SSブログ

小森陽一 あの名作の"アブない"読み方! 宮沢賢治「永訣の朝」 [日記 (2023)]

大人のための国語教科書 あの名作の“アブない”読み方 (角川oneテーマ21)  教科書・指導書の真っ当な解説は『最後の3日で仕上げる「読書感想文」』で取り上げたので、こちらでは小森センセイの「"アブない"読み方!」です。「永訣の朝」には「修羅が書き付けた涙」というキャプションが付きます。
 最後の方の「天上のアイスクリーム」が「兜率の天の食」に書き換えられた2つの版があるそうですが、私が習ったのは「兜率の天の食」の方でした。以外と憶えているものです。

宮沢賢治にとって、妹トシは最愛の肉親であった。その死に臨んで、死にゆく者への思いやりと願いを兄として汲み取る作者の姿と、兄を思う妹のけなげな姿を押さえさせたい。更に、個人の死の悲しみを超えて、万人の幸福を祈ろうとする、作者の心境の崇高なまでの高まりを味わわせたい。また、方言やローマ字を使用することによって、詩にどのような奥行きをもたせているかを考えさせたい作品である。(東京書籍、指導書)

全くその通りで、言い訳の小説『舞姫』とは違って、死にゆく妹へ捧げられた崇高な詩に「"アブない"読み方」をして良いものだろうか?、です。

おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに
(うまれでくるたて
こんどはこたにわりやのごとばかりで
くるしまなあよにうまれてくる)

「今度生まれてくるときには、こんなに自分のことで苦しまない様に生まれてくる」と言うんです。臨終の言葉としては結構重いです。指導書はこの言葉を

おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ

に繋げ、詩の方向を「希望」に誘導していると言います。

Ora Orade hitori egumo

も「自分は一人で死んでゆくのだ」というトシの強い決意であり、故にローマ字表記となっているとします。
 果たしてそうか?と著者は問います。

あめゆじゅとてきてけんじゃ
 著者よると詩集『春と修羅』の()内は修羅の言葉だそうです。(阿)修羅とは修羅道で帝釈天と戦うことを運命付けられた戦いの仏。光が溢れる春と、負の側面を背負った修羅が対比されます。「永訣の朝」の()で括られたトシの言葉は修羅の言葉とするなら、この詩は指導書の言うよな「妹の崇高な態度にうたれて、祈りの言葉に気持ちを託す」予定調和の詩ではなさそうです。賢治の脳裏で繰り返される「あめゆじゅとてきてけんじゃ」というトシの言葉は、修羅の側居る賢治の言葉でもあるわけです。

 あめゆじゅとはミゾレのことで、雪でもない雨でもない「二相系」で、生と死の間にあるトシそのものです。

この詩は、そうした二相系を保とうとしている言葉だといえるのですから 、いわば「修羅」のあがきでもあるわけです。その修羅が、すでに向こう側へ逝ってしまった妹の(あめゆじゆとてちてけんじゃ)という言葉を( )の中に書き付けてもう一度、こちら側に呼び戻そうとしているのが「永訣の朝」なのではないでしょうか。

したがって、キャプションは「修羅が書き付けた涙」。小森センセイは、「小森くん、書いてないことまで考えなくていいんだよ」と云う高校時代の教師の言葉を思い出したのか、この項は割りと真っ当ですw。詩は手強いです。

一時限目 森鴎外「舞姫」
五時限目 中島敦「山月記」

タグ:読書
nice!(6)  コメント(0) 

nice! 6

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。