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半藤、加藤、保阪 大平洋戦争への道 ② 1931-1941(NHK出版) [日記 (2022)]

太平洋戦争への道 1931-1941 (NHK出版新書 659, 659) 続きです。
リットン調査団、国際連盟脱退
 東三省の指導者が満州国の独立を宣言しようが、清朝のラストエンペラー溥儀を執政にしようが、後ろに関東軍がいることはミエミエ。中国の告発を受けて、昭和7年、国際連盟はリットン調査団を派遣します。日本は常任理事国で、常任理事国ロシアがウクライナに侵攻した同じ位相である辺りが面白いです。

 調査団の報告書は、満州における権益は認めるが、満州国は認めないというもの。日本の世論は、日本が満州を領土にしたのではなく、満州民族(五族)が集まって作った国であり日本の傀儡国家ではないと。新聞は、そんな判定を下す国際連盟など脱退すべきだと煽ります。国民も新聞も、事の発端の柳条湖事件は陸軍の謀略であることは知りませんから、当然です。

日本が太平洋戦争に進む道筋は、この満州国建国と国際連盟からの脱退による孤主義が大きな影響を持ったであろう。国内に、結果的にファシズム体制ができ上がっていくのは、この昭和八年が発端となった(保坂)。

五・一五事件、二・二六事件
 満州事変が始まった翌年、日本が国際連盟から脱退する前年の昭和7年、国内では「血盟団事件」が起き五・一五事件が起きます。
 当時の日本は、大恐慌の影響で農村が疲弊し、国際的孤立という外交の上の閉塞感もあり、批判は国家の指導層に向かうわけです。檄文には、
天皇の御名に於て君側の奸を屠れ!
国民の敵たる既成政党と財閥を殺せ!
横暴極まる官憲を膺懲せよ!(ようちょう=懲らしめる)
奸賊、特権階級を抹殺せよ!
農民よ、労働者よ、全国民よ祖国日本を守れ!
と左翼のアジビラと見紛うばかり。五・一五事件の首謀者を裁く法廷が「国家改造運動」のプロパガンダの場になります。救国を前面に押し出した首謀者の法廷陳述に裁判官や記者は涙し、全国から百万通と言われる嘆願書が集まったそうです。 そして、彼らは国士であり、行動は義挙だということになり、

動機が正しければ何をやってもいいという空気ができ上がってくるわけです。私はこれを日本の一つの特徴だととらえて、「動機至純論」と呼んでいます。(保阪)
一国の首相を殺した事件を「義挙」としてみんなして褒め上げるという、非常におかしな空気が、この国を覆っていた時期だと言えます。一九三三年(昭和八年)からの裁判の最中には、決起将校を支持する連中が、助命嘆願の血判書を出したという話もあり ます。さらに、軍の偉い人たち、荒木貞夫のような陸軍大臣までもが、「純真なる青年がやったことだから」と罪を軽くしてほしいというようなことを平気で言う よう な時代になっている。つまり、世の中全体が殺伐として、テロが正義であるがごとくになっていく時代が、 このときから始まったというふうに思いますね。(半藤)

五・一五事件によって日本の政党内閣は息の根を止められ、軍の暴力が政治や言論の上に君臨する「恐怖時代」が始まるわけで。昭和11年、二・二六事件が起こります。五・一五事件同様、救国を掲げたテロですが、

二・二六事件は四日間続きます。 なぜすぐに収束しなかったのかと言えば、それは、青年将校の決起に対して、陸軍の当時の指導者が様子見をしていたからです。・・・事件を起こした青年将校たちが敵視したのは、民政党に代表されるような議会政治主流、それから軍事費の膨張を抑える緊縮財政を求める大蔵省の要求に応える大蔵大臣です。つまり、軍事費の膨張を抑えるという国策と、貧しい農民、苦しい生活をしている庶民を見捨てる政治を刷新しようとしたとされていますが、結局のところ、二・二六事件は軍内の権力闘争によって起きた・・・。(保阪)

 二・二六事件は、満州の利権を護るためにはソ連を叩けという皇道派と、まず中国を叩いて後顧の憂いをなくしてからソ連と対決という統制派の闘争だと云います。保阪さんによると、天皇の側近を「君側の奸」として殺し、陸軍の重鎮である真崎甚三郎を担いで天皇親政国家をつくろうという計画だったようです。

その戦略論の争いの結果が一九三五年(昭和十年)の永田鉄山暗殺事件になり、それに対して、いわゆる皇道派系と言われている人たちが反撃をして、二・二六事件を起こすことになった。ところが結果としてクーデターが失敗し、「皇道派」はいっぺんに潰れたわけです。(半藤)

二・二六事件について私が注目するのは、やはり「暴力の恐怖」ですね。とくに議会ではこの二・二六事件以後、本来行うべき活発な議論が萎縮していきます。(保阪)

二・二六事件の結果、昭和天皇の周りを固める人間は、近衛文麿や木戸幸一などの若い世代になります。その前は、たとえば高橋是清であるとか、 井上準之助であるとか、そういう方がいた。それが血盟団事件で殺され、二・二六事件で殺され、実体経済の観点から国際協調の重要性を指摘できる人がいなくなってしまった。(加藤)

タグ:読書 昭和史
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