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映画 こころ(1955日) [日記 (2023)]

こころ
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 夏目漱石『こころ』の映画化です。漱石の「映画」は、『それから』(監督、森田芳光、主演、松田優作)以来です。小説の映画化というのは面白くないと思っているのですが、ドラマになりやすい三角関係(姦通)ですからそれなりです。で『こころ』はどうか?、コッチも三角関係。文豪・漱石の代表作、ベストセラーを市川昆がどう料理したかです。
 『こころ』は、帝国大学まで出たのに(当時の大学卒は、今と違って超エリート)定職にも就かず世間と没交渉で奥さん(新珠三千代)とふたりで暮らす先生(森雅之)の謎を、先生に私淑する大学生の私(安井昌二)が解き明かすというミステリー仕立てです。

 冒頭、Kの墓参りで先生と奥さんが諍い、「あなたは隠し事をしている」とエスカレートします。Kの死の原因が奥さんをめぐる三角関係にあり、先生は奥さんを墓参に連れて行きたくなかったわけです。後に奥さんが私に語るように、先生が働かず自宅に閉じ籠ることは自分に原因があると疑っています。奥さんは真相を知りません。
 下宿先のお嬢さん(奥さん)を巡る先生と先生の裏切りで自殺した親友K(三橋達也)との三角関係の物語です。先生は、明治という時代に殉じるかの様に自殺し、Kを自殺に追い込んだ罪を清算します。これが『こころ』のストーリーで「人間の深いところにあるエゴイズムと、人間としての倫理観との葛藤が表現されている」(wiki)ということになっています。

 『こころ』には様々な解釈があるようです。そのひとつが物語に隠された二重の三角関係先生とKとお嬢さんの三角関係は明白ですが、もうひとつ、先生と奥さんと「私」の三角関係です。お嬢さん=奥さんを頂点とするふたつの三角関係が存在し、ひとつの三角関係ではKが自殺し、もうひとつの三角関係では先生が自殺します。Kの自殺によって先生とお嬢さんが結ばれたように、先生の自殺によって「私」と奥さんが結ばれると云うのです(小森陽一説)
 これを裏付けるのが郷里に帰っていた「私」の行動。先生の遺書を読むや、危篤の父親を放っぽりだして東京へ向かいます。先生は既に亡くなっている筈であり、急いで東京へ向かう理由は唯ひとつ奥さんの存在です。遺書には、

妻が己れの過去に対してもつ記憶を、なるべく純白に保存しておいてやりたいのが私の唯一の希望なのですから、私が死んだ後でも、妻が生きている以上は、あなた限りに打ち明けられた私の秘密として、すべてを腹の中にしまっておいて下さい。

これは、先生が私に奥さんを「託した」と読むこともできます。
 これを市川昆はどう描いたのか?。映画のラストで、奥さんは故郷から駆けつけた私に駆け寄り、私は無様にも尻餅をつきます。その後奥さんは通り(世間)から遮断するように玄関の戸を閉め→「完」。何処にも私と奥さんのその後を思わせるカットはありませんが、玄関の戸を閉めるカットは、親友の妻を奪う『それから』の代助と三千代、世間を閉め出し親友の妻とひっそりと暮らす『門』の宗助とお米の世界への前触れかも知れません。
 
三角関係.jpg 二重の三角関係
監督:市川崑
出演:森雅之、新珠三千代、三橋達也、安井昌二

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