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加藤陽子 それでも、日本人は「戦争」を選んだ 日清戦争~第一次世界大戦 (2009新潮社) [日記 (2023)]

それでも、日本人は「戦争」を選んだ 日本は、日清、日露、第一次世界大戦、大平洋戦争と4回の戦争をしています。何故戦争をしたのか?、中高生に向けた五日間の集中講義です。全部で5章、

序  章:日本近代史を考える
第1章:日清戦争 「侵略・被侵略」では見えてこないもの
第2章:日露戦争 朝鮮か満州か、それが問題だ
第3章:第一次世界大戦 日本が抱いた主観的な挫折
第4章:満州事変と日中戦争 日本切腹、中国介錯論
第5章:大平洋戦争 戦死者に死に場所を教えられなかった国

日本の帝国主義
日本の植民地はすべて、その獲得が日本の戦略的利益に合致するという最高レベルでの慎重な決定に基づいて領有された。(マーク・ピーティー)
(マーク・ピーティー)先生の言葉のなかで大事なのは「戦略的」というところでしょうか。確かに日本が獲得した植民地を考えてみると、ほぼすべて安全保障上の利益に合致する場所といえますね。台湾を考えてみれば、そのすぐお向かいに中国の福建省がありますし、台湾と福建省の間の海域は台湾海峡となっており、ここは海上の輸送を考えたときに重要ですね。 また、朝鮮半島と日本の間の海域は朝鮮海峡で、これはもうシュタイン先生直伝の重要ポイントです。(p192)

 シュタイン先生とは,伊藤博文が明治憲法を作る際に教えを受けたローレンツ・フォン・シュタインのことで、山縣有朋もシュタインから朝鮮半島の安全保障上の重要性(主権線、利益線)を教わっているそうです。シュタインは、ロシアが南下して朝鮮に不凍港を持てば東アジアの安全保障は大きく変わる、朝鮮の中立が日本の安全保障とって何よりも大事だと山縣に教えます。
 以後の日清戦争から大平洋戦争まで、日本が戦った戦争は「安全保障上の利益に合致する場所」を確保する戦争となったいうのが、本書の要旨です。それは、戦争に勝った講和条約に顕れていると言います。結果から原因を類推しようというわけです。

日清戦争:台湾と澎湖諸島を割譲させ、朝鮮国を「完全無欠なる独立自主の国」であることを清に認めさせ清から切り離す。(1885下関条約)

日露戦争:関東州(旅順・大連の租借地)、中東鉄道南支線(長春・旅順間)、と付属の炭坑、沿線の土地を獲得、樺太南部の割譲。満洲・朝鮮からの撤兵し、朝鮮半島に於ける優越権を認めさせる(1905ポーツマス条約)

 19世紀~20世紀初頭は帝国主義の時代で、列強は世界各地で植民地を獲得してゆきます。植民地が、自国産品のマーケットや原材料に供給地、過剰人口の解消先の地とするなら、朝鮮、関東州、南洋諸島など植民地には当てはまらず、「安全保障上の利益に合致する場所」と考えた方がよさそうです。当時の朝鮮半島にマーケットは存在せず、日本の工業に利する原料も少なかったと思われます。朝鮮は中国の朝貢国であり、国王がロシアの公使館に逃げ込む前科のある国ですから、朝鮮が日本の友邦となれば、マジノ線は対馬海峡から鴨緑江まで北上するわけです。
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第一次世界大戦:山東半島の旧ドイツ権益と、赤道以北の旧ドイツ領のパラオやマーシャル諸島などの南洋諸島を委任統治(1919ベルサイユ条約)

 日本は欧州の戦争に無理矢理参戦し、連合国として勝利の果実を得ます。「山東半島の旧ドイツ権益」は、ドイツの青島租借地と山東半島に敷設した青島〜済南の膠済線を指します。

日本は中国になにかあった場合、 山東半島の南側の付け根にある膠州湾や青島などに上陸して、そのあとは鉄道で西に進んで、軍隊をバーッと済南まで運んでしまえば、中国の鉄道で天津、北京というルートで北京まですぐに北上できる。 それ以前の日本が北京に達するためには、まずは朝鮮半島の仁川に上陸し、そこから鉄道で満州の安東まで行き、そこから奉天、錦州、山海関を越えて天津、北京という陸のルートをたどるしかなかた。(p205)

 なるほど、では南洋諸島は?。これはアメリカに対する安全保障だそうです。アメリカが仮想敵国?、大平洋戦争でグアム、サイパンが戦場になったわけですから、日米が戦えば南洋諸島が戦場になります。

低賃金で働く日本移民はアメリカ社会の一体性を混乱させる者と考えられ、1907年には日本人移民を排斥する「連邦移民法」が可決されます。「ロシアを打ち負かした好戦的な国家というイメージが、急速にアメリカ社会のなかでふくらんでいった」と言います。
・・・日米関係がぎくしゃくしているとき、西太平洋の島々を持っているのがドイツであることの重要性に日本は気づいたことでしょう。たとえば、マリアナ、パラオ、カロリン、マーシャルなどのミクロネシアは、アメリカが太平洋を横断してくる際のルート上にある島々です。・・・日本海軍は一九一四(大正三)年の九月から十月の、 非常に短期間の戦闘でドイツ領の島々を占領してしまいます。(p199)

 日露戦争が終った時点で、日本の安全保証について「帝国国防方針」(1907)が策定されます。この時点の仮想敵国は依然ロシアですが、1918年の改訂でアメリカ、中国が加えられ、1923年の改訂では仮想敵国の第一はアメリカ。大平洋の安全保障のため、南洋諸島を押さえる必要があったわけです。 →続き

タグ:読書
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