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秋風秋雨人を愁殺す -秋瑾- [日記(2019)]

秋瑾 [DVD]  タイトルに凝ってみました(笑。中国の女性革命家・秋瑾を描いた『秋瑾 競雄女侠』(2011香港)という映画の話です。「秋風秋雨人を愁殺す」は、学生の頃出会った一句で、何処でどうやって知ったものかも忘れましたが、以来ン十年前、頭の隅に眠っていた言葉です。『秋瑾』を観て、これが秋瑾の辞世句だということを初めて知りました。武田泰淳に秋瑾を描いた小説があるらしいですが、書かしめたのはこの言葉の持つ魔力でしょう、タイトルも『秋風秋雨人を愁殺す 秋瑾女士伝』。

 秋瑾は、1875年は福建省の廈門に生まれ、1907年に武装蜂起計画が発覚して処刑されます。映画は、その処刑シーンから始まり、31年の女性革命家の生涯を描きます。中国映画ですからカンフーあり剣技ありで、女性革命家の映画というよりアクション映画の趣もあります。
 秋瑾は、纏足を拒否し詩文と格闘技に熱中する女性として描かれます。名家の王と結婚し王が売官で役人の地位を得たため北京に移住。この夫が、当時の役人の例にもれず遊んでばかりいるなまくら亭主。夫とふたりの子供を残して単身日本に留学します。秋瑾の生きた時代は、阿片戦争、日清戦争の敗北により国は疲弊し、戊戌の変法などの改革運動とそれを潰す保守派が入り乱れる清朝末期。秋瑾は、憂国と虐げられる女性のフェミニズムに突き動かされ日本に留学します。
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 当時の日本は、亡命した孫文を宮崎滔天、頭山満等が支援し、辛亥革命前夜という気運にあります。秋瑾は、その気運の中で孫文の革命団体「中国同盟会」に参加し革命思想を先鋭化させます。短刀を持つ和服姿の秋瑾の写真が残っています。短刀は、国と人民を喰い物にする清朝と女を虐げる男性に向けられたもの?、何とも凄まじい「女侠」の姿です。帰国した秋瑾は紹興で革命のための軍事訓組織「練大通学堂」を作り、日本で知り合った徐錫麟の蜂起に連座して死刑となります。孫文の辛亥革命の3年前のことです。

 映画を観て同情するのは、秋瑾よりもその夫・王と秋瑾を処刑した浙江省の県令ではないかと思います。王は秋瑾を妻としなければ安穏な一生が遅れたはずです。県令も辞世の詩を後世に伝えた程ですから秋瑾の意を汲みながら立場上処刑したことになります。イエスを処刑したローマ総督ピラトみたいなもの。

 映画として面白いかといえば、女性革命家の伝記をカンフーで味付けしたアクション映画に過ぎません。個人的は、「秋風秋雨人を愁殺す」の謂れが分かって大満足、いずれ武田泰淳の小説を読んでみます。

監督: ハーマン・ヤオ
出演:ホアン・イー

タグ:映画
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