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梶山季之 族譜・李朝残影 ② (岩波書店2007) [日記 (2020)]

族譜・李朝残影 (岩波現代文庫) 族譜
 宗主国の男と植民地の女の恋を描いた『李朝残影』にくらべると、『族譜』はもっと直接に日本の朝鮮支配を描いています。テーマは「創氏改名」。創氏改名とは、日韓併合政策のひとつで、朝鮮人の名前を日本風の姓+名に改めようとした政策です。例えば金さんは金本さん、朴さんは木下さんに改名させ、朝鮮と日本の一体化を図ろうとします。

 朝鮮総督府は創氏改名を法制化せず自主的な申告制とし、申告しなかった場合は、文在寅さんは文+在寅さんとなり、奥さんの金正淑さんは文正淑さんと夫の姓を名乗ることになります。
 文在寅さんの奥さんは金正淑さんで、韓国では夫婦は別姓。梶山季之夫人は梶山美那江さんで日本は夫婦同姓。儒教文化圏では夫婦を基本とする「家」より、血族の「氏」を重視するようです。本貫が重視され、かつての民法の同姓同本不婚などはその例です。
 従って、朝鮮固有の名前を奪って日本風の姓と名に改名させる創氏改名は、朝鮮の伝統と文化の破壊ということになるわけです。逆に言うと、創氏改名は「内鮮一体を掲げる朝鮮総督府の重要課題ともいえます。

 京畿道庁で創氏改名を推進する役人・谷六郎(語り手、僕)の話です。創氏改名は強制ではなく朝鮮人の主体的な判断に任されていますから、民族性に理解を示す谷は創氏改名を押し付ける道庁の政策には批判的。従って進捗度は低く、上司に尻を叩かれるわけです。創氏改名が進まない原因のひとつが薛鎮英。薛は地主(両班)で地方の名家、700年続く「薛家」の家系(族譜)を守るために「氏」を捨てることを拒否します。その影響力は大きく、付近一帯の創氏改名が停滞することとなり、谷は薛鎮英の説得に向かいます。

 薛鎮英を訪ねた谷は、700年続く薛家の「族譜」(家系図)を見せられ説得の矛先は揺らぐわけです。その夜は薛家に泊まり、薛鎮英が酔って歌う朝鮮民謡を聴きながら、

朝鮮の民謡はどうしてこんな、悲しい響きに満ちているのであろう。この侘しい旋律は、この民族の運命を象徴しているのかも知れぬ。……そんなことを、考えるともなく考えているうちに、僕の心は譬えようもない湿った愁いに占領されて行った。《お父さまを苦しめないで下さい。父さま、可哀想です。》その湿った愁いの塊りはみるみる容積をまし、僕を背徳の意識に虐みはじめた ...。

朝鮮民謡に喚起された谷の「愁い」は、玉順の一言で膨れあがります。これは野口が金英順の踊りを観たとき心性と同じものでしょう。『族譜』は『李朝残影』のバリエーションです。
 そうなると、谷は玉順のために薛鎮英の創氏改名を見逃し職務と私情の間で沈没することは眼に見えています。事実そうなります。『族譜』もまた、(川村湊の言う)宗主国の男と植民地の女の物語りと言えそうです。だと思うのですが、谷の口からはそういう話は出ません。

 谷の説得は失敗し、道庁はあの手この手で薛鎮英に創氏改名を迫ります。憲兵隊を使って玉順の婚約者を思想犯にでっち上げ、玉順を徴用の名目で薛鎮英から引き離すなど外堀から攻めて翻意を促します。谷は黙って傍観するしかないわけですが、玉順が徴用で引っ張られる時は、さすがに事前に手を打って彼女を救出します。最後には薛鎮英の孫に圧力をかけ、薛はやむ無く創氏改名に応じますが、700年の族譜の末尾に

昭和十六年九月二十九日。日本政府、創氏改名ヲ強制シタルニ依リ、ココニ於テ断絶。当主鎮英、之ヲ愧ジ子孫ニ詫ビテ、族譜ト共ニ自ラノ命ヲ絶テリ

と書き加えて自殺します。谷は辞表を叩きつけ、その三ヶ月後に始まった大東亜戦争に出征します。父を殺され婚約者を奪われた玉順は「もう遅いです。 みんな、遅いです」と嘆き、谷は「僧いでしょう。僕を恨んで下さい」と言う他はなく。出征の列車のなかで

〈これでいいのだ〉と思っていた。なにも悲しくはなかっ た。どこか贖罪に似た、寧ろ晴々とした気持すらあった。

 谷と薛鎮英の物語りは、谷と玉順で終わります。日本は戦争に負け、朝鮮は解放されますから、このふたりにどんな未来があるのか。 
 「贖罪」とは、総督府の走狗となって、日本帝国主義の朝鮮侵略の一端を担ったこと、薛鎮英を自殺に追いやったことを指しますから、川村湊が言うように、梶山季之の自己処罰かも知れません。『李朝残影』に比べると、日本の朝鮮支配は尖鋭化されていますが、叙情性では今一歩。

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