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映画 ロープ 戦場の生命線(2015西) [日記 (2020)]

ロープ 戦場の生命線 [DVD]  原題は”A Perfect Day”、「完璧な一日」。ユーゴスラビア紛争の停戦直後の1995年、ボスニア・ヘルツェゴビナで活動するNGO「国境なき水と衛生管理団」を描いた映画です。ベニチオ・デル・トロ、ティム・ロビンス、オルガ・キュリレンコとスター級を揃えていますが、映画としては至って地味、戦闘も一発の銃声も無い「戦争映画」です。

 村の井戸に死体が投げ込まれ、「国境なき水と衛生管理団」の出番となります。メンバーは国際色ゆたか、保安担当でリーダーのプエルトリコ人(≒アメリカ人)・マンブルゥ(ベニチオ・デル・トロ)、アメリカ人のビー(ティム・ロビンス)、フランス人のソフィー(メラニー・ティエリー)、現地人(ボスニア人?)の通訳ダミール(フェジャ・ストゥカン)の4人。これに、紛争審査分析官のロシア人・カティヤ(オルガ・キュリレンコ)が加わり都合5人。実は、カティヤはマンブルゥの元愛人で、マンブルゥの現愛人と三角関係。カティヤはマンブルゥに未練があるようで、このふたりのギクシャク感、ビーの軽口をダミールとソフィーが受け流し、と民族紛争の戦場で、NGOメンバーの淡々とした日常が進行します。

 マンブルゥたちは死体を引き上げる作業を始めますがロープが切れます。ロープを求めてあちこち駆け回るストーリーですから、邦題は「ロープ」。原題の「完璧な1日」はロープを探し回る彼らの1日に対するアイロニーです。ロープを買いに店に行きますが、ロープは死体を引き上げるためではなく「首を吊る」ものだと売ってくれません。国連軍に死体の処理を頼むも地雷の処理忙しいと断られ、ボスニア・ヘルツェゴビナ共和国の旗を掲げる施設でロープの借用を頼みますがこれも断られます。

 戦場というにはどうにも緊迫感の無いシーンの連続ですが、道の真ん中に地雷を偽装した牛の死体が放置され、途中でと出会った少年が拳銃を抜く辺りはいかにも戦場。ニコルという少年がロープがあると言い出し、少年の家に行きま。犬を繋いだロープを得るために、睡眠薬の入った肉を食べさせる辺りは笑うしか無いです(結局犬に麻酔は効かず)。こうしたチグハグを『ボーダーライン』のベニチオ・デル・トロやティム・ロビンス、オルガ・キュリレンコが演じます。この映画は何ナンダ?と思うのですが。紛争には戦闘や死、NGOには深遠な理想と使命があると考え勝ちですが、現実というものはこうした平凡な「日常」から成り立っているということかも知れません。死体を井戸に投げ込んだのも、和平を望まない政治的な行為かというと、水を売る商売!。

 少年の家を訪れる辺りから緊迫が高まります。少年の家は爆破され、壁には「犬どもは出てゆけ」の落書き。マンブルゥは言います、

戦争の前は 夫婦のどちらかがムスリムでもセルビア人でも 問題なかった
戦争が始まると亀裂が生じ ここも危なくなった
だから子供を祖父母に預け夫婦は逃げ延びた 安全な地へ
だが逃げている間に 家は隣人に爆破され戻れない 最悪なのは・・・

 ニコルの両親は紛争の避けるために町を離れ、祖父の元で暮らしていますから、このセリフはニコル一家を指し一家は「民族浄化」に巻き込まれたのです。そして「最悪」が明らかになります。
ロープ.jpg
 死体からロープを確保したマンブルゥたちは、井戸のある村に戻る途中セルビア軍?の検問に引っかかります。ボスニア人?を拉致した軍は、NGOの通行を許可せず、ボスニア人の通訳ダミールは身の危険を感じて通訳を拒否。多民族国家旧ユーゴスラビアの複雑な政治状況を反映しています。セルビア、ボスニア、ムスリムが憎み合う世界と、アメリカ、フランス、ロシアの混成NGOが対置されます。

 NGOの地雷原からの脱出が、この映画の「希望」です。前半で、地雷原を牛を追う老婆が登場します。危ないから引き返せと言う国連軍に、老婆は、毎日家へ帰る道だ、空を飛べというの?、と本能で地雷を避ける牛の後を追ってゆうゆうと地雷原を渡ります。老婆の日常は民族紛争も地雷も超えていたことになります。NGOが地雷原で立ち往生した時この老婆が現れ、彼らは老婆の後を追って地雷=戦争を回避します。

 新しいロープで死体を釣り上げ井戸を浄化出来たのか?。国連軍管轄地域らしいオチが用意され、NGO一行は次のミッション、難民キャンプのトイレからあふれ出た汚物の処理に向かいます。
 ドラマ性に乏しい地味な映画ですが、戦争という非常に日常のしたたかさを対置させた、紛れもない反戦映画です。

監督・脚本:フェルナンド・レオン・デ・アラノア
出演:ベニチオ・デル・トロ、オルガ・キュリレンコ、ティム・ロビンス、メラニー・ティエリー

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