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橋本大三郎 大澤真幸 ふしぎなキリスト教 ③ (2011講談社) [日記(2019)]

ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書)  続きです。やっと第三部『いかに「西洋」をつくったか』です。パレスチナの弱小民族ユダヤから起こったキリスト教が、世界的宗教に発展したことが最大の「ふしぎ」です。パウロが当時の国際標準だったギリシア語で新訳の中核部分(手紙)を書き、イエスの事蹟が福音書にまとめられ、聖書として流通していった。グーテンベルグ以前、おまけにラテン語ですから、聖職者が民衆に解説するわけで、人々に受け入れられた最大の理由は何か?。本書では触れられていません。きっと「イジメられっ子」理論だったのではないか(笑。どの国でも何時でも、民衆は常にイジメられる存在ですから。

 第三部のハイライトは、キリスト教が「科学」と「資本主義」を発展させたこと。資本主義の方はマックス・ウェーバーだろうと想像がつきますが、科学の方は、地動説を認めなかったのは教会だろうと突っ込みたくなります。

カルヴァンの救済予定説
 マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』です。宗教改革で登場したカルヴァン(カルビン)の「救済予定説」が資本主義を産んだというあの有名な本。「救済予定説」とは、キリスト教徒は、最後に神の国で永遠の生を受けるか、地獄に堕ちて永遠の責め苦に会うか、予め神によって決められているという説。どちらに行くかは最後の審判で伝えられる。予め決まっているのなら、一生懸命働こうが働かないでおこうが同じこと、身を律して真面目にやることもなかろうと考え人間は堕落するはず。救済予定説から「資本主義の精神」である勤勉はうまれこない。ところがウェーバーによるとそうはならず、救済予定説のもとで人は勤勉に働くようになった。どういうことかと言うと、
 勤勉に働くことは神の命じた隣人愛の実践であるり、勤勉は神の恩寵のあらわれである。自分が神の恩寵を受けている、神の国行くと決まっていると確信したければ、毎日勤勉に働くしかない。怠けている人間は恩寵から見放されている人間と見なされる。従って人は神を信じ(というか、神の恩寵を受けていると見なされたいため、見栄をはって)勤勉に働く。少し無理があるような気がしますが、何しろマックス・ウェーバーですからそうなんでしょう?。

科学が宗教から生まれる逆説
 神が人間を創ったという『創世記』は、自然科学の世界観、合理性と矛盾します。その科学の誕生を宗教が後押ししたという話です。
 ギリシア哲学がキリスト教徒圏に入り、キリスト教徒は、哲学の中心概念である「理性(論理)」で神を再検証します。神を見ることはできないので、神の創った自然、人間を探求し、神の意図を知ることで神に近づこうとします。これも信仰のひとつ。ここからコペルニクス(カトリック司祭)、ケプラー、ニュートンが生まれ、理性を人間社会に適用してスピノザ、ルソー、カントが生まれ、ヘーゲル、マルクスがうまれたというわけです。

キリスト教と自然科学、社会科学は対立せず、科学はキリスト教に包含されるということでしょう。アダム・スミスが市場メカニズム「神の見えざる手」と呼んだことは象徴てきです。

 日本には「八百万の神」がいます。山には山の神、海には海の神、太陽の神、月の神。一新教では、太陽の月も自然も全てにただ一人神の意志が貫徹している、宇宙の果てから地上の虫まで。唯一神ですから、太陽を創った設計図も虫を創った設計図も同じ原理で作られていはず。「理性」「論理」で解明し、設計図を解読すことで人間を創った神の姿を見、神に近づこう。多神教だと設計図の原理はバラバラでそうはいかない。そういうことなんでしょうね。

 第三部も、ローマ・カトリックと東方正教会、利子の解禁、聖なる言語と布教の関係、等々面白い話が詰まっています。この勢いで田川建三にいこうか思います。

 第一部 一神教を理解する ~起源としてのユダヤ教~
 第二部 イエス・キリストとは何か
 第三部 いかに「西洋」をつくったか・・・このページ

タグ:読書
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