読書感想文 伊集院静 ノボさん [日記 (2022)]
毎年、夏休みの宿題・読書感想文をblogにupしているので、今年も一本、『ノボさん』。
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正岡子規の評伝です。幼名升(のぼる)通称ノボさん。子規は松山中学から大学予備門に入学し、そこで夏目漱石に出会います。短歌、俳句の革新運動を起こした子規と、文豪・漱石と生涯の友人となるのですから、後世の私達から見ればウソみたいな話です。漱石の他、鴎外、虚子、碧梧桐、陸羯南、中村不折(画家)と教科書に載る有名人がキラ星の如く登場します。
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正岡子規の評伝です。幼名升(のぼる)通称ノボさん。子規は松山中学から大学予備門に入学し、そこで夏目漱石に出会います。短歌、俳句の革新運動を起こした子規と、文豪・漱石と生涯の友人となるのですから、後世の私達から見ればウソみたいな話です。漱石の他、鴎外、虚子、碧梧桐、陸羯南、中村不折(画家)と教科書に載る有名人がキラ星の如く登場します。
漱石は、英語の苦手な子規に英語を教え、落第しそうな子規のために追試が受けられる様に教師と交渉します。結局子規は大学を中退し、新聞記者として短歌、俳句の革新運動を選びます。漱石は政府からイギリス留学を命じられロンドンに向かいます。子規は結核を患い、命を削るように短歌、俳句の革新運動を進め、漱石は英文学の研究で神経衰弱になります。
明治の青年は、国家を背負い自分が怠ければ日本の近代化が遅れるという自負があったようです。
子規と漱石の友情は国家創世期の明治にふさわしい話ですが、故郷松山から上京し子規を支える母親・八重、妹・律の姿は、いつの時代にもある家族の感動的な話です。当時結核の特効薬は無く、栄養のあるものを食べ安静にしていることが唯一の治療法です。おまけ子規は食いしん坊。母八重と妹律は、子規が勤める「日本新聞社」から得る給与15円(後に40円)の多くを、子規の食費に当てます。その給与も、子規の才能を惜しんだ日本新聞社長・陸羯南の温情によるものです。子規という日本文学史上の巨星はこれらの人々に支えられていたわけです。
子規の『仰臥漫録』には死期が迫った子規の旺盛な食欲の記録「死期の献立」が記されています。元々食いしん坊だった様ですが、当時死病と言われた結核が子規の食欲を刺激したようです。
死ぬちょうど一年前9月19日の食事は、
朝:ぬく飯三碗、佃煮、なら漬
午:鱗三わん、焼鴨三羽、キャベージ、なら漬、梨一漬、葡萄
間食:牛乳一合ココア入、菓子パン大小数個、塩煎餅
晚:与平二つ三つ、粥二碗、まぐろのさしみ、煮茄子、なら漬、葡萄一房
夜:林檎二切、飴湯
鴨は前日に長塚節が、与平飾は夕刻に伊藤左千夫が持ってきてくれたものだそうです。この日詠んだ句は
淋しさの 三羽減りけり 鴫の秋
子規の『仰臥漫録』には食べ物の句がエンエンと続くそうです。
餓鬼も食へ 闇の夜中の 鱈(どじょう)汁
主病む 糸瓜の宿や 栗の飯
氷噛んで 毛穴に秋を 覚えけり
夜更けて 米とぐ音や きりぎりす
『仰臥漫録』に記された子規の旺盛な食欲は、最後に残った味覚のなせる業だったわけです。こうした句も母と妹の賜物とすれば、子規が日本文学史に残した功績の幾分かは、八重と律に帰するのではないかと思われます。
赤文字本文は空白込みで1100文字、原稿用紙約3枚です。
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