映画 眼下の敵(1957米) [日記(2016)]
「潜水艦映画に外れなし」といわれますが、その元祖のような映画です。クルト・ユルゲンスvs.ロバート・ミッチャムがUボートと駆逐艦、海中と海上に分かれて知謀をつくして戦うという戦争映画です。
それぞれの艦長、マレル艦長(ロバート・ミッチャム)とシュトルベルク(クルト・ユルゲンス)の描き分けが面白いです。
新任のマレル艦長は、出航以来部屋に閉じこもり、船酔だ、民間人出身はこれだから云々と乗組員に噂される新米艦長として登場します。元貨物船の三等航海士で、英国で結婚した妻を自分の船に乗せて故国に帰る途中Uボートに撃沈され新婚の妻を失ったという過去があります。目の前で妻を亡くしマレルの台詞です、
何事も永続しないという苦い真実を知った。悲惨と破壊に終わりはない、敵は我々自信の中にあるのだ。
民間出身の艦長ですから一味違うということです。
一方のシュトルベルクは、二つの世界大戦をUボートに乗って戦ったという古強者。「総統が命じ我らが従う」という標語を苦々しく見上げ、共に戦ってきた副長ハイニに嘆息します。
前の大戦ではUボートの少尉として誇りを持てたが、この戦争にはいいところがないこの戦争に栄誉はない、勝っても醜悪だ。無益な戦争だ、道理は曲げられ目的も不明確だ
と戦争を批判し、艦内でこれ見よがしに『我が闘争』を読む部下を冷ややかに見つめます。「ワルキューレ」など多くのヒトラー暗殺計画は、国軍の将軍、将校によって計画され実行されています。ドイツの軍人がすべて狂信的なナチスだったわけではなく、クルト・ユルゲンス演じるシュトルベルク艦長の存在は、何もハリウッドの創作ではなく、十分あり得た人物です。
妻を戦争で亡くしたマレルに対し、シュトルベルクはこの戦争でふたりの息子を失っています。
シュトルベルク艦長はまた、この『眼下の敵』そのものを語っています。
今は潜望鏡が距離や速度を教えてくれる。機械が回転し電気が答えをはじき出してくれる。人間が間違う余地がない、人間的な過ちは失せ戦争から人間味が失せた
と。この映画で描かれるのは、シュトルベルクが嘆く「電気が答えをはじき出してくれる」戦いではなく、「人間的な過ち」も含むふたりの人間の頭脳戦でもあるわけです。
肉親を戦争で失うという苦しみを味わった「人間」が、敵味方として戦うわけです。このふたつが『眼下の敵』の背景です。
Uボートは、進路140を進み英国の暗号書を受けとる命令を受けています。マレルはこの進路140を読み先回りして攻撃を仕掛け、シュトルベルクは駆逐艦の攻撃を回避し魚雷で応戦しながら進路140を進みます。進路140がストーリーの軸です。
駆逐艦と至近距離のすれ違い、爆雷を受けて軋む船内、潜水リミットを越える300mの海底に身を潜め配管から海水や油が吹き出す、など潜水艦映画で描かれる定番は全部入ってます。
駆逐艦の爆雷攻撃のストレスから乗組員が錯乱します。シュトルベルクはレコードをかけ乗組員にレコードに合わせて歌うように命令します。潜水艦の位置を敵に知れる危険より、乗組員の恐怖を和らげることを選択したわけです。「乾杯だ、人生と笑いと歌に...」と合唱が起こり、乗組員の顔に生気が戻ります。まぁドラマです。
アメリカ映画ですが、駆逐艦がUボートを沈めるという展開にはなりません。マレルの戦術を読みきったシュトルベルクの魚雷が駆逐艦に襲いかかり、浮上したUボートを駆逐艦が逆襲し共に沈没、相討ちです。
クルト・ユルゲンスとロバート・ミッチャムの二大スターを起用したわけですから、ラストはマレルが沈みゆくUボートからシュトルベルクや乗組員を救助。米海軍に花を持たせたヒューマンドラマとしてエンド。
1957年の映画ですから古くささは否めませんが、「潜水艦映画にハズレなし」です。
監督:ディック・パウエル
出演:クルト・ユルゲンス ロバート・ミッチャム
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