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映画 LAMB/ラム(2021アイスランド、スウェーデン、ポーランド) [日記 (2023)]

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 『ロブスター』→『ザリガニ(の鳴くところ)』→『LAMB/ラム』と動物シリーズですw。『ロブスター』も相当ヘンな映画でしたが、『ラム』はもっとヘン。

アダ
 アイスランドの片田舎で羊を育てるマリア(ノウミ・ラパス)、イングヴァル夫婦の話です。羊の出産シーズンとなり、次々に子羊(lamb)が生まれます。夫婦はその中の一匹をアダと名付け我が子同様に育て始めます。この子羊が問題のLambなのですが、なかなか正体を現しません。普通の子羊を毛布でくるみ、ベビーベッドで育ています。子供のいない夫婦が子供代わりにペットを育てているようなもので、アダを見つめるマリアとイングヴァルの表情は、子供への慈しみに満ちています。癒やされているわけです。

 アダの居る部屋の窓の下に、一匹の羊が度々現れ鳴きます。子供を奪われた母羊です。この母羊がアダを連れ出しアダが行方不明となります。やっと見付けたアダをイングヴァルが自分の上着でくるむ時、アダの姿が明らかになります。アダの下半身は人間の赤ん坊!。
 荒涼としたアイスランドの原野で、夫婦ふたりで羊を相手に暮らす生活では、こうした怪異が起こるのでしょうか?。アダを奪われると考えたマリアは、母羊を撃ち殺します。

ペートゥル
 イングヴァルの弟ぺートゥルが夫婦と同居することになります。

あれは一体何なんだ? (ぺートゥル)
幸せってやつだ (イングヴァル)
あれは子供じゃない、羊だ (ぺートゥル)

 ぺートゥルという第三の視点が導入され、アダは夫婦の妄想の産物ではないことが明らかになります。後に明かされますが、アダはマリアとイングヴァルの亡くなった娘の名前です。妄想の産物ではありませんが、アダは子羊であり、イングヴァル夫婦が娘の代替としていることに変わりありません。
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獣人
 ぺートゥルはマリアにセクハラしてに追い出されます。イングヴァルはアダを連れてぺートゥルが乗り捨てたトラクターを取りに行き「事件」が起きます。「ぺートゥルが乗り捨てたトラクター」というところがキモ。アダが生まれたことが第一の事件とすれば、第二の事件ということになります。頭は山羊、身体は人間という牡山羊が現れイングヴァルを(マリアが母羊を撃ち殺した銃で)撃ち殺し、アダを連れ去ります。雄山羊はアダの父親であり、アダの母親の仇をとったと想像されます。話としてはこれだけです。

 以下、勝手な解釈です。ぺートゥルという第三者が現れたことによってマリア、イングヴァル、アバの三人の「幸せ」は危機に瀕し、マリアはぺートゥルを追い出すことによって「幸せ」を護ろうとします。ところが、ぺートゥルが去ったことでアバという虚構=幻想は護られますが、新たな幻想=アバの父親という幻想を呼び寄せてしまいます。牡山羊はアバを連れ去りますから、ぺートゥルはマリアの幻想を破壊したことにもなります。映画の構造は、
アバという幻想→→→子羊という現実→→→イングヴァルの死という幻想or新たな現実
        ↑         ↑
   ぺートゥル登場    ぺートゥル退場

 頭は羊、身体は人間という獣人は、イングヴァルが生み出した「幻想」です。勝手に解釈すれば、幻想が人間という存在を存在たらしめている、第三者という現実は幻想を破壊する、という映画です(アバが生まれたのはクリスマス、羊はイエス、山羊は悪魔の象徴ですから、キリスト教の神話世界かも知れませんが)。

 面白くも何ともない映画ですが、頭の体操にはなりますw。北欧の映画はなかなか意味深です。ちなみにアイスランドの人口は35万、羊は人口の2倍以上いるそうです。

監督:ヴァルディマル・ヨハンソン
出演:ノウミ・ラパス、 ヒルミル・スナイル・グドゥナソン、 ビョルン・フリーヌル・ハラルドソン

タグ:映画
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