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ゾルゲ諜報団 スパイ・ゾルゲの昭和 (1) [日記 (2022)]

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 『大平洋戦争への道 1931-1941』を読んでいると、日本が太平洋戦争に踏み出す10年は、驚くことにリヒャルト・ゾルゲ(1895~1944)が日本でスパイ活動をした時期とピタリと重なります。ゾルゲが横浜に上陸したのは、1933年(昭和8年)9月ですが、1930~1932年には上海で諜報活動をしています。柳条湖事件、満州事変、上海事変を中国で体験していますから、ゾルゲは「太平洋戦争へ道」をひた走る日本の政治と外交を、時々刻々、ソ連に送り続けたわけです。真珠湾奇襲の1ヶ月前1941年10月に逮捕され、1944年11月、治安維持法、国防保安法違反で処刑されます。

ゾルゲ諜報団
 ゾルゲはコミンテルン出身のソ連赤軍情報部のスパイ。上海での諜報活動の後日本に送り込まれ、ドイツの日刊紙「フランクフルター・ツァイトゥング」の特派員として、近衛内閣ブレーンで朝日新聞記者・尾崎秀実、画家・宮城与徳等と共に諜報活動を行います。ゾルゲは、日本の基本政策が資源を求めて仏領インドシナ、シンガポールに侵攻する「南進策」であることを探りだし、ソ連はこの情報を基に20師団を極東からモスクワに移動して独ソ戦に勝利します。戦後、ソ連はこの諜報活動によりゾルゲに「ソ連邦英雄」の称号を与えています。

 1933年、「ゾルゲ諜報団」が続々と日本に集結します。まず2月11日にヴーケリッチが横浜に上陸、9月6日にゾルゲがバンクーバー発のカナダ客船で横浜港に到着し、1933年10月24日に宮城与徳がアメリカから帰国します。

 ユーゴスラビア人のブランコ・ド・ヴーケリッチ(1904~1945)は、パリ大学で左翼思想に傾倒し卒業後コミンテルンに所属し日本に派遣されます。ユーゴスラビアの日刊紙「ポリティカ」「アヴァス通信社」の特派員としてゾルゲの諜報活動に関わります。
 沖縄出身の宮城与徳(1903~1943)は1919年アメリカに渡り(画家)共産党に入党、コミンテルン指示で帰国しゾルゲの諜報団に加わります。日本到着後、ゾルゲはヴーケリッチと接触し、二人は宮城と接触します。ゾルゲはドイツで、ヴーケリッチはフランスで、宮城はアメリカで、尾崎秀実は上海でコミンテルンにリクルートされていますから、共産党の国際組織は世界各地で活発に活動していたことになります。ゾルゲは1929年にコミンテルンから赤軍参謀法部第4局(諜報)に所属を変えていますから、赤軍参謀本部第4局(諜報部)がヴーケリッチと宮城をゾルゲの元に送り込んだと云えます。
 ゾルゲは1934年6月に奈良で尾崎と再会し、1935年12月に上海ゾルゲ諜報団の無線係りマックス・クラウゼン(1899~1979)が来日し、ゾルゲ諜報団のメンバーが揃います。ちなみに1933年当時、ゾルゲは38歳、尾崎32歳、宮城30歳、ヴーケリッチ29歳、クラウゼン34歳となります。

諜報活動
 尾崎秀実(1901~1944)は、1927年に朝日新聞上海支局配属となり、アグネス・スメドレーに会い、コミンテルンの諜報活動に加わりゾルゲ(ジョンスン)と出会います。1932年2月末に大阪本社(外報部)に戻り、6月に宮城与徳の仲介でゾルゲと再会し諜報団のメンバーとなります(この時まで尾崎はゾルゲがソ連のスパイであることは知らなかった様です)。尾崎は西園寺公一の推薦で1937年第1次近衛内閣の嘱託となり、近衛主催の「朝食会」に参加します。ゾルゲは、尾崎を通じて第三次近衛内閣が潰れる1941年11月まで4年間、日本の中枢情報を取得できたわけです。また尾崎は1939年(昭和14年)6月に満鉄調査部の嘱託職員となり、満鉄調査部の膨大な大陸情報にも接することができたわけです。

 ゾルゲのもうひとつの情報源がドイツ大使館。ゾルゲはジャーナリストとして大使館付武官のオイゲン・オットの信頼を得、1938年オットが大使となると大使館に部屋まで与えられます。ゾルゲもまた日本政府、日本軍の動きをオットに与え、オットの後任駐在武官のショル中佐と親しくなり、この二人からナチスドイツの情報を得ます。

 ゾルゲの情報源は、
・尾崎がもたらす日本政府中枢の動き、及び満鉄調査部を通じての大陸の情報。
・ドイツ大使のオット、武官ショルからのドイツの政治、軍事情報。
・ヴーケリッチよる同盟通信、アヴァス通信社等通信社の表裏の情報。
・宮城与徳の収集する経済及び日本の軍事情報、九津見房子などから日本の社会主義、労働運動の情報。

 もう一人、1934年に来日し1937年にモスクワに帰国したコミンテルンのスパイ、フィンランド人女性のアイノ・クーシネンがいます。上流階級の社交界に食い込み皇居の園遊会にも招かれ、秩父宮(天皇の弟)とも複数回会っています。諜報団の一員というより単独のスパイで、ゾルゲはクーシネンの情報を赤軍に送る役目だったようです。日本の官権に捕まっていませんから、ゾルゲの調書には登場していません。著書『革命の堕天使たち』でも多くを語っていません。

 ゾルゲは、このネットワークから得た情報を分析し、クラウゼンの無線機でウラジオスットク経由で赤軍に送っていたのです。
 面白いのでもう少し調べてみます。

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