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小森陽一 あの名作の"アブない"読み方! 芥川龍之介「羅生門」 [日記 (2023)]

大人のための国語教科書 あの名作の“アブない”読み方 (角川oneテーマ21)senbon_doori-02.jpg
 『あの名作の"アブない"読み方!』今度は芥川の『羅生門』。これも有名な小説です。「"アブない"読み方!」ですから「下人は天皇に物申す」というキャプションが付きます。天皇?…。

羅城門
 芥川龍之介の小説は比較的は分かりやすいです。この『羅生門』も、主人から暇を出された下人が、羅生門の二階で死人の髪の毛を抜いてカツラを作って生活している老婆に出会い、生きるために老婆の着物を奪う話です。生死の境では悪もまた許される?という小説です。はっきりした主題を持った『羅生門』を、小森センセイはどんな「アブない"読み方”」をするのか?。羅生門と羅城門は違うそうです。

 羅城門は、御所(内裏)を起点に平安京を右京と左京に分ける朱雀大路の南端にある門です。著者よると、朱雀大路は内裏に在る天皇が南を向く「まなざし」そのもので、その視線の先に都の内と外を隔てる羅城門があります。中国の皇帝が南を向いて儀式を行い、臣下を統べる南面思想に基づくものだそうです。「天皇のまなざしとは、統治のための法それ自体」です。

 都は天変地異や戦乱で荒れ果て、人々は死人を羅城門に棄て、羅城門には鬼が棲むと言う時代の話で、天皇の統治(律令制)が崩れた時代の話です。著者は、この背景を抜きにして『羅生門』を善と悪の二項対立の物語とするのは教科書指導書の誘導だと言います。

右と左
 下人vs.老婆のくだりです。老婆は言います、この死体は蛇を干し魚と偽って売っていた女だと、

わしは、この女のした事が悪いとは思うてゐぬ。せねば、 飢死にするのぢやて、仕方がなくした事であろ。されば、今又、わしのしてゐた事も悪い事とは思はぬぞよ。これとてもやはりせねば、飢死をするぢやて、仕方がなくする事ぢやわいの。ぢやて、その仕方がない事を、よく知つてゐたこの女は、大方わしのする事も大目に見てくれるであろ。(芥川、羅生門)

飢えに苛まれる下人は、老婆の理屈を逆手に取り、老婆の着物を奪います、

下人は嘲るやうな聲で念を押した。さうして、一足前へ出ると、不意に右の手を面皰から離して、老婆の上をつかみながら、噛みつくやうにかう云つた。「では、己が引刷をしようと恨むまいな。己もさうしなければ、餞死をする體なのだ。」(芥川、羅生門)

著者は、ここで芥川が右と左(天皇のまなざし)に拘ったと言います。下人は

この場面では、”にきび”と太刀の関係が非常に注意深く書かれています。つまり「太刀」で老婆を支配し、その「太刀」を「鞘」におさめたので、「左手」で柄をおさえ、「右手」でにきびに触れられるようになったのです。その「にきび」が右頬にあることも繰り返し指摘されています。「右手」と「左手」両方に言及されていることからも、平安京が朱雀大路、すなわち天皇の法のまなざしの線によって右京と左京に分かれていることを強くこだわった表現で書いていることがわかります。 主人の家から羅生門まで歩いてきた下人は、天皇と同じ方向を向いていました。つまり、律令制の法の眼差しとしての天皇の眼差しに刺し貫かれていたわけです。しかし向きを反対に変えれば、その関係は転換します。法を破る者になるのです。(p133)

”にきび”は、指導書では若さの象徴ということになっていますが、著者は右(京)と左(京)つまり天皇の視線を喚起するための小道具だと考えます。

善と悪
ここでいったい何が問われているのかといえば、善悪の境界とはいったい何なのかという、国家と法と権力をめぐる根本問題です。
私たちはこれまで、善悪は二項対立するものだというふうに教えられてきており、指導書でも、最初は善の立場に立っていた下人が悪の方向に転換したというかたちで『羅生門」をまとめています。 しかし、善悪の境界は、そんなに簡単に二分化できるものではないということがここで提示されます。(p141)

多くの教師用指導書の最後には、芥川龍之介が『羅生門』を書くベースにした『今昔物語』の一節が出てきています。その『今昔物語』では、盗人になるためにわざわざ都に来た男が羅城門の上で老婆に会うという設定になっています。しかし、『羅生門』の下人はそうではなく、洛中で主人から免職にされて羅生門に来たたわけです。先に述べたように、その際には、洛中から洛外に出る羅生門に向かって歩くことになり、北から南へと進み、天皇の視線に射貫かれていたことになります。そして、羅生門に着いて、さあどうするかと考えますが、盗人になるなら都に残るしかありません。 盗んだものは売らなければ金には換えられないからです。そこで、都に残って天皇の眼差しに対抗して盗人になるという決断をしたならば、その瞬間に下人は天皇から見た右左とは真逆の右左を進む、つまり「盗人」に転換することになるのです。(p146)

文学はこう読むのだ!という著者の高笑いが聞こえてきそうです。読者は、「小森くん、書いてないことまで考えなくていいんだよ」と言ってもいいでしょうねw。

 『あの名作の"アブない"読み方!』では、教科書指導書の真っ当な読み方をサカナに、小森センセイが"アブない"読み方をするわけです。鴎外の挫折と戦争責任を重ねる『舞姫』、精神的な男色を持ち込んだ『こころ』、そして下人と天皇制の『羅生門』。それコジツケじゃないの?と言いたくなります。『あの名作の"アブない"読み方!』の読み方は、指導書の読み方を「正」として(これはこれで参考になる)、小森センセイの"アブない"読み方を「楽しむ」、これが正しい読み方ではないかと思いますw。

大人のための国語教科書 目次
一時限目 森鴎外「舞姫」
三時限目 芥川龍之介「羅生門」・・・このページ
四時限目 宮沢賢治「永訣の朝」
五時限目 中島敦「山月記」

タグ:読書
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