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林望 謹訳源氏物語(29)夕霧、御法、幻 [日記(2013)]

Genji_Kaisetsu_03.jpg 源氏物語絵巻(夕霧)五島美術館
 
《夕霧》
 
 役職でしか呼んでもらえなかった左大将にやっと名前が付きます、『夕霧』です。玉鬘の夫の髭黒などは、登場と同時に「髭黒」だったわけで、この物語の中心人物のひとりに今まで名前が無かったというのは、作者も冷たいですね。もっとも、源氏の親友・致仕大臣」(ちじのおとど)も、源氏の弟も蛍兵部卿宮ですから、遅ればせながら名前が付くというのは破格の扱いなのかもしれません。それにしても『夕霧』とは女性のような名前ですね。
 
【大将の色好み】 
 さて、落葉の宮に懸想した夕霧の話しです。柏木に頼まれたとか理由をつけて、落葉の宮に接近を図っています。

〈ここへ来て俄かに手のひらを返したように恋慕めいたことを生々しく口にするというのも、いかにも気恥ずかしいことだし、せめてただ、わが深い心のほどをご覧いただいて、そのうちには、きっとお心を開いてくださることも、まあ、なくはないだろう……〉と思いつつ、なにかにの事にかこつけて接近を試みては、落葉の宮の気配や応待の様子を観察している。

なんとか落葉の宮に近づこうとしますが、本人も嫌がり、一条御息所の邪魔が入り未だに会えません。やがてチャンスが訪れます。

その頃、母御息所は、物の怪病みのためにひどく具合が悪くなり、比叡山の麓、小野の里というあたりに山荘を持っていたゆえ、そこへ療養に出かけていった。

 田舎の山荘であれば、お供の女房なども少なくてチャンスがあるだろうというわけです。大将は、加持祈禱の僧にお布施や僧衣などを手配し、ここぞとばかり御息所にゴマすります。「将を射んと欲すれば先ず馬を射よ」です。落葉の君は、御礼の手紙を書かないとダメですよと女房たちにせっつかれていやいや手紙を手紙を出し、以後手紙のやり取りが始まります。といっても、大半は御息所ですが。
 
【雲居の雁、嫉妬す】 
 で、手紙が北の方雲居の雁に見つかってしまいます。

〈やっぱり、しまいにこんなことになりはしないかと案じていたとおりの関係になってしまったわ……〉
と、すっかり様子を察した雲居の雁は、まことにご機嫌が悪い

 左大将は実直男(まめおとこ)とその誠実さが評価されています。惟光の娘の藤典侍や、女房とも関係があります。そいう浮気については問題にならず、落葉の宮との浮気(未だ浮気になってませんが)にはヤキモチを焼くのです。

 「色好み」が文化となった平安時代に、「嫉妬」という感情はどうなっていたのかです。源氏などは、六条院というハーレムまで作って妻妾同居です。紫上、明石の御方、花散里が反目しあっているかというと、嫉妬のシーンはあまり描かれていません。源氏物語では、六条御息所を別格とすれば、紫上の嫉妬が一番多く描かれています。源氏が朧月夜と会ったり玉鬘を邸に連れてきた時などは嫉妬を隠しません。また朝顔の君にもライバル心を持っています。
 紫上の嫉妬が一番激しかったのが、三の宮降嫁です。紫上は、正式には源氏の正妻ではありませんが、周囲は北の方として遇し、六条院の女主人です。源氏と三の宮が正式に結婚すると、六条院の主としての地位が脅かされます。紫上は心痛のあまり病に倒れてしまいます。
 中村センセイによると、この時代、階級間に嫉妬は存在しなかったらしいです。大将が、惟光の娘や女房たちといろいろあっても嫉妬の対象とはならず、相手が同じ階級の落葉の宮だと大問題、激しい嫉妬が起こるわけです。
 
【落葉の宮の拒絶】 
 大将は、御息所の見舞いだと理由をつけて小野の里に足しげく通います。ある時、

そこと思われるあたりから、たいそうおしとやかに身動きする衣擦れの音などが聞こえてきて、左大将は
〈お、あれは……〉
と耳をとめた。すると、すっかり心もうつろになってしまった。間を取り次ぐ女房たちが大将のもとを立って宮のもとへ去り、しばらく間が空いた。このひまに左大将は、かねて知らぬ仲でもない少将の君や、そのほか宮に近侍の女房たちを相手として、なにくれとなく物語など

している落葉の宮の声を聞いてしまいます。なおも聞いていると、

「左大将さまがあれほどにまでお訴えになっているのに……お返事をなさいませぬでは、まるでなにもお解りのないように見えますものを」  こんなことを宮に訴えている女房の声も聞こえてくる

それ(大将の落葉の宮への想い)を聞いていた女房たちは、 「宮さま、まことにごもっともでございますよ」  と、口を揃えて加勢する

 落葉の宮が大将に礼状をいやいや書いたのも、女房たちのアドバイス。源氏も柏木も、女房たちをてなずけ、彼女たちの手引によって恋の想いを遂げています。紫式部も女房ですから、この機微はよく知っていたでしょう。
 しかし落葉の宮のガードは固く、この日は空振り。

 ついに念願の逢瀬が実現します。

大将はたくみに探り求めつつ、宮の衣を摑んで引き留める。
落葉の宮は、かすかに聞こえるほどの弱々しい声で、こう抗弁しながら、消え入りそうに泣いて、

    われのみや 憂き世を知れるためしにて  
濡れそふ袖の 名をくたすべき

抗弁も歌です。そんなことしている場合ではないのですが、優雅ですねぇ。

わたくしはとりあえず帰りますが・・・わたくしにも覚悟がございます・・・
その時には、今日のように最後まで理性的に振舞うことなどできぬかもしれぬ……いざそうなったら、さあどうなることか、
なにやらけしからぬ振舞いに及ぶというようなことだって、生まれて初めてするかもしれません……

根が真面目な大将ですから強引に迫ることはせず、今回はこんな「捨てセリフ」を残して一旦は引き下がります。こうした話が御息所の耳に入り、

ひとたび立ってしまった浮き名を、わざわざ良きようにとりなしてくれる人などありはしないもの・・・
いっそ宮を大将に縁付けようかと、御息所は思い始めてもいる

というなかで、御息所が亡くなってしまします。
 
【落葉の宮、籠城す】
 夕霧は、御息所の法要を取り仕切り、落葉の君を一条の邸に戻します。宮は小野の里で御息所の菩提を弔って過ごしたかったのですが、夕霧にしてみれば、宮を一条に戻せば通いやすいという下心です。邸を整えて落葉の宮を戻し、女房たちを手なづけ、「聟」然として通います。落葉の宮は嫌でたまりません。夕霧は、地位もありイケメンで、あれこれ世話をしてくれるのですから、この辺りでそろそろ・・・とも思うのですが、相当嫌われているようです。夕霧は少将の君の手引で宮の寝所にしのび入ります、

大将を手引きして引き入れるような、こんなにも思いやりのない、そして考えの浅い女房どもの心よと、癪にも障るし、また薄情な者どもだと思いもして、〈えい、もはやこうなったら、あの者たちがどう思おうと構わぬ、幼稚なことだと騒ぐなら騒ぐがよい〉と思って、塗籠に隠れ入る。

 塗籠?、goo辞書によると塗籠とは「寝殿造りで、母屋(おもや)の一部を仕切って周囲を厚く壁で塗り、明かり取りと妻戸を設けた部屋。寝所または納戸として用いた」ものだそうです。寝殿作りというのは開放的な建物ですが、その中に土壁で仕切った納戸があり、ここに逃げ込めば外からは手出しができません。たしか『竹取物語』にも同じようなシーンがあったはずです。
 
p42.jpg 塗籠(寝殿造り) 風俗博物館
 
「どうか、ほんのちょっと、細く隙間をだけでも開けてくださいませぬか」  と、懇願などしてみるけれど、返事すらない。
もはや、これ以上宮を強いて宥め賺(なだめえすか)そうというような気も起こらず、ただため息ばかりついて夜を明かしてしまった。
 
これ、笑いますね。結局この日も想いを遂げることができず、すごすごと引き上げます。
 
 【夫婦喧嘩】 
 旦那に朝帰りされたのでは黙っているいるわけにはいきません。夕霧は、あれこれ言い訳して雲居の雁の機嫌を取ろうとしますが、

このまま戯れごとにしてしまおうとする。 が、それが火に油を注いでしまった。

 「何よ、その言いかた。へんなことばっかり言ってないで、そのまま死んじゃってよ。わたくしも死にます……死んじゃうんだから。
もう、その顔を見れば憎たらしいし、言うことだって聞けばかわいげないし。……でも、わたくしが一人先に死んじゃったら、後に残ったあなたのお世話をする人もいなくなっちゃうから……」

 またまたリンボウ先生の名訳です。原文はどうなっているのか気になります。

何ごと言ふぞ。おいらかに死にたまひね。まろも死なむ。見れば憎し。聞けば愛敬なし。見捨てて死なむはうしろめたし

この原文が、リンボウ先生の手にかかると、「何よ・・・」というのような名訳になるのです。
 雲居の雁と夕霧は幼馴染でオシドリ夫婦。たしか2歳年上の姉さん女房です。実直男と言われる夫に安心していたところが、あろうことか兄の未亡人に惚れ込み、その元に通うという想像外の事態に逆上したわけです。
 
 籠城した落葉の宮のその後です。夕霧は女房の少将の君に手引を頼み、鍵を掛けていない女房用の戸口から忍び入り、寝所に近づきます。ところがなかなか進展がありません。三の宮に対した柏木のようにはいきません。なにをやってるんだ夕霧は →ヤキモキすることもないですが。
 やっと塗籠に侵入したのに、夕霧は無理矢理の直接行動に出ません。夕霧という人は基本的に実直男です。

夕霧の胸中には、三条の本邸の雲居の雁が今ごろさぞ悲しんでいるだろうということや、昔、互いに何の隔心もなく愛しあって幸せだった頃のことや、もう長いこと妻が無条件に信頼を寄せてくれて、ほんとうに気を許して過ごしてこられたことや、それからそれへと思い出されてくる。

それなのに、わざわざ自分から求めてこのような煩わしいことに足を突っ込んでしまって、こんな砂を嚙むような思いをすることになったのは、なにもかも自分の不心得ゆえだ……などなど思い続ける。そうなると、もはや、これ以上宮を強いて宥め賺そうというような気も起こらず、ただため息ばかりついて夜を明かしてしまった。

「じゃぁ止めれば」、と言ってやりたくなります。
 
【塗籠の情事】 

その時、夕霧は、宮が引き被った衣を一気に引きのけた。 
…………  やっと思いを遂げて後、わが腕のうちの宮の、それはもうひどく乱れてしまっている髪の毛を、やさしく手で搔き上げなどしながら、夕霧は、初めて宮の顔をちらりと見た。 すると、貴やかで女らしくて、飾り気のない生のままの美しさを持った人だ……と思えた。  

いっぽう、男の風姿は、きちんと正装した時よりも、ゆったりと打ち解けた姿に魅力があって、どこまでも汚なげのない美男ぶり、と女の目には見えた。

 大事なシーン(笑)なので原文をあたると、

うちは暗き心地すれど、朝日さし出でたるけはひ漏り来たるに、 埋もれたる御衣ひきやり、いとうたて乱れたる 御髪、かきやりなどして、 ほの見たてまつりたまふ。

いとあてに女しう、なまめいたるけはひしたまへり。 男の御さまは、うるはしだちたまへる時よりも、 うちとけてものしたまふは、限りもなうきよげなり。

 このシーンは、夕霧が「思いを遂げた」後のシーンなんですね。前段で、睨み合って夜を明かした落葉の君と、夕霧の思いが語られ、肝心?のシーンは描かれず、朝日がさしてくるこの場面になります。
 
 朝日が差してきて、夕霧は落葉の宮の顔を見るために衣を「引きやる」のです。ところが、リンボウ先生の名訳によると、
 「その時、夕霧は、宮が引き被った衣を一気に引きのけた。…………  やっと思いを遂げて」という書きよう、特に「一気に引きのけた。」「…………」という部分は夕霧が落葉の君に迫った部分で、その後「わが腕のうちの宮」を見る、というふうに読んでしまいました。私としては、こういう読み方のできるリンボウ先生の名訳を「支持」です(笑。
 期待?のシーンもこれだけです。柏木の時の様に、「欲望に身を任せた」などという下世話な表現はないですね。
 
【雲居の雁、実家へ帰る】 
 夕霧は想いを遂げてメデタシなのですが、雲居の雁はそうはいきません。

〈もう私たちの仲もこれっきりみたいね〉・・・〈この上は、もうこれ以上の無礼な仕打ちなど見たくもない〉と思って、実家の致仕の大臣の邸へ、いちおうは「方違え」という触れ込みで帰ってしまった。

 雲居の雁は、幼い子供と姫君だけを連れて実家に帰ってしまいます。夕霧が三条の邸へ戻ると、残された子供達が「お母さんがいない...」と泣いているわけです。この辺りは、『真木柱』と同じです。男の身勝手の被害者はいつも幼い子共たちだ、と紫式部は言っているようです。夕霧は、

〈さればよ、世の中ではみんな色好みなどと楽しそうに言うけれど、さて、どんな男がほんとうにこんなことを面白がるのであろうか〉と、なにやら懲り懲りというような思いがする。

今更言うなよなぁ、です。

雲居の雁のお腹には、太郎君、三郎君、五郎君、六郎君と四人の若君、また中の君、四の君、五の君と三人の姫君が生まれていたが、典侍のお腹には、大君、三の君、六の君と三人の姫君、そして次郎君、四郎君と二人の若君がある。

 源氏は子供に恵まれませんでしたが、夕霧は子沢山。雲居の雁との間には4人の息子と3人の娘、惟光の娘の藤典侍との間には娘3人息子2人、合計12人です。

 実家に帰った雲居の雁と夕霧はどうなるんだろう、想いを遂げたものの、心を許していない落葉の君との関係はどうなるのだろう...。

《御法》《幻》
 残りの『御法』『幻』の2帖は、光源氏の「残り火」のようです。紫上が亡くなり、

なにやら心の根太が抜けてしまったような気がして、源氏は、我ながら意外なほどにぼんやりしてしまったと自身痛感することが多い

源氏は、それこそ「空蝉」状態。(昔関係のあった)気に入った女房たちと思い出話などして

女房が語るのを聞けば、源氏も、ああそうであった、と痛切に思い出す
思い出はそれからそれへと紡ぎ出されて、夜もすがら、せめて夢の中にでも現われてきてはくれないか、せめて……またいつの世に、(紫上と)ふたたび巡りあうことができるだろうか、などなど、果てしもなく思い続ける源氏であった

あまりにも寂しさに堪えがたいときは、このようにただなんとなく、西北の御殿(明石の御方)のほうへちらりと顔を出して語り合う折々もあった。しかし、昔のように一夜の閨を共にするようなことは、もはや名残もなく絶えてしまったらしい。

 源氏52歳ですが、ほとんど晩年という書き様です。第2部終了しました。
 
【源氏INDEX】
 
・謹訳 源氏物語 1 桐壷、帚木、空蝉 夕顔 若紫
・謹訳 源氏物語 3 須磨 明石 澪標 蓬生 関屋 絵合 松風
・謹訳 源氏物語 4 薄雲 朝顔 少女 玉鬘 初音 胡蝶
・謹訳 源氏物語 5  常夏 篝火 野分 行幸 藤袴 真木柱 梅枝 藤裏葉
・謹訳 源氏物語 6 若菜上 若菜下-1 若菜下-2 
・謹訳 源氏物語 7 柏木 横笛 鈴虫 夕霧 御法 幻
 
・謹訳 源氏物語 8 匂兵部卿 紅梅 竹河 橋姫 椎本 総角
・謹訳 源氏物語 9 早蕨 宿木 東屋
・謹訳 源氏物語 10 浮舟 蜻蛉 手習 夢浮橋

kindleで源氏物語:リンボウ先生の現代語訳
・kindleで源氏物語:国語辞書
 

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