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田川建三 イエスという男 ① 逆説的反抗者の生と死(1980三一書房) [日記 (2020)]

イエスという男 第二版 増補改訂 イエスという男―逆説的反抗者の生と死   本書には2004年の第二版 増補改訂版があるようです。読んだのは1980年の第一版。

第一章 逆説的反抗者の生と死
第二章 イエスの歴史的場
第三章 イエスの批判─ローマ帝国と政治支配者
第四章 イエスの批判─ユダヤ教支配体制に向けて
第五章 イエスの批判─社会的経済的構造に対して
第六章 宗教的熱狂と宗教批判との相克

ナザレのイエス
 イエスは、キリスト教のイエスと歴史から見たイエスの二人がいます。興味があるのは、宗教のフィルターのかかったイエスではなく、BC5年頃にガラリア湖の畔で生まれ、AD30年頃35~6歳で殺されたナザレのイエスです。現代の感覚で言えば、こんな辺境で生まれた「イエスという男」がなぜ世界的宗教のキリスト教となったのか不思議です。
 イエスの言動は4つの福音書に書かれています。イエスの死後一世紀頃に書かれたこれらの福音書は、イエスをキリスト(救世主)にする経典ですから、潤色、脚色が数多くあるそうです。そのヴェールを一枚一枚剥がしながら史的イエスの実像に迫ろうというのが本書。ミステリーを読むノリで読んでみました。

福音書

 福音書には、イエスによって語られる多くのたとえ話が収録され、その譬話に福音書の記者による解説が付きます。有名な

人もし汝の右の頬をうたば、左をも向けよ。マタイ5-39 この後に

下衣を取らんとする者には、上衣をも取らせよ。5-40 →普通は上着がさきです
もし汝に一里ゆくことを強ひなば、共に二里ゆけ。5-41
汝の隣人を愛し、汝の仇を憎むべし。5-44 と続き

これ天にいます汝らの父の子とならん爲なり。天の父は、その日を惡しき者のうへにも善き者のうへにも昇らせ、雨を正しき者にも正しからぬ者にも降らせ給ふなり。マタイ5-45
汝らの父の慈悲なるごとく、汝らも慈悲なれ。ルカ6-36

と注釈が付きます。「人もし汝の右の頬をうたば、左をも向けよ」とイエスは言ったんでしょうね(マルコ福音書には無い)。この文言に「慈悲」を結び付けたのはマタイとルカの福音書記者だといいます。イエスが何を言いたかったのか不明な言葉に、聖書記者は独自の解釈を施します。聖書学では、譬話は、ほぼイエスの言葉を伝えているが、解説や隠喩は福音書記者の創作だそうです。著者は福音書からイエスの言葉だけを取り出し、当時のユダヤの歴史から、これに独自の光を当て「イエスという男」の実像に迫ります。

 福音書にはマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4つがあり、いずれもイエスの死後の1世紀頃4人の記者によって書かれということです。信者と教団のために、イエスの言葉を散逸するまえに書物にしておこうとしたんでしょう。マルコ福音書はぺトロの弟子マルコ、マタイ福音書はマタイの属していた教会の誰か、ルカ福音書はパウロの弟子で医者のルカ?、ヨハネ福音書は不明。『マルコ福音書』→『マタイ福音書』→『ルカ福音書』→『ヨハネ福音書』の順番に書かれたらしいです。面白いのは、マルコ福音書に先行する?イエスの言葉を集めた仮説資料の『Q資料』。マタイ福音書はマルコ+Q資料+独自資料、ルカ福音書もマルコ+Q資料+独自資料によってまとめられたらしい。ヨハネ福音書は、先行の3福音書(共観福音書)を基にヨハネを名乗るグループによって自分達の教義に基づいて再構築した新たな福音書、ということらしい。この4つの福音書以外(外典)にも「マグダラのマリアの福音書」、「ユダの福音書」まであるそうです。

 著者は、イエスの言葉から福音書・記者のレトリックを剥ぎ取り、その言葉はイエスがおかれている「歴史の場」では如何なる意味を持つのか、という作業からイエスが言ったであろう言葉の真の意味を浮かび上がらせます。そこから見えてくるのは、イエスは「逆説的反抗者」だと言います。

逆説的反抗者の生と死
 例えば誰でも知っている有名なイエスの言葉、「右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ」。これはふつう「寛容」の精神を説いたものと理解されていますが、著者によると、寛容は後の教会のこじつけだといいます。

 古代社会において、肉体的に実際にしばしばなぐられていた者は奴隷であり、下層階級の者である。彼らにとっては、だまってなぐられることはすぐれた道徳でも何でもありはしない。その方が安全だというにすぎない。おとなしくもう一つ余計になぐられておいた方が、反抗してもっとひどい目にあったり、殺されたりするよりはましなのである。

左の頬を差し出すのは自己防衛であり、「さぁもう一発殴ってみろ」という殴られる側のふてぶてしさだといいます。

「上着を欲しいという人がいれば、下着もあげるようにしなさいよ」イエスのこの言葉が、搾取され、抑圧される者の憤りを表現していることは、しかも、その憤りを爆発させることができず、屈折した屈従の心理に身をしずめる者のうめきとして表現している

 イエスは愛だの寛容などを説いたわけではないといいます。「右の頬」も「上着と下着」も、文言の前と後ろにはイエスの注釈があったはずです。でなかったら、「殴られっ放しか」「泥棒に追い銭か」と聴衆から文句が出たはずです。イエスの説教の聴衆は、殴られても反抗できない人々であり、ローマ帝国やユダヤ教に税金を取られる貧しい人々だったはずです。その人々が「左の頬も出せ」「下着もやれ」という説法を聴くということは(後世まで伝えられるということは)、彼らはイエスの言葉に逆説の毒を読んだということなのでしょう。福音書の著者はその毒を抜き去り、教会は愛と寛容にすり替えたのです。

 また、イエスは彼らに貧しきものは幸いだと説きます。福音書の著者が削ったイエスの言葉を著者が甦らせます。

金持ちがが幸福で、貧しい者が不幸だなどということが当然のこととして認められてよいはずはない。もしも此の世で誰かが「幸いである」と祝福されるとするならば、貧困にあえぐ者を除いて誰が祝福されてよいものか。もしも「神の国にはいる」なんぞと言えるとしたら、俺たち貧しさをかかえてすったもんだやっている者達をおいて、どうして言えるのか。いや、「神の国にはいる」なんぞとは言うまい。神の国は貧乏人のものなのだ。きっとそうしてやる

「きっとそうしてやる」と言ったかどうか。

 もうひとつ面白い例があります。イエスが取税人の家で飯を食べた噂を聞いた律法学者は、普段は偉そうなことを言っているイエスが下賎な取税人と酒食を共にするとは何事だと非難します。当時取税人は賎しいとされていたようです。ちなみに、イエスは人の家に上がり込んで飲んだり食ったりするのが好きだったとか?。

私は義人を招くためではなく、罪人を招くために来たのだ マルコ 2-17

福音書では、イエスは「罪人を招いて悔い改めさせるため」に取税人の家出飯を食ったのだ、という解釈になっていますが、別の章で、

取税人や遊女の方があなた方よりも先に神の国にはいる マタイ21-31

あなた方が誰を指すか分かりませんが、取税人や遊女を蔑む人でしょう。その人たちに、取税人や遊女だから救われるのだと言ったわけです。歎異抄の「善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人おや」です。時代と国は違えど、宗教家は同じ発想をするんですね。

 著者は「99匹と1匹の羊」のたとえ話しをネタにこう結びます、

大切なのは九十九ではなくて一だ。こう主張する時、もはや人は深く全体を見通す平衡のとれた理性を失っている。暴論ですらある。だがそのように叫び出さねばならない状況はしばしばあるものだ。・・・逆説的反抗なのである。此の世で実際にこのようなことを、ある程度以上主張すれば、叩きつぶされざるをえない。実際には九十九の力に一が勝つはずがないからだ。逆説的反抗に立ち上れば、人は悲劇に突入する。しかし歴史を動かしてきたのはさまざまな悲劇だった。イエスという人がさまざまな場面で語り、主張してきた逆説的反抗を「真理」の教訓に仕立て変えてはならない。イエスは「真理」を伝えるために世界に来た使者ではない。そのように反抗せざるを得ないところに生きていたからそのように反抗した、ということなのだ。そして、もう一度言うが、だから殺されたのだ。

 
逆説を説くイエスがなぜ民衆の支持を得たのか、その辺りはよく分かりません。引き続き読んでみます。

タグ:読書
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