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逢坂冬馬 同志少女よ、敵を撃て(2021早川書房) [日記 (2023)]

同志少女よ、敵を撃て 1280px-1940_Tula_SVT40.jpeg狙撃銃 SVT-40
 独ソ戦(大祖国戦争)の女性狙撃兵を描いた話です。
 映画では、伝説のヴァシリ・ザイツェフを主人公とした『スターリングラード』があります。戦況が膠着するなか、士気高揚のために狙撃兵ザイツェフをプロパガンダに利用しようとする政治将校とのザイツェフの確執、伝説を覆すためにザイツェフを狙うドイツ軍の狙撃兵が絡む、一級の戦争映画です。純粋に狙撃だけを描く『山猫は眠らない』もあり、『プライベート・ライアン』にも狙撃の度に神に祈り許しを乞う狙撃兵も登場します。いずれも評価の高い映画です。なぜ狙撃兵が絵になるかというと、

 歩兵は前線で敵弾を掻い潜って 敵に迫り、市 街戦ともなれば数メートルの距離で敵を殺すのが仕事だ。そのために必要な精神性は、死の恐怖を忘れて高揚の中で自らを鼓舞し、熱狂的祝祭に命を捧げる剣闘士のものだ。
 一方で、潜伏と偽装を徹底し、忍耐と集中によって己を研鑽し、物理の下に一撃必殺を信奉する狙撃兵は、冷静さを重んじる職人であり、目立つことを嫌う狩人である。(p343)

 この「狩人」、一匹狼の殺し屋というところが絵になるわけです。本書は、ひとりの少女が「狩人」になる物語です。少女というところがミソです。

魔女の巣
 ヒロインはイワノフスカヤ村の猟師の娘セラフィマ、18歳。ドイツ軍に家族を殺され村を焼かれたセラフィマは、村を襲って母親を殺したドイツ軍の狙撃手ハンス・イェーガーに復讐するために、孤児を、それも女の孤児を集めた狙撃兵訓練所(魔女の巣)に入り狙撃兵としての訓練を受けます。指導教官の女性下士官イリーナは彼女たちに訓示します、

 狙撃兵の特異性はその明瞭な意思により敵を狙い撃つことにある。現代の戦争では、機銃兵も砲兵も爆撃手も軍艦乗りも、あらゆる兵科は集団性とそれによる匿名性の陰に隠れることができる。しかし、お前たち狙撃兵にそれはできない。常に自分は何のために敵を撃つのかを見失うな。それは根本の目標を見失うことだ。(p75)

 これが本書テーマともいえます。狙撃兵は、匿名性を排し、ひとりの兵士=殺人マシンとなることが要求されると言うわけです。逆に言うと、狙撃兵が殺す敵もまたドイツ兵という匿名性から顔を持った人間となります。セラフィマは復讐のためにドイツ兵を殺す狙撃兵となり、「復讐」は物語を流れる伏線としてラストで回収されます。少女セラフィマのヴィルトゥングス・ロマンとも言えます。

 セラフィマは狙撃兵としてイリーナに率いられ、第39独立小隊として激戦地スターリングラードに向かいます。第39独立小隊はイリーナを隊長に、セラフィマ、モスクワ射撃大会の優勝者で元貴族の娘シャルロッテ、カザフ人の猟師アヤ、28歳のヤーナ 通称”ママ”、ウクライナコサックの末裔オリガの6人の女性ばかり。彼女たちもセラフィマ同様に、狙撃兵となる事情を抱え、個性の光る6人が物語に陰影を付けています。

スターリングラード攻防戦
 第39独立小隊はスターリングラード攻防戦で実戦を体験し、狩人として成長してゆきます。集合住宅の給水塔に拠るドイツの狙撃兵と第39独立小隊の戦闘では、狙撃の何たるかが余すこと無く描かれます。給水塔との距離は600m、独立小隊から見上げる位置にあります。赤軍の狙撃銃は射程500mのSVT-40(トカレフM1940半自動小銃)、敵の狙撃銃は最大射程1,000mのKar98k。セマフィラはドイツ兵を狙撃しますが、射程を如何に克服したか?、マニアックな描写が楽しめます。このシークェンスである狙撃兵は言います、

狙撃兵は自分の物語を持つ。誰もが・・・そして相手の物語を理解した者が勝つ(p252)

狙撃は心理戦でもあるわけです。
 セマフィラたちは、伝説のスパイナーリュドミラ・パヴリチェンコに出会います。セラフィマは頂点に上り詰めた狙撃手の境地を聞き、パヴリチェンコは言います、

射撃の瞬間、自らは限りなく無に近づく。極限まで研ぎ澄まされた精神は明鏡止水に至り、あらゆる苦痛から解放され、無心の境地で目標を撃つ。そして命中した瞬間に世界が戻ってくる。 覚えがあるだろう、セラフィマ。(p373)

戦争犯罪
 第39独立小隊は、スターリングラードからプロセインのケーニスクベルクへ移動します。1945年の東プロイセン攻勢で、赤軍はそこに住むドイツ人ヘこんなラジオ放送をおこなったと言います、

ソ連邦赤軍はドイツ人民をナチスから解放し、自由へと救い出すために戦っているのです。文明的な赤軍兵士は皆さんに自由を取り戻し、安全を保障することを約束します。(p352)

何処かで聞いた思ったら、ウクライナ侵攻でプーチンが使った文言です。ケーニスクベルクでセマフィラが見たものは、「開放」の大義の下でロシア赤軍が行った略奪、虐殺、女性への性的暴力。セラフィマがイワノフスカヤ村でドイツ軍から受けた戦争犯罪を、ロシア兵がドイツ(ポーランド)で犯していたのです。同志少女セラフィマは敵を撃ちます。
 登場するのは女性ばかりで、「戦争は女の顔をしていない(スヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチ)」わけです。

 直木賞の『地図と拳』と『同志少女よ、敵を撃て』の話題作を読みましたが、本書の方が面白いです。

タグ:読書
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