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六草いちか 鴎外の恋 舞姫エリスの真実 (1)(2011講談社) [日記 (2023)]

鴎外の恋 舞姫エリスの真実 (河出文庫 ろ 1-1) 1.jpg
石炭をば早や積み果てつ。中等室の卓のほとりはいと靜にて、熾熱燈の光の晴れがましきも徒なり。

『舞姫』冒頭の有名な一節です。高校の現代国語の教科書で習いました。この美文調に魅せられ読んでみたのですが、これナニ?。明治政府の留学生がドイツ娘と恋に落ち、娘を捨てて役人としての栄達を選択すると云う身勝手な恋愛小説です。これを書いた森鴎外が「文豪」ともてはやされることに違和感を覚えた記憶があります。(外は外が正しいですが、面倒なので訂正は無し)

エリス
 『舞姫』は、森鴎外の留学先ドイツでの体験が色濃く反映された小説として有名です。身勝手な恋愛小説には後日譚があり、鴎外の恋の相手エリスが鴎外を頼って来日し、鴎外はエリスを追い返したというのです。少し遅れてロンドンに留学した漱石は、勉強しすぎて神経衰弱となったのですから、このふたりは随分と違います。
 本書は、この事件とエリスと云う女性を追ったノンフィクションです。エリス探索のミステリーの様なものですから、1~2日で読めます。

1884年(明治17年)10月ドイツに到着。ライプツィヒ大学で学ぶ
1886年(明治19年)3月ミュンヘン大学で衛生学を学ぶ
1887年(明治20年)4月ベルリンでコッホの衛生試験所に入所、(エリスと知り合う)
1888年(明治21年)3月プロシア近衛歩兵第2連隊で軍隊任務に就く
          9月8日帰国、(9月12日エリス来日、10月17日帰国)
1890年(明治23年)『舞姫』発表

 鴎外の死後、1933年に於菟(長男)が雑誌に発表して事件が公になり、次いで杏奴(次女)、小金井喜美子(鴎外妹)が事件を明らかにします。於菟は、鴎外がエリスに会うこともなく鴎外の弟・篤次郎と某博士が、杏奴は鴎外の友人がエリスに金を与えて帰国させたと云うのですが、二人が産まれる前の事件ですから伝聞です。当時、唯一の事件の当事者だったのは鴎外の妹・小金井喜美子。喜美子によると、鴎外は帰国したその日、父親にエリスが来日することを伝え、夫・小金井良精と鴎外の弟・篤次郎がエリスの説得に当たり、良精が旅費旅券を渡し、エリスは10月17日に帰国したといいます(『森鴎外の系譜』)。この手記で喜美子はエリスを「路頭の花」と記しています。

小柄で美しく善良そうで、本職は踊り子だが手芸も得意な、『舞姫』のヒロインと同様「エリス」という名の女性は、無理やり日本に押しかけた挙句、喜美子に「路頭の花」と烙印を押された。こうして、人の言葉の真偽を知るだけの常識にも欠けた哀れな女「鷗外の恋人エリス像」が誕生した。(p56)

 森家は代々津和野藩の典医を務めた名門。2代に渡り養子を迎えた森家にとって鴎外は待望の嫡男であり、医科大学を経てドイツ留学まで果たした誉れですから一族挙げて嫡男の不始末を糊塗する必要があったわけです。篤次郎、妹の夫、小金井良精が奔走した理由はここにあります。でその間、後の文豪・鴎外は何をしていたのか、隠れていたのか?。
 この違和感と、小金井喜美子が広めた「哀れな女『鷗外の恋人エリス像』」が真実であったのかという疑問から、著者のエリス探索が始まります。

エリーゼ
 1981年、エリスの乗った乗船客名簿から、エリスの本名がエリーゼ・ヴィーゲルト(Elise Wiegert)であることが明らかになります。鴎外は、主人公を自分の本名と似た太田豊太郎に、その恋人をEliseのeを取ってエリスとしますから、『舞姫』は鴎外の実体験を投影した作品に間違いは無いようです。ではエリーゼは何者なのか?、娼婦説、ユダヤ人説、仕立屋の娘説、エリーゼが一等船客(一等はの船賃は1750マルク、437円ですから高額)だったことから良家の子女説と色々。
 鴎外は年1000円(後に1300円)の留学費用を陸軍から得ており、医学書の翻訳等のアルバイトでそれなりの収入を得ていたことから、著者は鴎外がエリーゼのために1750マルクを払うことも可能だったと推測します。

 星新一の『祖父・小金井良精の記』によって、鴎外が来日したエリーゼと会っていたことが明らかになります。また良精はエリスの問題を金銭によって解決しようとしたこと、良精が動いたのは3日に過ぎず後は鴎外の親友・賀古鶴所(鴎外の遺書の口述筆記者)が奔走したことが明らかになり、小金井喜美子の証言は信用を失います。

 エリーゼは鴎外の後を追って来日し、鴎外と会うことも叶わず船から下りることもなく追い返された、という話は森家の創作。エリスは神田精養軒に滞在し鴎外とも会い、森家の用意した旅費と旅券で1ヶ月後、見送りに来た人々にハンカチを振ってドイツに帰ったと云うのが真相の様です。

 鴎外は上司の石黒と共にマルセイユから、エリーゼはブレーメンから、前後して日本に向けて出港しています。途中の寄港地コロンボで、鴎外は扉にメッセージを記した1冊の本をエリーゼに託しています。著者は「この1冊の本は、エリーゼが日本に向かって来ていることを鴎外が好意的に承知していたことを裏付来る重要な証拠である。」と述べています。

小金井喜美子によると、鴎外は帰国したその日、父親にエリスが来日することを伝えています。また「舷でハンカチイフを振って別れていったエリスの顔に、少しの憂いも見えなかったのは、不思議に思われるくらいだった」と夫・小金井良精から聞いた話を書いています。追い返されるエリーゼの顔に何故憂いが無かったのか?。

 鴎外は、エリーゼが日本を去る3日前の10月14日に賀古鶴所への私信で

あの件は、周囲を気にせずためらうことなく断行いたします。 お手紙の様子などから貴兄も無論賛成くださっていることと相考えております。もちろんその根源の清からざること故、どちらにも満足できるようには収まり難く、その間のことの重 さは明白で、人に相談するまでもないことでございます。(現代語訳)

著者によると「あの件」とは鴎外がエリーゼを追ってドイツへ行くことを指し、エリーゼはそのことを承知しているため、少しの憂いもなく舷でハンカチを振っていたわけです。

 以上のことから、エリーゼは鴎外を追って来日したのではなく、鴎外が日本で結婚するためにエリーゼに旅費を渡し連れ帰ったことが推測されます(石黒と帰国するため、同じ船で連れ帰るわけにはいかなかった)。森家の反対で結婚は叶わず、鴎外は後にドイツに行くとエリーゼに言い聞かせ彼女を帰国させたのでしょう。鴎外はエリーゼを追わず翌1889年には登志と結婚し、1890年に言い訳のように『舞姫』を発表します。
 これを不甲斐ないと見るか、裏切りと見るか、封建制を引きずる明治20年の日本人の宿命と見るかは難しいところです。

では、エリーゼとはいかなる女性だったのか?、→(2)へ

タグ:読書
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