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再読 半藤一利 永井荷風の昭和 ①(2012文春文庫) [日記 (2022)]

永井荷風の昭和 (文春文庫) 荷風さんの昭和 (ちくま文庫) 『大平洋戦争への道』を読んでいて永井荷風を思い出しました。荷風には大正6年から昭和34年の死の間際まで40年にわたって書き継がれた日記『断腸亭日乗』があります。荷風はまさに昭和を生きたわけです。この『日乗』をネタに「歴史探偵」半藤一利さんは昭和史にどう斬り込込んだのか?、大平洋戦争に至る激動の昭和は、市井の文人・荷風散人の目に如何に映ったのか?、再読してみました。
 荷風の独白を著者が解説し、それにまた感想を重ねるわけですから、何時もより引用が増えます。

《日支今回の戦争は日本軍の張作霖暗殺及び満洲侵略に始まる。日本軍は暴支膺懲(ようちょう、懲らしめる)と称して支那の領土を侵略し始めしが、長期戦争に窮し果てに名 目を変じて聖戦と称する無意味の語を用い出したり。欧州戦乱以後英軍振わざるに乗じ、日本政府は独伊の旗下に随従し南洋進出を企図するに至れるなり。然れどもこれは無智の軍人等及猛壮士等の企るところにして一般 人民のよろこぶところに非らず。国民一般の政府の命令に服従して南京米を喰いて不平を言わざるは恐怖の結果なり。麻布連隊叛乱の状を見て恐怖せし結果なり…》日乗、昭和16年6/15

 昭和16年は、アメリカからハル・ノートが突きつけられ石油輸入が止まり、日本は南方進出と大平洋戦争開戦を決めた年です。12/8の真珠湾奇襲によって戦争の幕が切って落とされます。

張作霖爆殺→満洲事変→二・二六事件→日中戦争→三国同盟→仏印進駐という今日ではイロハのようになっている〝太平洋戦争への道〟が、昭和十六年六月の時点で、荷風さんの眼にはっきりと見えていたのである 。(半藤)

この憐れむべき狂愚の世 (昭和3年~7年)
 昭和6年柳条湖事件を機に満州事変が起こり、陸軍は満州を制圧します。侵略戦争の自覚のある陸軍は、満州から世界の目をそらすために上海事変を演出します。上海事変は、陸軍中央が上海の公使館付武官に命じてやらせた謀略。荷風は、上海事件に踊る当時の日本を

《銀座通商店の硝子戸には日本軍上海攻撃の写真を掲げし処多し。蓄音機販売店にては盛に軍歌を吹奏す。時に満街の燈火一斉に輝きはじめ全市挙って戦捷の光栄に酔わむとするものの如し。思うに吾国は永久に言論学芸の楽土には在らず、吾国民は今日に至るも猶往古の如く一番槍の功名を競い死を顧ざる特種の気風を有す、亦奇なりと謂うべし 。》日乗、昭和7年3/4

と苦々しい思いで日乗に記しています。「一番槍」とは上海事件で 自爆して突撃路を開いた「爆弾三勇士」を指すとのこと。

《市内電車内の広告に、東京市主催多門中将依田少将凱旋歓迎会此夕日比谷公園にて執行せらるる由見ゆ。 二三年来軍人その功績を誇ること甚しきものあり、古来征戦幾人かえるとはむかしの事なり、今は征人悉く肥満豚の如くなりて還る、笑う可きなり日乗、昭和8年1/26

出征し、肥満豚の如くなりて還る軍人の姿に我慢がならないようです。世間は戦争に騒いでいますが超然たる姿です。

女は慎むべし慎むべし
 半藤さんは、荷風ならではの柔らかい話もサービスしてくれます。半藤さんは、週間文春の記者時代に「荷風における女と金の研究」なる一文を書いた荷風研究の「大家」。荷風は生涯(行きずりの関係は別として)「十指に余る」女性と関係を持ったそうです。(女性の写真まで入手して)荷風の好みを推理しています。

これらの女性に共通していえることは、いずれも肉感的であり、色の白い、肉もしまった外形に、顔は面長のうりざね顔である。つまり浮世絵美人。そして荷風にとって、もし理想の女性像があるとすれば、善良なる淫女、もしくはみだらなる聖女ということになる。

だそうです。

《女好きなぬ恋をなしたる事なし。されど処女を犯したることなく、又道ならぬ恋をなしたる事なし。五十年の生涯を顧みて夢見のわるい事一つも為したることなし≫ 日乗、昭和3年12/31

と豪語しています。『濹東綺譚』のお雪から、手を握る他は何事も無かったプラトニックな恋人、新橋の芸者・山勇までその女性遍歴は多彩。極めつけは銀座のカフェーの女給”お久”。お久は荷風に「囲って」もらう当てが外れ、荷風の住居「偏奇館」に押し掛け、手切れ金として財産の半分を要求します。大正末から昭和にかけて円本ブームが起こり、貧乏文士に多額の印税をもたらしたそうです。

《 午後三菱銀行に赴き、去秋改造社及び春陽堂の両書肆より受取りたる一円全集本印税金総額五万円ばかりになりたるを定期預金となす》日乗、昭和3年1/25

たいやき二銭、新聞購読料九十銭、小学校教員の初任給四十五~五十五円、総理大臣の月給八百円の時代の5万円!です。

《余 今日まで自家の閲歴に徴して何程の事あらむと侮りいたりしが、世評の当れるを知り慚愧に堪えず。 凡て自家の経験を誇りて之を恃むは誤りのもとなり。慎む可し慎むべ》日乗、昭和3年1/25

いくらこの期におよんで、女を見る目がなかったと悔いても、後悔先に立たずの諺どおりで、それでおさまるわけがなかった。

荷風さんが性悪女に引っかかった話です。荷風さんはお久を警察に突き出し、
《こんなくだらぬ事で警察へ厄介を掛けるのは馬鹿の骨頂なり、淫売を買おうが女郎を買おうがそれはお前の随意なり、その後始末を警察署へ持ち出す奴があるか》日乗、昭和3年10/12
と警察からは小言を貰う始末。このお久との顛末は、当時荷風のお気に入りだった”お歌”との情交と共に、映画『濹東綺譚』(1992)にも描かれています。続きます。
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 映画『濹東綺譚』の荷風さん(津川雅彦)

タグ:昭和史 読書
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