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呉 善花 攘夷の韓国 開国の日本 ① --渡来人 (1996年文藝春秋) [日記 (2020)]

攘夷の韓国 開国の日本  『韓国併合への道』が面白かったので、引き続き呉善花氏。タイトルは『攘夷の韓国 開国の日本』ですが、現代の「渡来人」である著者が、古代渡来人の足跡を求めて飛鳥、北九州、出雲、相模・武蔵を旅する紀行です。
 著者は自身の経験から、日本に来た外国人(渡来人)は、渡来 →さすらい →日本化 →土着の4つ過程を経てこの国に定着すると仮説を立てます。

韓国版 「日本古代史」
 著者によると、韓国人の一般的な日本古代史に対する理解は、

1)「韓半島」「漢民族」を意味するとされる多数の歴史的な地名・人名・社寺名などは、膨大な数の百済人・新羅人・伽耶人・高句麗人などが日本各地に居住して生活や文化を展開していた。

2)寺院や仏像をはじめとする古代の飛鳥・奈良・京都の文化遺産のことごとくが韓半島のものを取り入れたものであり、韓半島から日本へ移住した知識人や技術者によって、あるいはその子孫たちによって作られたものである。

3)政治や仏教のあり方について、その法・制度・諸儀礼・服装などが韓式にのっとたものであり、多くの貴族・高級官僚・僧侶・学者などが韓半島人によって占められていた。

 故に、古代日本文化は漢民族がつくった、古代日本文化のルーツは朝鮮文化にある。・・・従って今日の経済発展を遂げた日本文化のベースは韓国人によってつくられたのである。

 というものだそうです。日本史で「渡来人」を習いますから、渡来人が日本に与えた影響は否定しませんが、「日本文化のベースは韓国人によってつくられた」というのは何処まで正しいんでしょう。
 高麗大学の崔在錫教授は、埴原和郎の「二重構造モデル」(だと思います)を使って奈良時代の人口の96%は渡来系であるという説を展開し、日本書紀等の記述から、大和王朝は百済が建てたものであり大和は百済の植民地でああったという説を唱えているそうです(『百済と大和倭の日本化過程』1990)。

 さらに面白いのは、金洪吉『日本人の韓民族に対するコンプレックス2000年--憎しみと侵略で一貫した敵対の歴史、その実相と原因』1993。タイトルだけで中身が想像できます。金氏によると、日本人の本体は、韓半島で生きられなくなって日本に渡った漢民族である。だからこそ本国の韓民族に対するコンプレックスと強い恨みを抱き、歴史的に韓国に対してさまざまな悪辣・野蛮な行為(三国時代の侵略、秀吉の壬申倭乱、日帝36年の支配などなど)を働き続けてきた。ということだそうです。ホモサピエンスのDNAに2.5%のネアンデルタール人のDNAが含まれている程度には、日本人は韓国人でしょうね。さりながら、韓民族に「コンプレックスと強い恨み」などつゆ程も抱いたことはありません。
 茶道からソメイヨシノまで元は韓国が発祥だという「韓国起源説」のある国ですから、ありそうな論です。著者によるとこれらの論は、民族を統合するための「反日」教育の一環であり、

反日教育の狙いは、36年間植民地支配にあまんじてきた「屈辱の歴史」を精神的に精算し、民族の誇りを回復することにあった。そのために、国内に「自民族優位主義」の思想を固め、日本民族対する漢民族の優位性を歴史的に示すことが重要なテーマとなったのである。

 李栄薫のいうところの『反日種族主義』です。「現代の渡来人」である著者は、これらの「妄想史観」を否定し自らの異文化体験を踏まえ、韓半島経由で渡来した文化が、どのように日本で受け入れられどのように日本文化となり、渡来人はどのように日本人となっていったか、を考える旅に出ます。

渡来人
 著者はまず飛鳥寺を訪れ飛鳥大仏(釈迦如来像)と対面します。仏像と伽藍建築が、韓半島の仏教文を化背景に、韓半島人の血を受け継ぐ人々によって作られたことに民族の誇りを感じて涙が出るほどに「嬉しく」なります。飛鳥寺は渡来人ともいわれる蘇我氏ゆかりの寺であり、大仏の作者も蘇我氏に連なる鞍作止利ですから、韓国人の著者が感激するのももっともです(蘇我氏と止利が韓国系渡来人であったとしてですが)。

飛鳥・奈良で多くの韓国人が感じるこの種の「嬉しさ」は、日本人を排除し、日本人の主体を抜きにした我田引水の「嬉しさ」になってしまうことが少なくない。実際、飛鳥・奈良の偉大な古代文明を生み出したのは「韓半島人と韓半島文化」なのであって、「日本人と日本文化」なのではない、といったエゴイスティックな民族幻想が、韓国人の間には広くいきわたっている。

 が、その「嬉しさ」を感じた瞬間、国内ではこんな深い感慨に耽ることのできるどんな対象もないことに気づいて唖然とする。・・・わが韓半島の先祖たちは、さまざまな理由があったにせよ、古代仏教文化の人為的な破壊と自然崩壊を推し進め、その大部分を灰燼に帰してしまったのである。

 自民族に対する皮肉は痛烈です。この皮肉は日本人にも向けられます。国宝級の作品が朝鮮民族の手で作られたと書く柳宗悦、「百済観音」の作者が朝鮮人か日本人かにこだわる和辻哲郎を引き合いに出し、「何人か」と言う目で歴史や文化を見るのは無意味ではないか、古代東アジア国際社会に生きた人々の営為を、現代的な民族意識に引きずり込んで価値づけようとすることは、きわめて暴力的な歴史意識だと批判します。
 日本書紀に書かれた渡来人は、四世紀初頭から五世紀初頭に日本にやってきた人々であり、飛鳥寺を建立した渡来系の人々は祖先が渡来してから100年150年は経っている、

六世紀半ばの時点で渡来人といわれた者たちの多くは、日本に土着して数世代から十数世代の歴史を持っている人々だということである。・・・従って、彼らは本当の意味ではもはや渡来人ではありえず・・・「先祖を外来のものとする伝承をもつ日本人」というべきなのだ。

至極もっともな話です。著者は鞍作止利の造ったとされる飛鳥大仏と法隆寺の釈迦三尊像の顔がアシンメトリーであることから、そこに非朝鮮、日本の美意識を感じ取ります。

飛鳥仏を造った鞍作止利は(在日)三世であり、彼をして「韓半島人の血を受けた者」という点を重視し、日本風土の中で「二代半」にわたって自己形成を遂げたことを軽視するのは、まったく不当である。

 現代の渡来人ならではの論考です。

続きます

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