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サラ・ウォーターズ エアーズ家の没落 (下) (2010創元推理文庫) [日記 (2020)]

エアーズ家の没落 上 (創元推理文庫)エアーズ家の没落下 (創元推理文庫)

 続きです。
ポルターガイスト
 名門エアーズ家の没落を描くゴシック風小説は、次第にホラー色を帯びてきます。内輪のパーティーで、何かに驚いた飼い犬が来客を襲ったことに始まり、ハンドレッズ館では不思議な事件が次々に起こります。夜中に電話がかかり受話器を取ると誰も出ず、電話局で調べると通話の記録は無い。誰もいない部屋から呼び出しのベルふが鳴り、使われていない部屋から伝声管を通じて異音が聞こえ、子供の落書きのような文字が壁に浮かび上がる、等など。メイドのベティーは、この家には何かかが「とり憑いている」と言い出す始末。長男ロデリックは、戦争のトラウマと領主館の主という重圧から精神に変調を来し、部屋に放火して自殺を図り精神病院送りとなります。エアーズ夫人は、幼くして亡くなったキャロラインの姉スージーの痕跡をかつての子供部屋で発見し、彼女の霊の存在を感じとります。スージーの霊にとり憑かれたようにエアーズ夫人が自殺するに及んで、ゴシック小説の『エアーズ家の没落』はホラーに転じます。

 医師ファラデーの友人は、亡くなった祖母の幽霊が父親のもとに現れ、叔父の危機を救った話をし、スージーの霊もありうると言います。またポルターガイストは識閾下にある抑圧された自我が身体から抜け出して起きる現象」だという説を披露し、館の怪奇現象を引き起こしたのはエアーズ夫人、キャロライン、ロデリック、メイドのベティの誰であっても不思議ではないと言い、ファラデー君であっても!と。

信頼できない語り手
 ファラデーはキャロラインに求婚し、独断で式の日取りを決めウェディングドレスを用意しますが、キャロラインは土壇場で婚約解消を宣言します。読者は、ファラディーが、ロデリックの入院、エアーズ夫人の自殺と打ち続く不幸の中で、愛するキャロラインを誠心誠意支えきたことを知っています。ところが、この「誠心誠意」は語り手であるファラディーがそう言っているだけです。「信頼できない語り手」だったとすれば、物語は別の様相を呈してきます。

「わたしを望んでいるの、本当に?」彼女は訊いてきた。「それとも、あなたが望んでいるものは、この領主館?、あなたはわたしに恋をしたと言ってくれたわね。でも、ハンドレッズ領主館がわたしの家でなかったとして、あなたは同じ気持ちを持てると、心から言える?、あなたは考えたんじゃないの、わたしとここで、夫と妻として住むことができると。領主様と奥方様として……あいにく、この館はわたしを望んでいない。わたしも望んでない。」

キャロラインは見抜いていたわけです。彼女はカナダかアメリカに移住するために家具や骨董を整理しハンドレッズ館を売りに出します。その最中、館の三階の踊り場から転落して死んでしまいます。
 以下ネタバレです。

勝手な謎解き
 検死審問が開かれ、キャロライン死は自殺と認定されます。再出発を目指した彼女は何故自殺せねばならなかったのか?。メイドのベティがキャロラインの死の様子を目撃しています。ベティは、深夜にキャロラインが三階へ上る足音で眼を目を覚まし、不審に思って部屋を出てみると、キャロラインはまるで顔見知りの人物を発見したかのように”あなた”と一言叫び、三階の踊り場から落ちる姿を目撃します。三階に誰かいたのかと問われ、幽霊がいたと言います、さらにこの幽霊は、

ジップ(犬)をジリアン・ベイカー = ハイド(パーティーの客)に噛みつかせたのは、その幽霊だ。さらに、幽霊は放火を始めて、そのせいでロデリック様は狂った。そのあと、幽霊は奥様に話しかけるようになって、ひどいことばかり言われたせいで奥様は自殺、した。そして幽霊は、とうとうキャロラインお嬢様まで殺してしまった。三階まで誘い出して、突き落とすか、脅かすかしたに違いない。幽霊はお嬢様に館にいてほしくなかったくせに、出ていってほしくなかった。この幽霊は意地悪で、館をひとりじめしたかった、のだ。

 これが、『エアーズ家の没落』の真相であり、作者は一言も言ってませんが、館をひとりじめしたかった「幽霊」とはファラデーに他なりません。「エアーズ家の没落」は終戦とともに始まっていますが、事件はファラデーがハンドレッズ領主館を訪れてから一年あまりの間に起こっています。館を自分のものにしたいファラデーは、ベティーが「この館は何かにとり憑かれている」と言った一言をヒントに、「ハンドレッズ領主館乗っ取り計画」を周到に準推し進めたわけです。

 異音やネズミか何かが原因で起こったベルの音、伝声管の異音を利用して、ロデリックとエアーズ夫人に館に霊がとり憑いていると暗示を与え、自殺へと誘導したと思われます。遺産相続人のロデリックを精神病院に入れて禁治産者にし、エアーズ夫人を娘の幽霊を演出して自殺に追い込んだところまでは順調に進みますが、キャロラインとの結婚で躓きます。彼女に乗っ取り計画を見抜かれて婚約破棄を宣言されたファラデーは、キャロライン殺害を目論みます。深夜に館に忍び込み、幽霊を装ってキャロラインをおびき寄せ殺害します。彼女がが叫んだ”あなた”とはファラデーのことだったのです。
 ファラデーは虫垂炎の患者を病院に運び、深夜車を止めて仮眠を取ります。この間に館に忍び込んで犯行に及んだのでしょう。検死審問において、医師として患者の手術が終わるまで病院に留まったという(誰もが想像する)アリバイを否定しないことからも、ファラデーの犯行が伺えます。館は内側から施錠されていましたが、エアーズ家の主治医であるファラデーは鍵を持っていたのです。
 検死審問で、自殺として事件を片付けたい検視官は、エアーズ家の主治医ファラデーから、キャロラインは狂気の果てに自殺した、という結論を引き出します。「信頼できない語り手」は、キャロライン殺害を「ほのめかし」さえしません。

 事件から3年後、売れ残った館を訪れたファラデーは当時を振り返ります。

かわいそうな、性質のいい犬のジップを思い出す。ロデリックの部屋の壁や天井に浮き出た、神秘的な黒い染みが頭に蘇る。エアーズ夫人の絹ブラウスの表面にぽつぽつと表れた、三つの小さな血の粒が目蓋の裏に浮かぶ。そして、キャロラインのことを考える。死の寸前の、月に照らされた吹き抜けに向かっていくキャロラインを。彼女の叫ぶ声を―「あなた!」

最後の最後で、作者はファラデーに自白させているようなものです。

ハンドレッズ領主館に仮に何者かがとり憑いていたとしても、私の前に姿を現してくれることはない。気配を感じて、何度、振り向こうと、落胆するしかない――私が見つめているのは、ひび割れた窓ガラスにすぎず、その向こう側から困惑したように、切望するように、食い入るように、こちらを凝視する歪んだ顔は、私のものなのだ。

そう、ハンドレッズ領主館にとり憑いてなのは「私」なのです。

タグ:読書
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