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映画 緑の光線(1986仏) [日記(2018)]

緑の光線 (エリック・ロメール コレクション) [DVD]  原題、”Le Rayon Vert”。パリの若い女性のヴァカンスの顛末を描いています。というか、若い女性がペチャクチャお喋りする映画です。ほんとうによく喋ります。

【バカンス】
 デルフィーヌ(マリー・リヴィエール)は、間際になって友人からギリシアへのヴァカンス旅行を断られます。フランス人にとっては「人間が生きていくため必要なもの」だそうですから、1ヶ月もあるバカンスをパリで暮らすなどとんでもない話。特に若い男女にとっては、バカンスは”aventure”に他なちません。デルフィーヌがピアリッツで出会うスェーデン娘などはその典型で、男との出会いを求めてフランス、スペインを旅行しています。恋人と別れたデルフィーヌのバカンスの目的もそれに他なりません。恋人と別れて2年、この夏もまたひとりかと思うとため息が出るわけです。
 一人で旅行するのは嫌、団体旅行も嫌、でも男とは出会いたいと逡巡するデルフィーヌは、友人に「白馬に乗った王子様の出現を待つか、行動するか?」と言われていしまいます。

【シェルブール】
 友人の一人が、デルフィーヌをシェルブールの別荘に誘ってくれます。友人の家族に囲まれてそれなりのヴァカンスなのですが、一人で海で泳ぎ、食事では菜食主義だと肉料理を断り、ヨットに誘われても酔うからと断ります。
 君に何か言うと 返事はいつもこうだ
 興味ないわ やめておく
と家族は評します。男が声を掛けてきますが、何だかんだ言って一歩が踏み出せず、ヴァカンスを楽しめないデルフィーヌはパリに戻ります。

【ビアリッツ】
 パリに帰っても孤独。元恋人の滞在する山岳地帯(アルプス?)に向かいますが、再開をためらい会わずにパリに戻り、友人の誘いでビアリッツに向かいます。ホテルの一室でひとり食事を摂り、砂浜でひとり日光浴。
 浜辺でスェーデン娘と出会います。彼女は男との出会いを求め(男をヒッカケに)ひとりでフランス、スペインを旅行しています。デルフィーヌは、
 私には何もない 何かあればとっくに恋人はできている
 取り柄があれば 人も寄ってくる 恋人に捨てられたのも 自分のせい
 誰も近づいてこないのは 私に何の価値もないから
と涙を流す始末。恋人とは、別れた、振ったから捨てられたに変化していますから、これがデルフィーヌの本音でしょう。スェーデン娘はデルフィーヌのために男をひっかけますが、臆病な彼女はホテルに逃げ帰ります。一歩が踏み出せない、冒険が出来ない。臆病というよりも、自意識過剰でしょう、それは。

 ピアリッツで、道端のオバサンたちの会話から「緑の光線の」の意味が明らかにされます。「緑の光線」は、太陽が沈む時に見られる珍しい現象で、それを見た人は幸福になれるという言われているそうです。

【リュズ】
 パリに帰るために駅で列車を待っていると、デルフィーヌが読んでいたドフトエフスキーの『白痴』が契機となって(そんな本読んでるから恋ができない?)、ひとりの青年と知り合います。ここまで来ると、デルフィーヌも自分の性格に嫌気がさしていたのかもしれません。青年はリュズに帰るところで、いい街だからとを誘います。デルフィーヌはついに一歩を踏み出します。ふたりはリュズで降り、岬に行って「緑の光線」を見るわけです。
緑の光線.jpg 緑の光線2.jpg
 これだけの話です。男に臆病な娘がシェルブール、アルプス、ピアリッツと放浪し、リュズで恋に出会った「かもしれない」という話で、その後どうなったのかは描かれません。キャサリン・ヘプバーンの『旅情(1955)』を連想します。面白いかというと、デルフィーヌに感情移入できるかどうかでしょうね。スレッカラシのオジサンには、小娘がゴタクを並べている?、という感想です。エリック・ロメール66歳の作品だということには脱帽します。私がタイトルをつけるとすれば、『見るまえに跳べ』(大江 健三郎)ですね。

監督:エリック・ロメール
出演:マリー・リヴィエール

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