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小森陽一 あの名作の"アブない"読み方! 森鴎外「舞姫」 [日記 (2023)]

大人のための国語教科書 あの名作の“アブない”読み方 (角川oneテーマ21)トラウマ
 この本が出版された平成20年の時点で、『舞姫』を採録している高校教科書は15種あるそうです。著者は、明治21年の『舞姫』が平成の教科書に採用される要因を教師用指導書に沿って推理します。

本教材の主題は戦後長く、敗戦後知識人の屈折した意識を反映し、〈近代的自我の覚醒と挫折〉の物語とされ、〈挫折〉の原因を明治という時代の過渡性や近代的自我覚醒の度合いに求めてきた。(三省堂、教師用指導書)

自分の子供を身ごもった恋人を棄てる小説が〈近代的自我の覚醒と挫折〉の文学とされます。近代的自我の「覚醒」とは

留学した直後は、立身出世コースを目指して豊太郎は頑張っているわけですが、ドイツで三年間暮らしているうちに、そうした望みを持っていたのは「まことの我」ではなかったことに気がつきます。これまでの生き方は母親に方向づけられたり、国家に方向づけられたりしていたのであって、自分の考えに基づいていなかったことに気づく。その「近代的自我の覚醒」を前提に、留学三年後に「まことの我」に目覚める...(p26)

ことです。「挫折」とは言うまでもなく、帰国して役人に戻るために身ごもったエリスを棄てることです。「恋」と「立身出世」の二者択一を迫られた豊太郎が、立身出世を選択することです。近代的自我は、「身を立て 名をあげ やよ励めよ」という明治の倫理にいとも容易く破れます。著者は、この挫折を

戦争を阻止できなかった戦後知識人たちにとって 、「近代的自我の未成立」という論理は、戦争責任を回避する自己弁明のために、党派は違ってもきわめて有効だったわけです。その原点として、明治初期の知識人として太田豊太郎が選ばれたのです。(p22)

豊太郎の挫折と戦争を回避出来なかった言い訳を重ねる高校生はいないと思いますが、著者は教師用指導書はそのように誘導していると言います。この戦争のトラウマが、延々何十年にもわたって高校教科書に掲載される要因だというのです。

裏切りよりも重き罪
 著者は、『舞姫』がエリスを棄て日本に向かう船上(サイゴン)で書かれていることを指摘します。すべてが終わった時点でベルリンでの過去を振り返るわけですから、過去は豊太郎によって「脚色」された過去だと云うのです。つまりは言い訳、正当化が可能。

 豊太郎は天方伯の帰国要請を受け入れエリスと別れると答え、冬のベルリンをさ迷い人事不省となります。

人事不省になって這いながら部屋にたどり着き、ドアを開けるまでは豊太郎の視点です。しかし、「『あ』と叫びぬ。『いかにかし玉ひしおん身の姿は』」というエリスの台詞のすぐあと、「驚きしも宜なりけり、蒼然として死人に等しき我面色、帽をばいつの間にか失ひ、髪は蓬ろと亂れて」という部分は、エリスが見たであろう自分の姿を豊太郎が書いているのです。
どうしてエリスに見られた姿を自分で書かなければならなかったのでしょうか。
それは、それほどまでにそのときの自分はぼろぼろで、エリスにもそう見られていたはずだという読者への訴えです。この部分を書かなければ、このあとエリスが発狂してしまったことに対して自分の責任を逃れることができないからです。(p56)

つまりは脚色です。如何に脚色しようが豊太郎の罪は明白です。「伝統的和文脈の中に欧文脈の要素を取り入れた雅文体は格調高く、実に美しい調べを持っている(教育出版、高校教師用指導書)」にしてもです。個人的には、鴎外は豊太郎がエリスを裏切る場面を描けなかった、人事不省に陥らせ、相沢にその役目を押し付けたのだと思いますが。

 本稿には、「裏切りよりも重き罪」というキャプションが付きます。この「罪」とは、雅文体の陰で「裏切りは仕方がなかった」と記す豊太郎=鴎外の「自己弁護」「韜晦」です。三時限目、芥川「羅生門」に続きます。

大人のための国語教科書 目次
一時限目 裏切りよりも重き罪ー森鴎外「舞姫」・・・このページ
二時限目 先生の「愛」の告白―夏目漱石「こころ
三時限目 下人は天皇に物申すー芥川龍之介「羅生門
四時限目 修羅が書き付けた涙ー宮沢賢治「永訣の朝
五時限目 虎より恐ろしき友ー中島敦「山月記

タグ:読書
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