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島崎藤村 夜明け前 第一部(上) [日記(2018)]

夜明け前 (第1部 上) (新潮文庫) 夜明け前 01 第一部上  坂野潤治、大野健一の『明治維新』によると、明治維新を準備したものは成熟した江戸社会であり、政治経済的成熟とともに教育の普及や富裕な商人層の台頭も重要な因子であるとのことです。そうした富裕層や地方の読書階級が支えた「国学」は、尊皇攘夷思想に影響を与え、維新の原動力になります。
 幕末から明治を舞台に、中山道、馬籠宿の当主・青山半蔵を主人公にしたは『夜明け前』は、格好のテキストになるのではないか、小説ですが「気分」として幕末~明治の富裕知識層の姿を写しているのではないか、と思われます。

馬籠宿
 参勤交代の他、彦根 より大老就職のため江戸の任地へ赴く井伊掃部頭、江戸より老中・間部下総守、 林大学頭、監察・岩瀬肥後守、等々が馬籠本陣に泊まり休息します。

 将軍 上洛 の日も近いと聞く新しい年の二月には、彼は京都行きの 新撰組 の一隊をこの街道に迎えた。一番隊から七番隊までの列をつくった人たちが雪の道を踏んで馬籠に着いた。いずれも江戸の方で 浪士 の募集に応じ、尽忠報国をまっこうに振りかざし、京都の市中を騒がす 攘夷 党の志士浪人に対抗して、幕府のために粉骨砕身しようという剣客ぞろいだ。一道の達人、諸国の脱藩者、それから 無頼 な放浪者なぞから成る二百四十人からの群れの腕が馬籠の問屋場の前で鳴った。

清川八郎の浪士組までが馬籠を通過します。半蔵と近藤勇の会話でもあると面白いのですが、さすがそういうサービスはありません。
 飛脚や荷を積んだ牛馬が行き交う宿駅が、如何なる存在であったかがよく分かります。ペリーの来航は日ならずして伝わり、大砲を曳いた一団が通り、長崎奉行に命じられ水野筑後一行が本陣に宿泊し、馬籠に様々な情報をもたらします。宿駅は、物だけではなく情報の集散基地でもあったようです。宿駅を預かる半蔵も父親の吉左衛門も行政の末端に連なる身分ですから、井伊掃部頭や老中・間部下総守と直接話すことはなかったにしてもです。

助郷
 助郷とは、幕府が参勤交代などの折り、人足や馬を宿場周辺の村々から徴発する「夫役」のことです。例えば、尾張藩主の江戸出府に際しては、

 木曾 寄せの人足七百三十人、 伊那 の 助郷 千七百七十人、この人数合わせて二千五百人を動かすほどの大通行が、三月四日に馬籠の宿を経て江戸表へ下ることになった。宿場に集まった馬の群れだけでも百八十匹、馬方百八十人にも上った。
 黒船の渡って来た嘉永年代からは、諸大名公役らが通行もしげく、そのたびに徴集されて 嶮岨 な木曾路を往復することであるから、自然と人馬も疲れ、病人や死亡者を生じ、 継立てにもさしつかえるような村々が出て来た。

 幕末になると往来が激しくなり、この助郷が村落の負担となってきます。庄屋を動かし、馬籠、妻籠など連名で幕府に助郷減免の嘆願書を差し出します。

 徳川様の御威光というだけでは、百姓も言うことをきかなくなって来ましたよ

 木曽の片田舎でも「徳川様の御威光」は確実に衰えてきたわけです。

神奈川条約
 「神奈川条約」によって横浜が開かれ、国際化の波は木曽の奥深い宿場まで押し寄せます。開港による大幅な輸出超過によって国内の物資は不足し、金銀交換比率が世界水準に比べ大幅に銀高だったことにより金が流出し、庶民の暮らしにインフレーションが直撃します。

 銭相場引き上げの声を聞き、さらにまた 小判 買いの声を聞くようになった。古二朱金、保字金なぞの当時に残存した古い金貨の買い占めは地方でも始まった。きのうは馬籠 桝田屋 へ 江州 辺の買い手が来て 貯え置きの保金小判を一両につき一両三分までに買い入れて行ったとか、きょうは中津川 大和屋 で百枚の保金小判を出して当時通用の新小判二百二十五両を請け取ったとか、そんなうわさが毎日のように半蔵の耳を打った。金一両で二両一分ずつの売買だ。それどころか、二両二分にも、三両にも買い求めるものがあらわれて来た。

 中津川の商人は、横浜の外国商人に生糸百匁が一両で売れることを知り、生糸を集めにかかります。百匁一両が後に六十匁一両まで高騰しますから、国内の相場も上昇。生糸の他、漆器、茶、油、銅などが輸出され、品不足に陥った国内では物価が上昇します。

 銭相場引き上げに続いて、急激な諸物価騰貴をひき起こした横浜貿易の取りざたほど半蔵らの心をいらいらさせるものもない。

と半蔵を嘆かせます。

国学
 半蔵は、11歳で『詩経』の句読を受け、13歳のころ、父について『 古文真宝』の句読を学び、『 四書』を読み、15歳で『易書』や『春秋』の類 にも通じるようになります。15歳で儒教の古典である「四書五経」を読んでいたことになります。父吉左衛門から和算を習い、漢学だけではなく数学まで習得します。

 さらに、半蔵の興味は「四書五経」を批判的に捉えた国学に及び、木曽谷の友人とともに中津川の医師・宮川寛斎からこれを学びます。当時、国学は洋学と並ぶ新思潮であり、朱子学に飽きたらない若者を引き付けたものと思われます。国学は、平田篤胤によって復古神道という宗教色の強いイデオロギーとなり、西洋列強の圧力を憂う人々のナショナリズムに火をつけます。半蔵は、後に平田篤胤の後継者・平田鉄胤に弟子入りし正式に国学の徒となります。

 中津川、馬籠など木曽の読書階級の間では、国学研究の勉強会が催され、平田鉄胤『古史伝』三十一巻の出版までも計画されるという国学ブームが起きます。勤王を志す鉄胤が京都に居を移すと、半蔵の国学の同志で中津川本陣の香蔵、景蔵など鉄胤の後を追う者も現れます。近藤勇や土方歳三は豪農、吉村寅太郎は庄屋、清川八郎は郷士の出ですから、本陣の息子が京都に走っても不思議はありません。時代は、危機意識を持った富裕の読書階級も国事に走る気分の中にあります。
 病身の父と本陣、庄屋、問屋の職務を抱える半蔵は、馬籠を捨てることができず鬱々とした日々を過ごすことになります。

 坂本龍馬や西郷隆盛など維新の英雄が登場する小説は数多く読んできましたが、無名の庶民の幕末維新もなかなか面白いです。助郷のエピソード、横浜開港が木曽谷まで影響を及ぼすエピソードは新鮮です。

タグ:読書
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