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再読 浅田次郎 一刀斎夢録 [日記 (2022)]

一刀斎夢録 上 (文春文庫) 一刀斎夢録 下 (文春文庫)  『輪違屋 糸里』に続いて『一刀斎夢録』再読です。新選組がけっこう好きで何冊も読んできました、新選組の魅力って何なんでしょう。
 侍になりたい多摩の百姓と食い詰浪人が京に上り、京都守護職・会津藩預り新選組となって幕末の京洛で不逞浪人を斬りまくった暴力集団です。大政奉還で幕府と会津の後ろ楯を失い、鳥羽伏見の戦いで破れ、会津、函館と転戦します。近藤勇は新政府軍に捕まって斬首、土方歳三は五稜郭で討ち死。試衛館の9人が京に上ったのが文久3年(1863)、土方が討ち死したのが明治2年(1869)ですから新選組の活動はわずか7年。歴史が勝者によって書かれるなら、敗者の新選組は泡沫として歴史の片隅に追いやられたはずです。ところが、あまたの映画、ドラマ、小説となって21世紀まで語り継がれています。

 『一刀斎夢録』上巻は、試衛館の面々が京に上り芹沢鴨一派と浪士組を結成、芹沢を粛清して新選組となり池田屋事件を経て鳥羽伏見の戦で負け、富士山丸で江戸に逃げ帰るまで。お馴染みのストーリーが、副長助勤、三番隊組長・斎藤一を軸に描かれます。
 下巻は、慶応4年(1865)3/1、斎藤一が江戸から甲州に向かう所から始まります。つまり、物語の半分は新選組の負け戦の話です。斎藤一は大正4年(1915)まで生き、新選組生き残りの賊軍として会津戦争を戦い、警視庁に就職して西南戦争に出征します。新政府軍の西郷隆盛に敗れた賊軍の兵が、今度はその西郷を賊軍として討つわけです。

明治十年丑の年の二月、西郷はついに起った。下野して鹿児島に帰ったが明治六年の十一月であったゆえ、きょうか明日かと気を持たせつつ、三年余りを経たころであった。警視庁内の空気は妙であったの。多数を占める薩州人のやり場のない胸中をよそに、わしら外様は喝采した。戊辰の負け組は来たるべきこの日のために採用された。
徴兵令でかき集められた百姓の軍隊など、薩摩隼人の敵であろうものかよ。真っ向の勝負ができるは、士族で固められた近衛兵と、わしら警察官のほかはあるまい。

 斎藤一が所属したは抜刀隊。鬼神の如く刀を振るい、戊辰戦争の負け組の恨みを西南戦争で晴らし、敗者としてまた歴史の黄昏に還ってゆきます。
 「判官贔屓」と言ってしまえばそうなんでしょうが、日本の民衆には歴史的に敗者に寄り添う心情があります。敗者平家の物語が盲目の琵琶法師によって語り継がれるわけです。新選組が我々を惹き付けるのはこれでしょう。『一刀斎夢録』も同じ位相で成り立っています。面白いのは西郷隆盛もまた敗者であること。西郷は徳川幕府を倒し、参議、陸軍大将と位人臣を極め、故郷薩摩に帰って私学党に担がれて西南戦争を起こすわけです。西郷に清政府軍を倒そうという意思は感じられず、不平士族の反乱と言っていいのかどうか。

この戦はどこかおかしい。戊辰の戦とはまるでちがう、とな。 どうちがうのかと問われても困るのじゃが、たとえて言うなら目に映る景色が、 書割のように思えた。迫りくる薩軍の姿が傀儡のように見えた。

斎藤は西郷は城山を枕に討ち死にしたことを聞いて、西南戦争は西郷と大久保が仕組んだ猿芝居だっと確信します。

徴兵令でかき集められた百姓ばかりの軍隊は、戦の何たるかを知った。指揮官たちは近代戦の貴重な体験をなした。海軍も艦隊の総力を進め、日向灘やら錦江湾から艦砲の実弾射撃をした。輸送も通信も兵站も、すべて全力を以て実験された。

新政府は、佐賀の乱、神風の乱などの不平士族を鎮圧し、国民的に人気の高い西郷の反乱を鎮めることで政府の力を示し、近代戦の実験、訓練までしたと云うのです。そう考えると西郷は明治維新の表と裏の功労者です。上野公園に反逆者である西郷像が建っていることも頷けます。

わしは妙な錯覚を抱いた。戊辰の戦よりこっちは、すべて夢であったのではなかろうか、とな。鳥羽伏見か甲州か、あるいは白河か会津かでわしらはとうに死んでおり、そののちの出来事はすべて未練が生じせしめた、夢であったのではないか、と。

邯鄲の夢です。

タグ:読書
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