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吉田修一 悪人 (2007朝日文庫) [日記 (2021)]

悪人 新装版 (朝日文庫)  福岡と佐賀を結ぶ国道263号線の三瀬峠で、若い女性の絞殺死体が発見されます。殺されたのは、福岡の21歳の保険外交員・石橋佳乃。殺したのは長崎の27歳の土木作業員・清水祐一。ふたりは出会い系サイトで知り合い、金銭の介在する男女関係。男女の出会いを「出会い系サイト」に求め、恋が金銭で売買されるわけですから売春、佳乃は素人の娼婦、娼婦の素人と言われます。
 佳乃は、ボーイフレンドの大学生・増尾と会うと同僚に告げて別れた後殺されます。後半まで殺人の描写は無く、祐一が殺したとは何処にも書かれていませんが、犯人は祐一。祐一は何故佳乃を殺したのかという倒叙ミステリーです。

祐一
 祐一は、母親に捨てられ、祖父母の養子になったという生い立ちを抱えています。寡黙で車以外には興味を示さない反面、祖父や集落の老人の病院通いに手を貸す優さがあります。祐一が何故佳乃を殺すに至ったのか?、作者は祐一自身ではなく彼を取り巻く人々に語らせます。祐一を育てた祖母・房枝、息子のように思う大叔父・憲夫、祐一を捨てた母親・依子、数少ない友人の一二三、祐一が馴染んだファッションヘルスの従業員・美保などの証言によって、祐一の姿が浮かび上がります。作者は、倒叙ミステリーをドキュメントの手法を使い、事件と人間の多角的な側面を描きます。
 祐一は、ファッションヘルスに母性を求めたようです。馴染んだ美保に手作りの弁当を運び、祐一ような男と一緒に暮らしたいというの美保の空想を実現するためにアパートまで借ります。美保は、これを聞いた翌日に姿を消します。これを聞課された友人の一二三は、祐一を「起承転結」の”起”と”結”で出来上がっている人間だと評します。

光代
 紳士服量販店の店員光代は、接客する男性の中から白馬の騎士が現れることを夢想する間に、いつしか29歳。店とアパートを往復する単調な生活のなかで祐一と出会います。これも出会い系サイト。光代の登場によってミステリーは変貌します。
 現代の出会いは、学校や職場という現実の「場」ではなくサイバー空間で起こる様です。偽名を使い年齢を偽り、人はアイコンとして出会います。仮想世界で人はどんな存在にもどんな関係を結ぶことが出来ますが、そこを離れれば動かし難い現実の世界と直面することになります。そのギャップにドラマが生まれるわけです。

 ふたりは出会ったその日に男女の仲となり、逢瀬を重ねるうちに祐一は殺人を告白します(ここで初めて祐一が犯人だと明かされます)。光代は祐一に自首を勧め、警察署の前で光代の脳裏にひとつのシーンが甦ります。光代には、乗る筈のバスがバスジャックされ(西鉄バスジャック事件)既んでのところで難を逃れた経験があります。バスに乗る寸前に友人からキャンセルの電話が入り、難を逃れたシーンが甦ったのです。

イヤ!あのバスには乗りとうない!
 ここで祐一と別れたら、私にはもう何にもないたい……。私、幸せになれるって思うたとよ! 祐一と出会って、やっとこれで幸せになれるって…。

自首というバスに乗れば、祐一を失います。祐一を失いたくない光代に引きづられ、ふたりの逃亡が始まります。殺人犯が女性を人質に逃亡するのではなく、女性が殺人犯を人質に逃亡するです。

私ね、祐一と会うまで、一日がこげん大切に思えたことなかった。仕事しとったら一日なんてあっという間に終わって、あっという間に一週間が過ぎて、気がつくともう一年…。私、今まで何しとったとやろ? なんで今まで祐一に会えんかったとやろ?
今までの一年とここで祐一と過ごす一日やったら、私、迷わずここでの一日ば選ぶ...。

 光代と祐一はラブホテルの泊まりを重ね、車が手配されたため車を捨て廃墟となった灯台に逃げ込みます。灯台は、母親に置き去りにされた祐一が桟橋から見た風景です。

最終章 私が出会った悪人
 警察は灯台を包囲しふたりの逃亡は終わりをつげます。捕まる寸前、突然祐一は光代を押し倒し首に手を掛けます。

【祐一の供述】
この前もお話しした通りです。他に付け加えることも、訂正することもありません。女性を追いつめることに快感を覚えとったんです。追いつめた女性が、苦しむところを見ることで、性的に興奮しとったんです。
・・・何度も言いますけど、自分は馬込さんのことなんか、初めからぜんぜん好きじゃなかったんです。ただ、一緒に逃げるときの金ヅルとして、そういう(愛している)ふりをしたこともありました。そういうふりをしとるうちに、自分でも勘違いしてしまって、それが自分の本心のように思えとったんです。でも、今、考え直したら、別に馬込さんじゃなくてもよかったんです。馬込さんじゃなくても....。ただ、もし馬込さんに会うてなかったら…。もし、あの人に会うてなかったら…。

【ファッションヘルスの従業員・美保の証言】
そしたらあの人が急に真面目な顔をして、「ここだけの話やけど、俺、おふくろに会うたら金せびる」って言ったんですよ。・・・真面目な顔でそう言うってことは、悪いと思うとるんやろうし、次は反省の弁でも出てくるんやろうなぁって。・・・でも、あの人、私の予想とは違って、「欲しゅうもない金、せびるの、つらかぁ」って言うたんですよね。だけん、「じゃあ、せびらんならいいたい」って、私が笑うたら、あの人、ちょっと考え込んで、「…でもさ、どっちも被害者にはなれんたい」 って。

【光代の証言】
でも、あんな逃げ回っとるだけの毎日が…、・・・未だに懐かしかとですよ。ほんと馬鹿みたいに、未だに思い出すだけで苦しかとですよ。きっと私だけが、一人で舞い上がっとったんです。佳乃さんを殺した人ですもんね。私を殺そうとした人ですもんね。世間で言われとる通りなんですよね? あの人は悪人やったんですよね? その悪人を、私が勝手に好きになってしもうただけなんです。ねぇ?そうなんですよね?

 心優しき殺人者、悪人、祐一の物語です。

タグ:読書
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