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古田博司 使える哲学(2015ディスカヴァー・トゥエンティーワン) [日記 (2021)]

使える哲学
 著者は、韓国について「教えず、助けず、関わらず」という「否韓三原則」を唱えた朝鮮史、政治思想史の先生(筑波大学)です。この「否韓三原則」はその筋?では有名で、安倍元総理、菅元総理も政策に取り入れたのではないかと思っています(笑。『東アジア思想的風景』『朝鮮民族を読み解く』は面白く読みました。その先生が哲学に領域を広げられた、というので短いものを一冊読んでみました。

私が西洋哲学の勉強を始めたのは15年ほど前です。それまで朝鮮研究を30年やって、もうこの分野には先がないという予感がしたので、方向を転換したわけです。

朝鮮に見切りをつけたとは、古田先生らしい。

向こう側
 その哲学を、古田先生は「向こう側」というというコンセプトを使って説きます。「こちら側」は人間の五感で知覚できる世界です。あの世とかスピリチュアルなものではなく、コロナウィルスやトリチュウムみたいなものを指すらしい。知覚出来ない自然、かというとそうでもないらしい。絵にすれば、
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「こちら側」だけの普遍的な知識を求めても、理由や根拠は見えない「向こう側」にあるのですから、本当の普遍に到達することなどできないとイギリスの哲学者たちは考えました。「こちら側」の普遍をあきらめたイギリスの哲学者は、「こちら側」に「向こう側」から付けられたマーカー(刻印)を見つけて網羅し、それらを類型化すれば「向こう側」に近づけると考えました。
 カントやヘーゲル(マルクスも)のドイツ哲学は、「こちら側」だけでやっているので思考の隘路に陥って観念哲学となった(当然朱子学はドグマだ!)。ベンサムやミルのイギリス哲学は「こちら側」から「向こう側」を探求したので、実生活に役立つ哲学「使える哲学」が生まれた。よく分かりませんが、ギリシア哲学がキリスト教に入り、哲学の中心概念である「理性(論理)」で神を検証しようとした。神を見ることはできないので、神の創った自然、人間を探求し、神の意図を知ることで神に近づこうとした。ここからコペルニクス(カトリック司祭)、ケプラー、ニュートンが生まれ、理性を人間社会に適用してベンサム、ミルのが生まれた。という話を読んだことがあります(『ふしぎなキリスト教』)。

4つ方法
 ここから「向こう側」の探求が始まります。先生は天ぷらを揚げていて「こつ」を会得し、料理の「向こう側」を考えます。「料理は要領(セコさ)だ!」。ここから、「向こう側」を知る4つの方法「超越」「直観」「にじり寄り」「マーカー総ざらい」が生まれます。
 DNAのらせん構造など誰も見たことはないが、この構造を使うと遺伝子情報を上手く説明できる、これが「超越」。ビル・ゲイツは「直感」でソフトとハードを分離し、科学者は実験を繰り返して真理に「にじり寄」る。「向こう側」が時折「こちら側」にー見せるマーカー=「しるし」を集めると「向こう側」に近づける。著者はこれをGoogle検索に例えます。「向こう側」とは真理、法則、科学みたいなものです。万有引力の法則で飛行機が飛びiPS細胞で病気が直せるのですから、それは「向こう側」の真理だということになります。

 4つの方法で解明した法則があるとします。この法則は「向こう側」に存在するとは証明できませんが、「こちら側」では有用。例えば、あるのかないのか?の時間は、時計という文字盤を作ることで有用となります。在るのか無いのか分からないが、多分在るだろうと認めること、これを擬制と呼びます。「社会契約説」には契約書は存在しないが、在ると考えると物事が上手く説明できる、役に立つのです。「最大多数の最大幸福」も然り。この擬制は幻想ですから、役に立たないものもありこれを虚構と呼びます。映画や小説など役に立つ虚構も存在し、役に立つかどうかは利用する人間によって異なるわけですから、その辺りが難しいところですが。
 本書は古田先生の朝鮮史研究から帰納法として生まれてきたのです。「むこう側」の朝鮮たどり着いたわけです。それが「朝鮮半島廊下立国説」です。

朝鮮半島廊下立国説
 朝鮮半島の西側は山のない平坦な廊下です。異民族がきても守れないので、王様はすぐに逃げます。江華島という島には逃亡時の仮の王宮までありました。(異民族が来れば)必ず負けますが、負けた後に2つの戦略があります。1)ひとつは、モンゴルや日本統治の時のように自由経済に完全に巻き込まれてコリアンではなくなるやり方。・・・2)逆に国境を閉じて防衛経済の時代になるのが、李朝時代と北朝鮮です。
 元はこの廊下を通って九州に攻め入り、秀吉もこの廊下から明に攻め入ろうとしました。大陸と地続きですから、中華、モンゴル、女真族、倭などの異民族は、易々と朝鮮半島に攻め入っています。朝鮮はこれらの主人と折り合って民族を維持したわけです。主人は優れた文化を持っていますから、朝鮮民族は手軽にこれが手には入ります。自ら産み出すことはなかったと言います。

朝鮮はこの先進国の横に垂れさがっている貧窮の「行き止まりの廊下」です。壺(大国)から優秀なものをもらうので、自分でつくる意欲がありません。針も車もつくれないまま、近代日本に呑み込まれました。

 朝鮮は、大国の侵略を受け大国に隷属するかたちで独立を保ってきたわけです。その大国が南下し北上する通り道が朝鮮で、「朝鮮半島廊下立国説」となります(もっとも、半島の南は朝鮮海峡ですから、廊下を渡ったのは元と日本だけです)。
 「向こう側」に「朝鮮半島廊下立国説」という擬制が成立し、「こちら側」では常に民族のアイデンティティを求める求心力が働き、「朝鮮半島はずっと自立していた歴史がある」という虚構が成立します。日本の植民地時代も、上海に「臨時政府」があり、反日運動を指導し、その軍事組織である光復軍が日本帝国戦っていたという虚構が生まれ、「資本主義萌芽論」「内在的発展論」植民地収奪論」という虚構が生まれます。
 現代の韓国の抱える問題はこの虚構の呪縛から逃れられないところにある、この「朝鮮半島廊下立国説」で韓国と北朝鮮を上手く説明出来、戦略が立てられる…。もっとも韓国は虚構の方が役に立つと考えているわけで、「朝鮮半島廊下立国説」など余計なお世話だ、という辺りが難しいところです。

 つまるところ、物ごとを上手く合理的に説明が出来て役に立つものが「哲学」なんだ、ということです。哲学をいろんな言葉に置き換えても成り立つというところが、本書のミソです。分かったような分からないような話ですが、気持ちよく騙されることが出来る、それが本書のキモですw。
 本書のダイジェストがコレだと思います。

タグ:読書
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