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橋爪大三郎、大澤真幸 おどろきのウクライナ(2022集英社新書) [日記 (2023)]

おどろきのウクライナ (集英社新書)  『ふしぎなキリスト教』の著者、橋爪大三郎、大澤真幸の二人の社会学者によるウクライナ戦争についての対談です。目次は、

第一章 アフガニスタンとアメリカの凋落(2021.9/3対談)
第二章 ウイグルと中国の特色ある資本主義(2021.10/19対談)
第三章 おどろきのウクライナ(2022.3/7対談)
第四章 もっとおどろきのウクライナ(2022.5/19対談)
第五章 ポスト・ウクライナ戦争の世界(2022.5/21対談)

ロシアはヨーロッパなのか?
 プーチン大統領は、ウクライナ東部(ドンバス地域)で迫害されている人々をネオナチから開放する、という大義名分を掲げて戦争(特別軍事作戦)を始めました。帝政ロシアの再来、冷戦時代強国・ソ連邦を夢見たのか、かつての連邦国ウクライナに侵攻したわけです。
 ネオナチ云々は誰が考えても言いがかりですが、この戦争には「ロシアとは何か?」という思想的背景があるといいます。言いかえれば「ロシアは西洋なのか」「ロシアはヨーロッパなのか」という問題だそうです。プーチンは非ヨーロッパとロシア正教会を軸に反リベラルのユーラシア主義を唱えています。この新ユーラシア主義こそが、「ロシアはヨーロッパなのか?」という問いの裏返しです。
 ロシア人は「ロシアはヨーロッパだ」と考えているそうです。その根拠は、自分たちはキリスト教徒であるということ。ロシアのキリスト教はカトリック、プロテスタントではなくて「ロシア正教」ですが。

 この「ユーラシア主義」というものに、いま述べたロシアのヨーロッパへのコンプレックスがよく表現されている。ほんとうはヨーロッパにあこがれているけれども、ヨーロッパから尊敬されてはいないし、ヨーロッパの中で従属的なポジションに甘んじるわけにもいかない。だから、「ヨーロッパ主義」とは言えない。
そこで、ヨーロッパに「アジア」をまぶして「ユーラシア主義」と言っているわけですが、別に、アジア的な精神や文化にコミットしているわけではありません。ただ、「ヨーロッパ 」とは言い切れないので、歪曲して「ユーラシア」になってしまっているのです。そのような構造になっていると、ぼくは思うんです。

ルサンチマン
(プーチン)の場合も、根底のところに西ヨーロッパ・コンプレックスみたいなものがある。ほんとうは、ヨーロッパがうらやましいというか、ヨーロッパにあこがれていますが、ヨーロッパとの関係で従属的なポジションになることは絶対に受け入れがたいので、そのあこがれは、ルサンチマンのようなものに転換し、ヨーロッパへの反発というかたちをとる。ヨーロッパとの対抗関係の中で、ロシアを自己定義し、自尊心を維持しようとしている。ということは、ロシアがヨーロッパ以上であることを示す、ということです。(p139)

 wikipediaによるとルサンチマンとは、

弱者が敵わない強者に対して内面に抱く、「憤り・怨恨・憎悪・非難・嫉妬」といった感情。そこから、弱い自分は「善」であり、強者は「悪」だという「価値の転倒」のこと

だそうで、「欧米はテロリストでネオナチだ!、ロシアを解体しようとしている、ウクライナは騙されている」という「対ドイツ戦勝記念日」のプーチンの演説(5/9)はwikioediaの解説そのものです。

 ロシアは、ウクライナは旧ソ連邦の従属国であり、自分達は宗主国だと考え、一方のウクライナは自分はロシアから切り離された独立国だと考えています。

ユーロ・マイダン革命(2014)からクライナははっきりと、ヨーロッパのほうを選択したと思います。 いまやウクライナは、ロシアには強い魅力を感じません。 ロシアに従っていきたい、という内在的な欲求のようなものは、ウクライナにはほとんどなくなってしまった。・・・ウクライナはヨーロッパに寄っていこうとしている。ヨーロッパを選んだほうが、国も繁栄すると思っている。 

 大国としてのプライドのロシアはウクライナのヨーロッパ接近が許せない。プーチンは裏切った恋人を取り戻すためにウクライナに侵攻したわけです。本書では触れられていませんが、スターリンよって起きたホロモドール(大飢饉)、独ソ戦の多大な犠牲を考えると、ウクライナには反露感情を持つ人がけっこう多いのではないかと思います。

 「おどろきのウクライナ」といより、「おどろきのロシア」、または「おどろきのプーチン」です。

タグ:読書
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