年 (2)(2013東京創元社) [日記 (2021)]

HHhH (プラハ、1942年) 続きです。
ヴィンゼー会議
 ハイドリヒは「ユダヤ人問題最終的解決」を決定した「ヴァンゼー会議」を仕切り、ユダヤ人の絶滅収容所を決定します。ハイドリヒの特別行動隊(アインザッツグルッペン)は、東欧ですでに数十万のユダヤ人を虐殺しています。森の中で数百人単位で機銃掃射で殺すという方法は、執行者にストレスを与え特別行動隊でさえ士気の低下を招きます。兵士にストレスを与えず「効率的、経済的」に「処理」する方法として、ユダヤ人を収容所に集め毒やガスによる一括して虐殺することが決定されます。

会議そのものは二時間もかからなかった。たった二時間でユダヤ人に関する様々な問題をあらかた決めてしまったのだ。ユダヤ人のハーフはどうするのか? クォーターは? 第一次大戦で戦功のあったユダヤ人は? ドイツ人と結婚したユダヤ人は? ユダヤ人の夫を殺されて寡婦となったアーリア人女性には年金を付与して賠償すべきか? あらゆる会議がそうであるように、前もって決められた事柄だけがその場で決定される。実際、ハイドリヒにとっては、今後はある目標に向かって仕事をしなければならないということ帝国の全閣僚に告げる由だった。その目標とは、全ヨーロッパのユダヤ人を物理的に排除することである

 絶滅収容所に至るまでには、ユダヤ人をソ連やマダガスカルに移住させる計画があったようです(マダガスカル計画)。ソ連戦線が膠着しイギリスが制海圏を握ったため船での移送が困難となり、この移住計画ボツ。作者によると「こうしていつのまにか、ユダヤ人問題は産業的意味合いを帯びるようになった」。ヴィンゼー会議では、ユダヤ人問題が「産業的意味合い」として国家の施作として決定されます。
 映画『謀略』では、豪華な食事とワインとともにホロコーストが論議されます。会議で配られた資料によると、ユダヤ人はソ連に500万人、ポーランドに200万人と全ヨーロッパで1,100万人。犠牲者数は500~600万人と言われていますから、ナチスは絶滅収容所のガス室によってその半数を「排除」したことになります。

 ユダヤ人移住計画→絶滅収容所計画には、アイヒマンが深く関わっています。アイヒマンは、1934年頃から親衛隊情報部に異動してユダヤ人問題に関わり、1938年にウィーンに派遣され「ユダヤ人移民局」を担当しています。ウィーン時代にハイドリヒに見い出されたようで、本書では、
ハイドリヒは、ユダヤ人対策で見事な仕事をしているアドルフ・アイヒマンという小柄な少尉の名を胸に刻んだ。
となります。1939年3月にプラハに異動、9月にはゲシュタポのユダヤ人課長となり(マダガスカル計画)、1941年のヴァンゼー会議ではハイドリヒのスタッフとして参加していますから、アイヒマンは一貫してユダヤ人専門家の道を歩んだことになります。1942年から収容所へのユダヤ人移送が始まり、アイヒマンはその責任者としてこれに関わっています。哲学者ハンナ・アーレントはアイヒマンの行為を「凡庸な悪」と呼んだそうですが、じゃぁハイドリヒはどんな悪?。
類人猿作戦(エンスラポイド作戦)
 イギリスのチェコスロバキア亡命政府は、ハイドリヒ暗殺のために2名の兵士を送り込みます。イギリスで訓練され、パラシュートでプラハ近郊に着地させるわけですから、この暗殺計画はイギリス政府の支援の元で実行された計画です。作者はハイドリヒ暗殺の影にはチャーチルの意向があった?と想像します。チャーチルの関与は、小説を膨らませるには格好の材料です。

ハイドリヒはこう言ったらしい。「この戦争に勝てる見込みはもうないから、講和の道をさぐるべきだが、ヒトラーがそれを吞むとは思えない。ここのところをよく考える必要がある」

第三帝国絶頂期の1942年5月に、ハイドリヒは講和を考えていたというのです。しかもヒトラーに取って代わって。

これをもってハイドリヒには類い稀な洞察力が備わっており、ナチ高官の誰よりも頭がよかったと見なしている。また同時に、ハイドリヒがヒトラーを倒す可能性も視野に入れていたと理解している。(これは)あの前代未聞の仮説をわれわれに示す。ヒトラーに対する全面的勝利の機会が奪われたとは断じて思いたくなかったチャーチルにとって、ハイドリヒの排除こそ絶対的優先事項だったというのだ。つまり、イギリス人がチェコ人を支援するのは、ハイドリヒのように抜け目のないナチ高官がヒトラーを排除し、妥協による講和に持ち込んでナチ体制を維持することを恐れているからだ、と。

 ハイドリヒの上にはヒムラーが居て、ヒトラー自身が後継者に指名したゲーリングがいるわけですから、<ヒトラー排除>などできるわけがないのですが、想像としては捨てがたい…。

ガブチーク、クビシュ
 ロンドンにはチェコスロバキア、ポーランド、フランス、オランダ、ベルギー等の亡命政府があります。ド・ゴールの「自由フランス」は本国(ヴィシー政権)のレジスタンスを支援し抵抗運動に成果を挙げていますが、チェコ国内のレジスタンス組織はハイドリヒによって潰され抵抗運動は低調。大統領ベネシュは、イギリスで訓練された武装兵士をチェコ国内に送ることを計画します。兵士はチェコ人とスロヴァキア人で構成されるべきだ、と。

そこで、僕はこう想像するのだ。とりわけチェコ情報部の長の地位にあるモラヴェッツ大佐にとって、ボヘミア・モラヴィア代理総督にして、「民族の処刑者」、「プラハの虐殺者」と呼ばれ、ドイツ情報部の長でもあり、いわば彼と同等の身分である親衛隊大将ハイドリヒを暗殺するという計画をそのとき思い浮かべたとしても何の不思議もないと。
そう、いっそのこと、ハイドリヒを狙ってしまえ、と……。

 チャーチルとベネシュの焦りによってハイドリヒ暗殺が決定します。暗殺実行者としてチェコ人のヨゼフ・ガブチーク軍曹とスロバキア人ヤン・クビシュが選ばれ、彼らを支援するチームとともにプラハ郊外にパラシュートで降下し、支援者に匿われ暗殺の機会を伺うわけです。暗殺自体は、映画であればハイライトですが、護衛も付けずメルセデスのコンパーチブルで出勤するハイドリヒを待ち伏せして爆殺するという、文字にすればそれだけ。暗殺者にとって唯一の誤算は、ハイドリヒの車の前に立ちはだかった時に、ガブチークのステン短機関銃が不発だったこと。すかさずクビシュが手榴弾でメルセデスを爆破。重傷を負ったハイドリヒは病院に運ばれ手術を受けますが、感染症で死に暗殺は成功します。
 ハイドリヒ暗殺はヒトラーを相当に怒らせたようで、「草の根分けても探し出せ!」。報復、見せしめとしてレジスタンスを匿った容疑でリディツェ村が選ばれ、15歳以上の村の男子はその場で銃殺、女性と子供は収容所に移送され後に毒ガスによって殺されます。

だが、これで終わったわけではない。ヒトラーは、リディツェ村を自分の怒りを解消するための象徴的な見せしめにしようと考えた。ハイドリヒの殺人犯を逮捕し罰することのできない無能な帝国に対する欲求不満は、抑制のきかない全面的なヒステリーを引き起こした。そこで出された命令は、文字どおり、リディツェ村を地図から消し去ってしまうこと。墓地を踏みにじり、果樹園を掘り返し、すべての建物に火をつけ、土地には塩をまいて今後何も生えてこないようにした。村は地獄の熾火と化した。瓦礫を一掃するために何台ものブルドーザーが投入された。どんな痕跡も残さないこと、村がそこにあったことを示すいかなる形跡も消し去ること。

 ガブチーク、クビシュとパラシュート降下部隊はプラハの聖ツィリル・メトデイ正教大聖堂に隠れ、ゲシュタポとの壮絶な銃撃戦で死にます。

 本書を原作とした映画『ナチス第三の男』もそうですが、「類人猿作戦」そのものは大して面白くありません。面白いのは、何と言っても「怪物」ラインハルト・ハイドリヒです。類人猿作戦の主役であり華々しく散ったガブチーク、クビシュよりも、暗殺されたハイドリヒが光芒を放っているのは何故なんでしょう?。『ナチス第三の男』でも『謀議』でも、そして本書『HHnHプラハ、1942年』でもヒーローはハイドリヒです。理解不能な巨悪という存在もまた魅力的である、という二律背反です。
1.jpg

タグ:読書
nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:

nice! 2

コメント 0

コメントの受付は締め切りました