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中沢新一 大阪アースダイバー ② (2012講談社) [日記 (2020)]

大阪アースダイバー 続きです。
 淀川の砂州、大阪でいう「キタ」に「ナニワの資本主義」が生まれたというなら、「ミナミ」はどうだったのかというのが、第三部「ミナミの浮上」。ミナミの地に深く潜り、土地にまつろう歴史をあぶり出すアースダイバーの醍醐味が堪能できます。

千日前
 秀吉の時代に横堀川などの水路が開削されて船場や天満が生まれ、慶長年間に道頓堀の開削工事が完成し島之内(宗右衛門町、心斎橋筋)の町場が出来上がります。道頓堀の岸辺には人形浄瑠璃や歌舞伎の芝居小屋が立ち並んだといいます。現在も国立文楽劇場があり昔は角座がありましたから、似たようなものだったかも知れません。決定的に違っているのが千日前。

道頓堀の盛り場の裏手に回ると...人家もまばらなその土地は、広大な墓地となっていた。道頓堀を渡り、芝居小屋を通り抜けてしばらく進むと、竹林寺と千日寺(法善寺)という寺が立ち並び、さらに奥に進むと「火屋(火葬場)」の建物にたどり着く。そして周囲には、多くの粗末な非人小屋や聖たちの坊が立ち並んでいた。千日寺の前には、刑場もしつらえられていた。・・・獄門台の上にはいつも誰かの首が晒されてあった。

 著者は、千日前を大阪一の「ネクロポリス(死者の国)」であったと言います。今日、飲食店や吉本の演芸場が並ぶ千日前は、なんと墓地と刑場の上に建っていることになります。明治7年、墓地と刑場は廃止され市街地として開発されます。では、この地になぜ演芸場が誕生したのか?。著者は、墓地、刑場と演芸が密接に関わっていると言います。そこには、死者を埋葬し弔う、非人、墓守り、聖が住み、彼らの埋葬儀礼が芸能へ発展したというのです。刑場の(公開)処刑や獄門台は「見世物」ですから、千日前の地に寄席や見世物小屋が出来ても不思議はありません。

 このもの寂しい千日前に、まっさきに進出したのが、見世物小屋である。処刑場の跡地に見世物の小屋が建つというのは、まったく理屈にかなっている。・・・日常生活では隠されている秘密の光景を、扉を開いて見せてくれるのが、見世物である。その意味では、生きている者の世界のなかに、突如として死が出現する瞬間を見せる処刑も、秘仏の御開帳も、化け物や怪物の見世物も、みな同じカラクリで出来ている。人間という生き物は、自分の認識力の限界領域でおこる、さまざまな驚異の出来事を見たいばかりに、わざわざ遠くの悪所や名刹にまで、足を運んでいくのである。

これで、千日前→墓地、刑場→見世物小屋が繋がりました。

まことにミナミは、古代宗教の精神の生き残る、聖なる土地である。刑場から見世物へ、そしてお笑いの王国へ。ここはいつも世界のへり(縁)なのだ。驚くべきはミナミの一貫性である。

ということになります。さて大阪の「お笑い」。

萬歳
 千日前の「お笑い」といえば、落語、漫才、吉本新喜劇、松竹新喜劇。落語は生國魂神社(天王寺区)の説教「彦八ばなし」から始まったと言われています。では、漫才はというと、三河萬歳などの古くからある「萬歳」。著者によると、漫才は南方からの渡来神に起源があるといいます。この渡来神は二人一組で現れ、一人はいかめしく真面目、もう一人はいかめしい神をマゼ返すおどけた神だそうです。真面目な神が秩序と豊穣をもたらし、おどけた神がその秩序を壊して再生させる、正→反→合で物事が展開するまるで弁証法のような神です。この二人の神が大夫と才蔵の組み合わせとなって演じる萬歳となり、目出度さを表す踊りや音曲がすたれて、ボケとツッコミが演じるしゃべくり漫才となったわけです。

 異界から来訪する神が、人間に伝えようとしていた神秘は、新しい時代がやってきても、死に絶えることはなかった。それどころか、現代のはじまりを迎えて、神秘の主はむしろ高揚感を感じていたのである。
古い神の衣装は脱ぎ捨ててしまおう、手に持つ楽器も扇ももういらない、踊るからだも封印してしまおう、残されたのはただ口だけ、その口から放たれることばの力だけで、何気ない日常のまっただなかに、神秘を出現させてみせようではないか。その神秘の主の選んだのが、吉本せいという女性シャーマンだった。

かなりアクロバチックな展開です。第三部「ミナミの浮上」を要約すると、

 不思議なことに、人類の社会では大昔から、笑いの芸能というものは、生と死が混在する機会や場所を選んで演じられるもの、という暗黙の決まりがあった。・・・
 芸能というものも、本質では「世界の内側に組み込まれた外部」なのではないだろうか。内側の世界では、表に出してはいけないとされているものを、巧みに口に出して、表にさらしてみせたり、タブーのかかっているもののカバーをめくってみせたりする。上手な話芸で、聞いている人たちの意識を、死者の世界に誘い込んだりする。はらはらどきどきさせて、死の領域に接近してみせては、また無事にこちらの世界に戻ってこさせる。芸能の魅力は、じつに墓地の構造にそっくりである。
・・・墓地から演芸の繁華街へ、聖からお笑いの芸人へ、そこには一貫した思想が流れている。芸能の王とは、なにあろう死なのである。

 続いて、上町台地に建つ四天王寺と、その崖下に広がる飛田から釜ヶ崎にいたるdeepな大阪が語られます。

タグ:読書
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