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今どきは、運動会もLIVE配信 [日記 (2021)]

運動会1.jpg 運動会2.jpg
 「運動会、動画配信だからみてね」と連絡が来ました。コロナ禍で運動会もLIVE配信です。昔は地域の行事で、お弁当持って家族で応援に行ったものですが、隔世の感があります。
 で観たのですが、学校の屋上から撮しているようで、アンタどこにいるの?です。数時間も見ているわけにもいかないので、後でワタシはココと教えてもらうことにして(教えてもらっても豆粒ほど!)、録画しました。youtubeの録画アプリを入れればいいのでしょうが、PCにいろいろ入れたくなかったので、windowsのビデオキャプチャ(2時間の制限あり)。午前と午後に分けて録画、データサイズはそれぞれ6.4G、6Gです。

 サイズが大きいのでHandbreakで圧縮しました。めったに使わないので備忘録。
ハンドブレイク.jpg ハンドブレイク3.jpg
ファイルをドロップする
ハンドブレイク1.jpg ハンドブレイク4.jpg
<プリセット>で、Device →Android480p30を選択
<動画タブ>の<Quality>を固定品質25に変更。<保存先を選択>し<エンコード開始>でエンコードが始まる。

 この設定で、6.4G→399M、6G→349Mとサイズは変更されます。このサイズであれば、LINEで送れます、タブレットでも十分見ることができます。”わたし”の登場シーンだけ切り出したいので、次はトリミングしてみます。

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アサギマダラ [日記 (2021)]

1.jpg azami.jpg
 友人からアサギマダラの画像が送られてきました。マーキングされており、群馬県から撮影地の京都植物園まで380kmを飛んで来て、これから台湾あたりまで行くらしい。蝶の「渡り」です。
 アサギマダラは見たことがないので尋ねると、産卵のためフジバカマに集まるらしく見たいならフジバカマを探せ、です。フジバカマは秋の七草ですからその辺りに生えていそうですが見かけません。散歩の度に探したのですが見つかりません、絶滅危惧種だそうです。wikipediaによると

幼虫の食草となるガガイモ科植物はどれも毒性の強いアルカロイドを含む。アサギマダラはこれらのアルカロイドを取りこむことで毒化し、敵から身を守っている。

とのことです。
フジバカマのほかアザミなどにも寄ってくるようです。気長にフジバカマを探してみます。

 追記
 フジバカマが見つからないとLineに入れたら、アザミで撮れたという返信が来ました。アザミなら近所にありそう。

タグ:絵日記
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韓国の前方後円墳(新徳古墳群) [日記 (2021)]

新徳古墳.jpg 新徳.jpg
 韓国の光州博物館で「新徳古墳特別展」が催され、ハンギョレ新聞が「全羅道屈指の国宝級古墳、被葬者は倭人?百済人?」というタイトルで報じています。文在寅政権の御用新聞みたいなハンギョレはこの手の記事が割りと好きみたいです。時々「ノ・ヒョンソクの時事文化財」というシリーズでこうした記事が出ます。

 韓国南部・全羅道に十数基の前方後円墳があることは有名な話です。前方後円墳は、ヤマト王権の権力が地方に延びてゆく指標とされていますから、古墳時代には王権の権力が半島に及んでいたいうことにもなります。「それはマズイだろう」と、真ん中を削って方墳と円墳にしてみたり、それらしい服装品が出ると埋め戻したり、被葬者は倭人ではなく百済人だ!という学説が登場したりです。新徳古墳は、1984年に発見され、1991年盗掘にあい1993年に捕まって戻ってきた服装品が今回公開されたようです。

博物館も盗掘後の9年間に体系的な調査を行い、相当な研究成果を確保した。しかし、30年間も報告書を出さず、出土品の展示もなかった。
理由はいわゆる「倭色」のためだ。二つの山の形の模様を立てる土台を着せた金銅冠や環頭大刀、三角形の鉄帽など、韓国と日本の学界ですぐに倭系だと同意する遺物が続々と明らかになると、4~6世紀に日本を統一したヤマト政権が任那日本府を設置し朝鮮半島南部を支配したとする植民地史観の歴史家や日本の極右の主張の根拠として悪用されるだろうという懸念が生じた。

 同記事は、前方後円墳がヤマト王権が「各地の首長と連合して統一国家を建てた歴史的な指標だとされている」と日本の定説を紹介し、

なぜ倭系の金銅冠や最高級品の刀が中心的な副葬品として出てきたのかについては、論争になっている。数が少なく期間も5世紀末から6世紀初めの50年に過ぎないが、被葬者が倭系の実力者だと解釈する余地が大きい。

とし、

長期的に落ち着いてファクトを蓄積し論議していくには、大衆に前方後円墳の歴史的実情を十分に伝え、被葬者の議論を進めていくべきではないだろうか。近代の民族感情による制約を受ける韓国と日本の学界は、今後互いに交流し、共同理解を探る求同存異の姿勢で会うしかない。

と結んでいます。「ファクト」!、ファクトやロジックよりイデオロギーが上位にくるかの国ですから、ちょっとビックリしました。遺骨も発掘されいる様ですから、DNAを調べれば埋葬者が倭系か半島系か分かると思いますが、学問より政治が優先される韓国では無理でしょうね。この記事は韓国で配信されているのでしょうか →たぶんされてない?。

タグ:朝鮮・韓国
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万葉集の花・秋 (2) [日記 (2021)]

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ニラ(くくらみ)
伎波都久(きはつく)の 岡の茎韮(くくみら) 我れ摘めど  籠(こ)に満(み)たなふ 背なと摘まさね(作者不詳)
 →伎波都久(きわつく)の岡でニラを摘むんだけれど、ちっとも籠いっぱいにならない。それじゃ、アンタのいい人と一緒にお摘みなさい
「伎波都久の岡」の正確な場所は不明(茨城県真壁郡とも)、「背な」は「背子」で夫や恋人の意味らしいです。この歌の面白いとこは、「ニラを摘んだけれどなかなか一杯にならないワ」という愚痴に、「それならアンタのいい人に手伝って貰えば」という問答が詠い込まれていることです。



4.jpg DSC_6709.jpg
クヌギ(橡。つるばみ)
紅は うつろふものぞ 橡(つるはみ)の なれにし衣に なほ及(し)かめやも(大伴家持)
 →紅花で染めた衣は華やかで美しいけれどもすぐに色褪せます、「つるばみ染」めは地味ですが着慣れたほうが良いですね。年若い恋人より糟糠の妻だよ、という意味らしいです。橡(つるばみ)はクヌギのことで、布を染める染料だそうです、ベージュに染まるらしい。

クリ(普通に”栗”)
瓜食めば子ども思ほゆ、栗食めばまして偲はゆ、いづくより来りしものぞ、眼交(まなかひ)にもとなかかりて、安寐(やすい)し寝(な)さぬ(山上憶良)

 →瓜を食べれば子供たちのことを思い出し、栗を食べてもいよいよ子供たちのことが偲ばれる。子供たちはいったい何処からやって来たんだろう。目の前に子どもの姿がちらついて、安眠できないよ。
@教科書で習った有名な長歌ですね、反歌もあります、
銀も金も玉も何せむに優れる宝子にしかめやも
2.jpg 銀杏.jpg
モミジ(モミジ、紅葉、黄葉)
黄葉(もみちば)を、散らす時雨に、濡れて来て、君が黄葉を、かざしつるかも(久米女王)
 →モミジを散らす時雨に濡れてやって来ましたよ、あなたがくださったモミジを髪飾りにて
@逢引の歌?。万葉集ではモミジは「黄葉」の用例が多いそうです。紅葉=黄葉=イチョウという解釈も。

イチョウ
ちちの実の 父の命 ははそ葉の 母の命 おほろかに 心尽して 思ふらむ その子なれやも 大夫や 空しくあるべき 梓弓 末振り起し 投矢持ち 千尋射わたし 剣大刀 腰に取り佩き あしひきの 八つ峰踏み越え さしまくる 心障らず 後の世の 語り継ぐべく 名を立つべしも(大伴家持)
 →父上や母上はいい加減な気持ちでわれわれを育てたのだろうか。決してそうではあるまい。だから男子たる者、無為に時を送ってはならない。梓弓(あずさゆみ)の末を振り立てるような、投げ矢を持って射通すような気迫を持たなければなるまい。剣大刀(つるぎたち)を腰に帯び、いくつもの山々を越えた地で任務につくように任命された大君の心に違わぬように、後の世の語りぐさとなるように名を立てなければならない。(万葉ナビ
「ちちの実」は銀杏の実で父にかかる枕詞、「ははそ葉」はクヌギなどブナ科の総称で母にかかる枕詞らしいです。
IMG_20231003_114612.jpg 女郎花


万葉集の花 夏(1)夏(2)秋(1)、秋(2)

タグ:絵日記
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村井章介 中世倭人伝(4) 三浦の乱 (1993岩波新書) [日記 (2021)]

三浦の乱
 朝鮮政府が倭寇懐柔策として商館「三浦」を作ったところ、対馬から食い詰め者が移住して来て居留地は膨れ上がり近隣を巻き込んで「マージナル(境界)」が生まれた、そいう話でした。

四夷と通商するは、古えよりあり。且つ我が国緊要の物、皆倭国より来たる。互市すると雖も何の害かあらん。(成宗35甲申)

 朝鮮の輸入は、赤色染料の蘇木、胡椒以下のスパイス類、そして銅・鑞・硫黄・金などの鉱物が主な物で、とくに銅は、「銅鉄は民の欲するところであり、もし倭人がもってこなければ、国家の需要をみたせない」と「朝鮮王朝実録」にもあるように、重要な輸入品です。輸出品は綿布。綿布は朝鮮の代用貨幣であり、衣服として麻より暖かいので日本でも需要が高かったようです。輸入超過で支払う綿布が枯渇したという記述もあり、対日貿易は当時から赤字だったようです。「我が国緊要の物、皆倭国より来たる」は、2019年に輸出規制をかけた韓国の必需品レジストフッ化水素みたいなもので笑います。

 1470年代から全羅道を中心に再び海賊(倭寇)の活動が活発となり、朝鮮政府はこれを三浦の倭人と見做します。もともと倭寇は倭人、朝鮮人、中国人混在の存在です。これを三浦の倭人とする根拠ありませんが、近隣の朝鮮人やソウルの富商を巻き込んだ無秩序な膨張に手を焼いていた役人は、こいつらは三浦の奴等だ!。
 1508年三浦のひとつ浦の近くの加徳島で海賊事件が起きます。この取り調べ中に今度は全羅道の市吉島で朝鮮の船が倭船に襲われ、賊17人を捕えその首に三浦にさらし、浦の倭人数十名が朝鮮の役所に乱入します。1510年、齊浦・釜山浦の倭人たちは、対馬の宗盛順の援軍を得て大規模な暴動を起こし倭人抑圧政策の変更を迫ります。三浦の乱です。

 齊浦・釜山浦の役所を攻め落とし、齊浦の役人頭を捕虜にし釜山浦の役人頭を殺します。倭軍は熊川城(齊浦に隣接)を囲み熊川県監に降伏を求め、釜山浦から東萊城に迫って東萊県令に要求書を送り、付近の各所を略奪、巨済島でも水軍の基地に攻撃をくわえます。慶尚道都很帥(軍総指令官)は鎮定軍を送り、薺浦は陥落、倭軍は295名の戦死者を出して対馬へ撤退となります。

壬申約条
 三浦の倭人と対馬宗氏が引きおこした暴動は完全に裏目に出て、対馬は築いてきた居留地と朝鮮との間で保っていたすべての権益を失います。1512年の「壬申約条」(対馬・朝鮮の復交条約)で貿易は再開され再開されますが、交易は齊浦に限定され居留は不可となって倭人が築いた「三浦」は崩壊します。三浦とは何だったのか、

三浦には、朝鮮という異国のなかに食いこんだ日本中世社会という一面がある。倭風の家がたちならび、倭船が帆柱をならべ、倭語・倭服の人々が行き交う港町、というだけではない。・・・倭人の行動自体が中世を体現していた。かれらのエネルギッシュで、自由奔放で、論理を超えたふるまいは、国家機構の統制力が極端に弱い中世社会ではぐくまれたものだった(もっともこの「中世社会」は、日本人だけのものではなく朝鮮人も参加したわけですが)
 「壬申約条」で対馬からの通交は厳しく制限され、対馬島主・宗氏が朝鮮に派遣できる船の数は、年間50艘だったのが25艘に半減。島主には年間50艘以外にも特別な理由があれば随時船を送ることが認められていたのが、全廃。島主以外の島内の有力者にも船を送る権利が認められていたのが、これも全廃。経済を三浦に依存していた対馬宗氏は完全お手上げ状態となります。そこで考え出されたのが、「宗氏の船ではなく日本国王使の遣いと偽って交易船を仕立てる「日本国使臣」という抜け道。三浦の乱後の1511~1581年までの70年間に20回の「偽日本国使臣」が派遣されます。三浦の乱を境に日朝貿易は宗氏の独占となり、日朝貿易から締め出された人々は対馬・朝鮮ルートから東シナ海に活路を求め「後期倭寇」を形成することになります。

後期倭寇

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タグ:読書
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ドングリいろいろ [日記 (2021)]

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 どんぐり、丸いもの細長いもの色々あります。検索してみると、ブナ、ナラ、クヌギ、カシなどがあり、栗もドングリらしいです。クヌギの実と栗は似ています。ドングリは近所の公園にたくさん落ちているので、調べてみました。すばらしいドングリの世界を参照させて頂きました。
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クヌギ                 クリ
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マテバシイ               カシワ
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ウバメガシ               コナラ
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殻斗(かくと)             葉っぱ
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 ドングリを支えるガク、葉も幹ももいろいろ。ドングリは奥が深いです。
ブナ科.jpg

タグ:絵日記
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映画 トランス・ワールド(2011米)  [日記 (2021)]

トランス・ワールド [DVD] 原題:Enter Nowhere、何処にもない場所。
 3人の男女が森の小屋に集まります。ガス欠になって夫がガソリンスタンドを探しに行き、一人残されたサマンサ(キャサリン・ウォーターストン)、車が溝にはまって動けなくなったトム(スコット・イーストウッド)、ボーイフレンドに車から追い出されたジョディ(サラ・パクストン)の3人は、森の小さな掘っ建て小屋で出会います。小屋の中には壊れた古い無線機があるだけで、助けを呼ぼうにも電話は無し。先に小屋を発見したトムによると、近くに民家は無く、夜は氷点下になるので助けを求めに行けないとのこと。3人は、周囲から隔絶された場所に置き去れにされたわけです。

 ここは何処かという話になり、ジョディは、デトロイトからシアトルに向かっていたからここはミルウォーキーの郊外だと言い、サマンサはウィスコンシン州だ、トムはサウスダコタだと主張します。
 ともかくここから脱出しようという事になり、3人は小屋を出ます。途中で防空壕を見つけ入ってみると、ドイツ語の古い地図、1931年もののワインや缶詰がワンサカあります。まぁ第二次大戦中のものだろうと、これ幸いとワインと缶詰を持って出発するのですが、何時の間にやら元の掘っ立て小屋に...。つまり小屋をとりまく空間から出らてない?。

 次いでサマンサがジョディの持っている金が1984年の発行の札だと知り、「未来」の年を発行年とした偽札だと言ったことで、今年は何年だ?という話になります。サマンサは今年は今は1962年、ジョディは1985年、トムは2011年だ???。とこうする間に銃を持ったドイツ人が現れて...。
 ここは何処?、今は何年?。

 脚本一本勝負の映画です。登場人物はほぼこの3人だけ、舞台も森と掘っ立て小屋のみでなんともシンプルなB級映画です。CGを使わなくてもお金を使わなくても面白い映画は作れるという見本です、B級ですがオススメ!。キャサリン・ウォーターストーンは『エイリアン: コヴェナント』のヒロイン、ダニエルズです。
監督:ジャック・ヘラー
出演: スコット・イーストウッド、サラ・パクストン、キャサリン・ウォーターストーン

タグ:映画
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