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呉善花 韓国「反日民族主義」の奈落 2⃣ (2021文春新書) [日記 (2022)]

韓国「反日民族主義」の奈落 (文春新書 1308)  続きです。大統領が尹錫悦に変わってインパクトは薄いですが、第4~6章は文在寅政権の分析です。

 第4章:奈落の底へ堕ちていく文在寅韓国
 第5章:韓国が左翼独裁=全体主義国家になる日
 第6章 北朝鮮を正統国家とする自虐史観

 第4章は政権のスキャンダル、第5章は不動産の高騰や失業率などの政策の失敗。文在寅韓国が「奈落の底へ堕ちていく」とは凄まじいですが、何れも既知の話です。面白いのが第6章。文在寅政権は、金大中→盧武鉉と続く左派政権で、板門店宣言、米朝会談セッティングなど南北統一に熱心だった政権です。その文在寅など北朝鮮にシンパシーを抱く左翼「民族主義者」の北朝鮮に抱くコンプレックスの話です。

北朝鮮が「本家」だ
 韓国では「半万年」の歴史という表現が使われるそうです。朝鮮は、BC2333年に檀君よって建国された(檀君神話)から5000年の歴史があると云うのです。北朝鮮ではこの建国がBC2993年と更に遡り、檀君朝鮮が最初に都を置いたのが平壌で、平壌には檀君の墓まであり檀君の骨が発掘されています。これでもう韓国の負けw。檀君神話は、民話を下に13世紀末に成立した『三国遺事』に記されています。

檀君朝鮮の最初の都は現在の北朝鮮の首都、平壌とされる。それに対して韓国の首都ソウルは、三国時代(三一三~六七六年)に漢山とか漢城と呼ばれた百済の都城にはじまるものだ。この、古さで「北方優位」であるところに北朝鮮の民族主義的な「本家意識」もあるわけだが、韓国国内の北朝鮮シンパ左翼と民族主義が結びついて 「左翼民族主義」が生まれる理由の一つがそこにある。

 随分妄想的な「左翼民族主義」です。著者はこれを歴史の書き換えと呼びます。

高句麗・高麗史観
 もうひとつの書き換えが、朝鮮の正統的な系譜を、高句麗(~668)以降を、《高句麗 →渤海 →高麗》とつなげるところです。

 ・高句麗は、檀君朝鮮の領土を回復し、中国東北地方から中国遼東地方まで勢力を回復した。
 ・高句麗滅亡後、高句麗の遺民の朝鮮人が渤海を建て中国東北部から沿海州の領域まで勢力を拡大した。
 ・渤海が契丹に滅ぼされ、渤海の遺民は高麗を建て歴史的に初めて朝鮮を統一した。

つまり、高句麗→渤海→高麗→李朝→韓国&北朝鮮となるわけです。

これによって北朝鮮は、「元来の朝鮮の領土は、中国東北地方・遼東地方にまで至る広大な土地である」と主張する。と同時に、その広大な領土を有していた高句麗・渤海国を継承して朝鮮半島を統一した高麗王朝が檀君以来の朝鮮王朝正統の継承国家であるとして、「現在の我々が継承すべき国家は高麗だ」というのである。

 北朝鮮の歴史感では、朝鮮半島を統一した新羅は、唐の軍と共に百済を亡ぼした「反民族的裏切り者国家」、李氏朝鮮を建てた高麗の将軍・李成桂は、高麗を裏切った「反民族的逆賊」だそうです。この歴史感では、

今では中国領となっている北方の広大な土地までを版図とする、東北アジアの中心をなす大国が、本来の朝鮮とイメージされてくる。そしてそれは、彼らにとっては将来の朝鮮のあるべき姿でもあるのだ。

 南北が分断されている限り、この妄想は成立しませんから、南北統一は韓国の悲願となります。

この高麗をルーツとする朝鮮像はまた、北方優位、北朝鮮本家の歴史観をもってしか、可能とはならない。だからこそ盧武鉉や文在寅は、従北統一を目指し、あらかもアジアの一大国の主張であるかのように、統一朝鮮が「東北アジア時代の中心国家として雄飛する機会が訪れた」と主張するのである。

この高句麗・高麗史観に水を差すのが、高句麗、渤海、高麗などは中国の地方政権に過ぎないとする「東北工程」です。素人目には、考古学的文献的にも東北工程の方に分があると思うのですが(任那日本府も同様)。

北朝鮮コンプレックス
 独立後、韓国の李承晩、朴正煕など保守派・軍事政権は、日韓併合時代に日本に協力した親日派の韓国人を国家運営のために利用しています。北朝鮮は親日派を犯罪者・売国奴として粛清したが、韓国は反日を清算せずに建国した、民主化以降これが保守派のコンプレックスになっていると云います。「積弊精算」が出来ていないというコンプレックスです。
 北朝鮮は、日本統治終了後から朝鮮戦争あたりまで、日本の遺した発電所、肥料工場によって国力は韓国より勝っていたと言われています。普通に考えれば、日本が撤退した後、これらの設備の保守運営のために親日派は必要であり、粛清したとはとても考えられません。能吏と技術者なしに回らなかった筈です。北も南も今日の繁栄(北は繁栄してませんが)の基礎を築いたのは、「日帝強占期」に粛々と工場を回し組織を運営したのは「親日派」だと思うのですが。
 自らのコンプレックスを解消するため、親日派の人名辞典を作り「親日」を叩くしか手段が無いわけです。究極は、「日帝強占下親日反民族行為真相究明に関する特別法」でしょう(可決されていませんが)。
 
韓国は「日本と結託して私腹を肥やした親日勢力がアメリカと結託し国をたてた」、それは間違った建国だったというのが、文在寅ら韓国左翼の歴史認識である。
 
 著者によると、左派民族主義は「北朝鮮が本家」、「韓国は間違って建国された国」という北朝鮮コンプレックスが核となっていると云います。

 (ここからは想像なんですが)そのコンプレックスは、韓国は日本の敗戦で米軍に解放されて生まれた国家だというコンプレックス。北朝鮮も同様にソ連の解放よって生まれたわけですが、違うのは、北朝鮮は抗日パルチザンの英雄・金日成が率いている点です。米軍が自国に都合のよい李承晩を指導者に選んだ様に、ソ連も金日成を選んだに過ぎないのですが。ちなみに、「金日成」という抗日パルチザンの将軍がいたことは事実の様ですが、別人が「金日成将軍」になりすましたという金日成偽物説もあります。この北朝鮮コンプレックに、韓国は憲法前文の「大韓民国臨時政府の法統」という文言で対抗します。
(冷戦体制の終結後)金大中政権から盧武鉉政権を通して「国家あっての民族」から「民族あっての国家」の考えへと急速に逆転していった。つまり、これからは国家体制の違いよりも、同じ民族だということを優先して、まずは統一の前段階として南北連合国家を形成していこう、ということになったのである。・・・こうした国民レベルでの親北民族心情の拡がりに乗じて長らく抑えつけられていた左翼民族主義イデオロギーが、一気に市民権を獲得していったのである。

「恨」
 著者よると、反日は韓国人に特徴的な「恨」の心情と分かちがたく結び付いていると言います。

韓国人の「恨」は、単なるうらみの情ではない。「恨」は 、達成したいこと、達成すべきことができない「ダメな自分」の内部に生まれるある種の「くやしさ」に発している。それが具体的な対象をもたないときは、自分に対する「嘆き」として表され、具体的な対象(たとえば日本)をもつとそれがうらみとして表され、相手 に激しく「恨」をぶつけることになっていく。・・・欧米でいう「弱者の反感」(ルサンチマン)と実によく似ているのだ。

この「ダメな自分」に対する「くやしさ」=恨が、古代からの半島侵略、日韓併合などの「朝鮮侵略史観」と結び付き反日となる、と言うのです。

そうして生きていくなかで恨を消していくことを、韓国人は一般に「恨をほぐす」と表現する。うらみにうらんだ末に恨がほぐれていくことは、大きな精神的な心地よさをもたらす。徹底して固まった恨だからこそ、それをほぐして未来へ行く希望がそれだけ強くくるのだ。逆にいえば、どこまでも恨を強く固めていき、うらみ続けていかなくてはならい。

 恨の前で、日韓併合によって米の生産や人口が倍増し、識字率が上がり、工業生産が6倍となって朝鮮の近代化が始まったと云う「植民地近代化論」は通用しないわけです。

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