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李志綏 毛沢東の私生活 下(文春文庫1996) [日記 (2020)]

毛沢東の私生活 下 (文春文庫) 続きです。
七千人大会(1962)
 廬山会議で彭徳懐を失脚させ、抵抗勢力を封じ込めたものの大飢饉は続き、劉少奇のリカバリーで経済はなんとか復調しつつあります。毛沢東としてはこれが面白くないないわけで、党中央の実権派、劉と鄧小平追い落としを画策します。次なる仕掛けが、現場を仕切る下級幹部層よる「七千人大会」。煽動しやすい下級幹部を大量に集めたのがこの会議のミソ。

 この会議で、劉少奇は、大飢饉は天災ではなく人災であり、大躍進の「左翼冒険主義」を批判。周恩来は、知識人擁護を演説し、林彪は毛沢東礼賛一辺倒。鄧小平は、有名な「白い猫だろうと黒い猫だろうとどちらでもかまわない。鼠をとるのがよい猫である」と言ったかどうかは書いてませんが、人民公社の解体と農地請負制度、戸別耕作制による農業の立て直します。
 毛はこの大会に出席せず、人民大会堂第118号室の特大ベッドの上でくつろぎ、毛の楽しみのために集まった若い女たちと「休憩」し、議事録に読みふけっていたらしい。

 当然「七千人大会」の論調は面白くないないわけですが、大飢饉の責任は自分にあるという風向きは否定できず、生涯唯一の自己批判をします。その自己批判も、自分が間違っていたとは言わず、

 
直接的、間接的に党中央に帰せられるすべての誤りに私は責任を負っている。なぜなら、私が党中央の主席だからである」「私はほかの者たちがみずからの責任を逃れようとしてもいいと言っているのではない。実際に、ほかの者も多くが責任の一端をになっているのだ。しかし、私がまず第一に誤りに責任を負うべき人間だろう

と連帯責任にすり替え、一転、劉少奇や鄧小平の「農地請負耕作制」を攻撃しはじめます。この制度は、個人の土地所有に等しく資本主義の復活だというわけです。中国は資本主義復活の危険に直面しているとし、階級闘争によってそれと闘わねばならないと宣言します。かくして、プロレタリアートとブルジョアジーとの階級闘争の名のもとに、党内実権派(右派)から権力を取り戻す権力闘争、文化大革命が開始されます。

文化大革命
 発端は戯曲『海瑞罷官』。海瑞は時の皇帝の政治を批判して罷免となった明代政治家で、北京副市長・呉晗海瑞を賛美した戯曲を書き上演されます上海の評論家・姚文元は、海瑞罷官』は海瑞にことよせて

反革命分子などの名誉回復や集団化された農地の農民への再分配・人民公社解体を密かに訴えている

とこれを批判した論文を発表します。牽強付会、言いがかり、ゴマすりですが、7千人大会で大躍進が批判され、彭徳懐等の名誉回復が論議され、自己批判までさせられ退潮著しいた毛沢東はこの論文を梃子に巻き返しを図ります。毛は、妻の江青を利用し、「反『海瑞罷官』キャンペーン」を起こします。ことの発端となった上海に飛び、政治局常務委員会の拡大会議を招集し、学界、教育界はブルジョア知識人が何年にもわたって左派の意見と思想を弾圧してきたと主張し、文学、歴史、法律、済学における「文化革命」の発動を司令します。

毛沢東は二正面作戦をとっていた。政治局常務委員会に対し指導的なブルジョア知識人への批判を呼びかける一方、常務委員会と党指導層の外に出て自分のもっとも親しい盟友とくに江青と康生ら――を中心とする対立グループを育てあげつつ、政治局常務委員会と党中央書記処内にいる自分の敵を攻撃させた。前例のない工作であった。これまで毛沢東がこんな党中央の高官に対する全面攻撃を仕掛けたことはなかった。

 いよいよ「文化大革命」が始まります。なぜ学生等若者が毛の権力闘争に乗り煽動され、「文化大革命」の熱狂を生み出したのか?。フランス五月革命、コロンビア大学闘争、全共闘運動は1968年5月。いずれも時代の閉塞感を打ち破ろうとする若者の意思表示だったわけです。文化大革命は、大躍進の失敗に対する怒りが、共産党中央の右派打倒という形で現れたものと考えられますが、面白いのは、矛先が大躍進の提唱者・毛沢東に向かわず、大躍進に批判的な党中央の実権派に向かったことです。時の指導者に対する憤懣を毛は権力闘争に巧みに利用したことになります。

1966年7月29日の人民大会堂で行われた会議でのエピソード、

毛沢東はステージをあとにして意気揚々と一一八号室へひきあげた。周恩来が忠犬よろしくそのあとを追った。毛沢東は劉少奇や鄧小平に一瞥もくれず、その存在すら目に入らなかったごとくで、両首脳はただ茫然としてステージにとり残されたのだった。聴衆は毛沢東のメッセージを見落としようがなかった。主席は劉少奇、鄧小平から距離をおいたのであった。

周恩来が忠犬よろしくそのあとを追った、周恩来の姿を如実に捉えた描写かも知れません。

 三日後の八月一日、毛沢東は清華大学付属中学の若い生徒に手紙を書きおくる。若者の一グループが「紅衛兵」と名のる造反グループを結成していたのである。毛沢東はこの組織をほめたたえ、「造反は正しい(造反有理)」と述べた。毛の言葉は学生の刊行物に転載され、たちまち全土いたるところで若者たちのスローガンとなっていっ た。紅衛兵グループは全国の大学、高校、中学に続出しはじめる。

毛は学生たちを煽動します、「司令部を砲撃せよ!」と。この後は、知っての通り階級闘争に名を借りた魔女狩りの嵐が中国全土に吹き荒れます。(この項終わり)

タグ:読書
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