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パオロ・ジョルダーノ 素数たちの孤独(2013ハヤカワ文庫) [日記 (2022)]

素数たちの孤独 (ハヤカワepi文庫)  ベストセラー『コロナの時代の僕ら』の著者パオロ・ジョルダーノの小説です。弱冠26歳でイタリア文学賞の最高峰ストレーガ賞を受賞し、販売部数200万部を越えたという話題の小説だそうです(映画にもなったらしい)。

 アリーチェとマッティアの25年に及ぶラブストーリーです。15歳のアリーチェはスキー事故で”びっこ”となり、マッティアは友人の誕生パーティーに精神障害の双子の妹を連れて行くことが出来ず公園に置き去りにして妹は行方不明となります。
 アリーチェは拒食症、マッティアは自傷癖となります。

 この二人が出会い、boy meets girlの物語が始まります。この年齢では女性が男性をリードするのが通例で、アリーチェが、ずば抜けた頭脳を持つものの友人もいないマッティアをリードします。少女は少年を高校の女性用トイレに連れ込み、自らのタトゥーをガラスの破片で消去させます。父親の目を盗んでせっかく彫ったタトゥーを何故消去するのか?。理由は語られません。この不思議な行為は大人への通過儀礼。マッティアを儀礼の祭司に選んだことがアリーチェなりの恋の告白であり、傷つける男と傷付けられる女の構図はセックスを暗示しています。
 障害を持つのは女性のアリーチェとマッティアの「双子」の妹で、男性のマッティアは健常者。健常者の男性が障害を持つ女性を「傷付ける」わけで、かくて「素数」と形容される男女のラブストーリーが展開します。

 素数は1とそれ自身でしか割り切ることができない。自然数の無限の連なりのなかの自分の位置で素数はじっと動かず、他の数と同じくふたつの数の間で押しつぶされてこそいるが、その実、みんなよりも一歩前にいる。彼らは疑い深い孤独な数たちなのだ。
・・・素数だってみんなと同じ、ごく普通の数でいたかったのかもしれない。ただ、何らかの理由でそうすることができなかったのではないか。

 「何らかの理由」とは、アリーチェは”びっこ”、マッティアは障害のある妹を置き去りにし自責の念です。このふたつは、彼らが他者と異なる「素数」であることの存在証明であり、アリーチェの”びっこ”とマッティアの自傷の傷は、一種の聖痕、聖性とも云えます。

 素数の一部にさらに特殊な数があることを知った。それは数学者たちが「 双子素数」と呼ぶもので、隣りあったふたつの素数、いや、より正確に言えば、ほとんど隣りあった素数のペアのことだった。ここで、ほとんどと言うのは、このふたつの素数の間には必ずひとつの偶数が存在し、両者が本当に触れあうことを妨げているからだ。例えば11と133、17と19、41と43といった素数がそうだ。

 アリーチェとマッティアの間には常に「偶数」が存在し、ふたりが「本当に触れあう」ことはありません。アリーチェは大学を中退してカメラマンを志し、マッティアは大学を卒業して講師として北欧の大学に赴きます。別れ際に、アリーチェが「行かないで」と言えば、マッティアが「一緒に行こう」と言えばいいわけですが、そうはなりません。古典的とも云える「男と女」の関係です。
 アリーチェは「偶数」と結婚して破綻し、マッティアに救いを求めます。再会した二人は今度こそ「本当に触れあう」関係となるのか?。

 人間は素数の様な存在であり孤独であり、救いはあるのか?、と云う物語です。

タグ:読書
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