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AliExpressで買い物 [日記 (2020)]

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 AliExpressで買い物しました。amazonの中華版です。昔はドル為替を組んでエアーメールで送ってと面倒でしたが、今ではクリックひとつで買い物が出来ますから便利になったものです。8/25注文して9/8に到着、約2週間で到着。
 中華からの買い物は、品質にイマイチ安心できませんが、日本に無いものが安価に手に入ります。業者が輸入してamazonに出品しているケースも多いですが、値段が全然違います。デメリットは、入手時間とトラブル。1年ほど前ですが、ebayで3ヶ月立っても届かないので業者にクレームを付けたところ、品切→返金というトラブルがありましたが、脱Amazonの通販はそれなりに便利です。

タグ:絵日記
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田川建三 イエスという男 ③ ~ローマ帝国、ユダヤ教支配~(1980三一書房) [日記 (2020)]

イエスという男―逆説的反抗者の生と死 イエスという男 第二版 増補改訂 続きです。
第一章 逆説的反抗者の生と死
第二章 イエスの歴史的場
第三章 イエスの批判─ローマ帝国と政治支配者
第四章 イエスの批判─ユダヤ教支配体制に向けて
第五章 イエスの批判─社会的経済的構造に対して
第六章 宗教的熱狂と宗教批判との相克

預言者の墓を建てる者
 イエスの舌鋒が向かう先はローマ帝国とユダヤ教です。イエスが主に活動したガラリアはヘデロの直接支配地であり、ローマ権力は直接には顔を出さないことが多いそうです。従って、イエスが批判するのはパレスチナの社会支配の基礎的枠組を作っていたたユダヤ教、ユダヤ教の律法学者です。

ユダヤ教は宗教ではない。・・・古代のユダヤ教とは、社会支配の体制であった。それは、一つには、宗教的権威の外皮を伴って、民衆の全生活の内容を一々規定してくるイデオロギー的な力であったが、同時に、その、イデオロギー的力を支える社会的内実が存在した。ユダヤ教の主たる担い手である宗激的上層階は、同時に、経済的社会的にも明瞭に支配階級だったのである。(p118)

 一世紀のパレスチナにおいてユダヤ教を批判することは、宗教批判に止まらず社会構造の批判となったといいます。だから殺されたわけです。

禍いあれ、律法学者どもよ。お前らは昔の預言者の墓を建立しているけれども、それはお前らの先祖が殺した預言者ではないか。先祖たちが殺した預言者の墓をお前らが建てる、というそのことによってまさに、お前らは先祖の預言者殺しに同意しているのだ。(ルカ11・47~48、マタイ23・33以下、Q資料)

 有名な?フレーズです。吉本隆明が「関係の絶対性」という概念を導き出す手掛かりとなった一節だそうです。そう言えば、学生時代にそういうフレーズ聞いたような、『マチウ書試論』でしょうか。世を惑わす「予言者」という存在は、時の権力者やその追随者(律法学者)にとっては邪魔物に他なりませんから、迫害し殺してしまったんでしょう。この預言者はユダヤ教の預言者でかつ律法学者だと思われます。ユダヤ教の律法学者が同じユダヤ教の律法学者の預言者を殺すというところがこの話の要です。後の律法学者がその予言者の墓を建てるという行為は、

現在のパリサイ派系のユダヤ教指導者どもは、自分達があたかも旧約時代の預言者の正義を継承するような顔をして、預言者の墓をたて、安息日ごとに預言者の書物を読みあげ、その精神を説教しているけれども、そのくせ、我々キリスト教徒の「預言者、知者、律法学者」をば迫害したり、殺したりしているではないか。偽善者なる現在のユダヤ教主流には、必ずや、最後の審判において、これら一切の血の報いがふりかかるに違いない。(p151)

ということです。勝手に解釈すれば、冤罪を着せて菅原道真を太宰府に流した張本人が、(祟りを恐れ、鎮魂の為に)道真を天満宮に祀るようなもの。つまり、墓を建てる律法学者は予言者殺しに他ならない、とイエスは言ったのです。著者は菅原道真云々とは言ってませんが。

 イエスが言ったその通りに、律法学者は予言者イエスを十字架に架けて殺してしまいます。

蛇よ蝮のすえよ。どうして汝らが地獄の審きをまぬがれよう。汝らのもとに我(キリスト)は、我が預言者、知者、律法学者を派遣するが、汝らは彼らを殺したり十字架にかけたり、汝らの会堂で鞭打ったり、町から町へと迫害していくのだ。その結果、義人アベルの血から、汝らが神殿の聖所と祭壇の間で殺したバラキヤの子ザカリヤの血にいたるまで、地上に流された一切の義なる血が汝らの上にふりかかることになる。そうだ、はっきりくり返すが、これら一切の義なる血の報いが汝ら今の世代にふりかかる。(マタイ22/33三以下)

 蛇よ蝮のすえよとは強烈な呪詛、憎しみの表現です。前段と合わせて読むと、お前たち律法学者は、預言者イエスを十字架に架けて殺した。先祖と同じことをしている。それ故、義なる血の報いが汝ら今の世代にふりかかる、つまり神の罰が下るいう呪詛になるわけです。

 キリスト教がユダヤ教から分かれた一派ですから、ここで語られているのは、同根のふたつの党派の争いでありマタイの記者によるユダヤ教に対する激しい近親憎悪です。

旧約の預言者のことが気になるのなら、あんたら自分も預言者と同じように生きればいいんだよ。何も預言者の墓を飾りたてることはない。そうやって過去の預言者を絶対的権威に仕立て上げ、実はあんたらは自分自身にその絶対的権威の後光をかぶせたいんだろ。よしなよ。かつて預言者を迫害したのはあんたらみたいな連中だったんだぜ。(p158)

イエスと旧約律法
 当時シナゴグ(ユダヤ教会)では誰でも説法ができたようです。イエもまた説法をし、その説法に人気が出て人々に知られるようになった、と著者は想像します。

イエスがだんだんと自らの言葉を自らの主張をもって語るようになると、会堂の管理者の側もそれを好もしく思わないようになり、イエスの方でも会堂での説教という枠から積極的に外に出て行ったのではないだろうか。イエス登場の前史として、ほぼこの程度のことは想像できる。・・・発言の場所は、そこここの家の中であり、屋外であり、行きあわせた場所での論争であった。しかしそういう場所でのイエスの話に人気があり、人がおのずと集ったのは、イエスが会堂の中ですでに律法解説の枠を一歩踏み出る話をして、かなり人々に知られるようになっていたからであろう。(p161)

 史的イエスを彷彿とさせる想像であり記述です。イエスは「ラビ」と呼ばれたこともあり(マルコ10-51)、裁判の調停者になるように頼まれたこともあった(ルカ12-13)ようですから、旧約の知識は深かったと思われます。イエスは旧約を自分流に解釈して説教し、新約にあるような逆説的なイエスの説法はユダヤ教とユダヤ体制批判になった。だから民衆に熱狂的に受け入れられたのでしょう。

イエスが目ざしたのは、宗教復興でも原点への回帰でもない。イエスが、律法学者が預言者の墓を建てている、と言って批判する時、彼らが実際には虚妄にみちておりながら、おのれらの行為を預言者に帰せられた絶対的権威の後光を借りて権威づけようとしていることを批判しているのである。そういう形式的権威にかつぎだされたのでは預言者達の活動の意味は死んでしまう。だからこそ彼らは預言者殺しに加担している、と言われる。(p162)

「権力の尻尾」にぶら下がる律法学者(パリサイ派)にとって、イエスは抹殺すべき存在となります。

タグ:読書
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イングマール・ベルイマン 魔術師(1958スェーデン) [日記 (2020)]

魔術師 久々のイングマール・ベルイマン。

プロローグ
 魔術を売り物に北欧を旅するヴォーグレル一座の物語。一座は、座長のヴォーグレル博士(マックス・フォン・シドー)、彼の祖母(魔女?)、弟子のアマン(イングリッド・チューリン)、助手と、馭者の5人。
 行く先々で派手な広告を打ったため、とある町で警察に引っ立てられます。待ち構えるのは、警察署長、役人、医者の3人。3人は、魔術師ヴォーグレルのインチキを暴き座興にしようというわけです。怪しげな旅の一座 vs.町の名士3人の対決となります。

第1幕
 引っ立てられた館でヴォーグレル一座と名士3人の化けの皮が剥がれるというコメディです。登場人物がそもそも珍妙。ヴォーグレル博士はカツラに付けヒゲで威厳と神秘を装い、弟子のアマンは男装の麗人で実はヴォーグレルの妻。館で、魔女はインチキ媚薬を売り付け、助手は料理女を口説き、御者もメイドと洗濯室にしけ込みます。一方で館の女主人(役人の妻)はヴォーグレルを誘惑し、医者はアマンが女性であることを知って言い寄る始末。助手と御者はいいとしても、オツにすました夫人と医者も一皮剥けば、です。

第2幕
 一座は、館の面々に魔術を披露します。署長に空中浮揚のインチキを見破られ、仕返しに署長の妻に催眠術?をかけて署長の化けの皮を剥ぎ、館の使用人を見えない鎖で縛り、と茶番が繰り広げられます。使用人ははずみでヴォーグレルを殺してしまい(実は生きている)、ヴォーグレルは検視に現れた医者を幽霊に化けて脅し、医者は臆病な正体をさらけ出し、とドタバタ劇が続きます。第2幕では、一座のインチキが暴かれるとともに、署長と医者の虚飾が剥がされることになります。

エピローグ
 インチキのバレた一座は、はほうほうの体で逃げ出します。助手は屋敷の料理女と世帯を持つために残り、インチキ薬で一財産作った魔女もヴォーグレルと別れると言い出し、助手と魔女の代わりに御者と恋仲になったメイドが加わり、一座は崩壊寸。折りも折り、なんと国王よりヴォーグレル一座に興業の招待状が届き、ハッピーエンドなのかどうかよく解らない幕切れとなります。

 イングマール・ベルイマンは、この映画で何を描いたのか?。タイトル通り魔術師が登場し、魔術を暴く警察署長以下3人が登場します。魔術師ヴォーグレルはというと、カツラと付けヒゲで威厳と神秘を装いますが、変装を解くと、これも男装を解いた妻アマンに甘える唯のオッサン?。警察署長、医者、役人の3人も理性と権力、富によっていかにも上流階級を装っていますが、次々に醜態をさらけ出します。
 登場人物で自分を飾らないのが、料理女と懇ろになって落ち着き先が見つけた助手(早くも尻に敷かれていますが)、メイドと恋仲となった御者、インチキ薬の販売で一財産作った魔女の3人。飾る必要がないので、女を口説いたり金に執着したりと自由気ままに振る舞います。従って、登場人物全員が「唯の人」という誠にヒューマニズムに満ちた「人間喜劇」ということになります。

 制作の順番からいうと、第七の封印 野いちごと →魔術師処女の泉となります。イングマール・ベルイマンは、「神の沈黙」や人間の我執と孤独といったテーマを一度お休みして、人間喜劇で一息ついたのかも知れません。

監督・脚本:イングマール・ベルイマン
出演:マックス・フォン・シドー、イングリッド・チューリン、ビビ・アンデション

タグ:映画
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Amazon fireHD8 再購入というか雑感 [日記 (2020)]

【Newモデル】Fire HD 8 タブレット ブラック (8インチHDディスプレイ) 32GB1.jpg
素のFireHD
 3年程前に買い、GooglePlayを入れてandroidタブレットとして使ってきました。USBコネクタが壊れて充電しなくなり、saleに釣られて再購入。初代機はあれこれインストールして遊びましたが、結局Fireの主な用途はPrimeVideoとブックリーダー。従って、今回はgoogle playを入れず<素>のまま使います。第10世代なんですが、何処か進化したかは?。誤算は、サイズが大きくなって旧型で使っていたカバーが使えなかったこと。

 改めて思うのですが、当たり前のことなんですが、fireはAmazon専用の、Amazonの売上に寄与するタブレットですね。一応のことは出来るんですが、汎用というわけには行きません。appsに行ってもこれはというアプリはありません。試してませんが、Evernote、Zoom、VLC、youtube、facebook、twitter、らじる、radiko辺りはあるようです。ブラウザは、FireFoxもOperaもありません、silkを使えって!。まぁPrimeVideoとKindleを使っている限り、これはこれでコストパフォーマンスに優れた端末です。流行りのZoomを使うにはリーズナブルでいいかも知れません(家人のiPadの1/10)。

PrimeVideoとKindle
 PrimeVideoは、劇場未公開のマイナーな映画と古い映画が見放題なのがメリット。最近観た 軍中楽園イエスタデイ青いパパイヤの香りもPrimeVideo。
 電子本を読むのはKindlepaperwhiteがベストなんですが、フォントが変更出来ない本を買ってしまい、8インチのfireならなら何とか読めます。私のpaperwhiteは初代のため反応がとてつすもなく遅いのですが、fireなら速いです。

 Silkブラウザが使いにくいので、これだけは何とかしようと思います。

【追記】
 Silkブラウザにブックマークをインポート出来なかったので、playストアをインストールしてchromeを入れました。前回やった4つのapsをインストールするやり方です。PC、スマホ、タブレットが同じ環境で使えるのは、やはり便利です。playストアが入ったのであれこれインストールできますが、Chromeだけにしておきます。

タグ:タブレット
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