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コゲラ [日記 (2022)]

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 庭のモミジの枯れた幹に、コゲラが巣を作り始めました。3日ほどコツコツやってます。なるべく側を通らないようようにしていますが、狭い庭なので逃げずに上手く子育てできるかな?。

【6/16追記】
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 巣穴を作ったのですが、出かけたきり帰ってきません。物置に近いので人の出入りがあるので放棄したのか?。

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半藤、加藤、保阪 大平洋戦争への道 日米交渉、南進論 ④ 1931-1941(NHK出版) [日記 (2022)]

太平洋戦争への道 1931-1941 (NHK出版新書 659, 659)続きです。
日米交渉
 1941年4/16日、日米の戦争回避を目的にアメリカ大使・野村吉三郎駐と国務長官・コーデル・ハルの間で米交渉が開始されます。日本はアメリカの中国支援の放棄、満州国の承認を求め、アメリカは日本の中国及び仏印からの撤兵を求めます。

陸軍はアメリカに、少なくとも中国に対する肩入れを何とかやめてほしいと考えていました。それによって、日中戦争を早く終結させたいというのが、陸軍の思惑だったと思います。 
海軍の場合は、もう三国同盟を結んでしまった以上、アメリカといずれ対決することになると、ある程度は決意していたと思います。ただ、戦争準備が十分整うまでは、できるだけ開戦を延ばしてほしい。そして、できることなら戦争そのものもしないでほしいと。(半藤)

 アメリカは蒋介石を支援しています。泥沼化した日中戦争を終わらせるため、仲介をアメリカに期待します。もうひとつが石油。日本は石油の輸入をアメリカに頼っていますから、事を構えれば石油が入って来なくなる。南部仏印に出なければ、もし戦争が起こったときに備蓄している石油だけでは間に合わない・・・要するに、日本が南に出て行かなければ、いざというときに間に合わない。

・・・そこで御前会議を行い、その前には陸海軍も会議を開き、何度もこの議論をしています。南部仏印に出て行かなければ間に合わない。出て行けば戦争になる。戦争になると間に合わないから先に出て行ったほうがいいと。それなのに、変な話ですけれども、アメリカは出てこないと思うという意見が通ってしまうんです。(保阪)

 (南進論の)プロセスを見ると、戦略がないまま、その場その場の選択が狭まっていくのがわかります。そして、その決定にいたる理由というのは、ほとんどが主観的願望であって、それを客観的事実にすりかえようとするのですが、実際には、むしろ事実と結果は逆に出てくるわけです。(保阪)

 日米交渉の最中、日本軍は7/21、ヴィシー政権(ナチスの傀儡)了解の下に南部仏印に進駐します(日本はフランス政府の許可を取っているから、侵略とは思っていなかった)。これに反発したアメリカは、7/25在米日本資産を凍結し8/1日本への石油輸出禁止に踏み切ります。
 アメリカ世論は、参戦に反対であり、ルーズベルトは、戦争不介入=モンロー主義を掲げて選挙に当選し大統領ですから、イギリスを助けてヨーロッパの戦争に参戦すること出来ません。参戦するには、日本に一発叩かせてアメリカ世論を怒らせ、そしてヨーロッパ戦線に加わりたいというのが本音。日本はドイツと三国同盟を結んでいますから、日本と戦端をひらけばそのままドイツと交戦状態になります。大手を振って第二次世界大戦に参戦できるわけです。

アメリカがこういう強い態度(米日本資産を凍結、日本への石油輸出禁止)で出てきた背後には、やはり日米交渉の妥結を望まないという意図があったと思います。日本を開戦に追い込む。そしてヨーロッパ戦線に参加する。(保阪)

アメリカは暗号解読によって真珠湾奇襲を知りながら、手を打たなかった話は有名ですが、外交において日本を戦争に引きずり込む行為が「ハル・ノート」だといいます。ハル・ノートは、
 ・仏印および中国からの全面撤兵
 ・蒋介石政権の承認(汪兆銘政権の否認)
 ・日独伊三国同盟の放棄
の3点を日本に要求します。

アメリカの目的は、日本にアメリカを一発叩かせることだった。したがって、最終的にハル・ノートを突き付けることで、開戦に踏み切るか、あるいは基本的な政策転換をしてハル・ノートを受け入れるか、そのどちらかを選べと日本に迫り、日本は躊躇なく戦いを選んだ。 
・・・そうして、十一月二十六日以後の大本営政府連絡会議、御前会議などの国策決定会議は、もう戦争は動かしがたいという前提で動いていきます。 会議関連の資料を全部読むと、言葉は乱暴ですが、ハル・ノートという、大きなアメリカがつくってきた土俵、罠と言ってもいいですが、歴史的なある種の戦略に、日本は見事なほど嵌り、その枠でしかものを考えられず、戦争を選択していったというふうに私は思いますね。(保阪)
 そして「大本営陸海軍部、発表。 十二月八日六時。 帝国陸海軍は、 本八日未明、西太平洋において、米英
軍と戦闘状態に入れり」となります。この項お終い。


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半藤、加藤、保阪 大平洋戦争への道 1931-1941 ③ 日中戦争、三国同盟 (NHK出版) [日記 (2022)]

太平洋戦争への道 1931-1941 (NHK出版新書 659, 659) 続きです
日中戦争
 1937年7月、北京郊外の盧溝橋付近で夜間演習をしている日本軍に銃弾が打ち込まれ、軍事衝突、盧溝橋事件が起こります。何時もの陸軍の謀略ではなく、中国軍が仕掛けたのかどうか真相は謎だそうです。この事件がキッカケとなって、宣戦布告も無いまま「泥沼」と言われる日中戦争が始まります。
 保阪氏によると、

近代史の中で、中国と戦争する国は、基本的にはなかったわけです。・・・中国の内部に自分たちの軍隊を送り込んで戦争をするということは、どの国もやっていない。それはなぜか。・・・ 帝国主義の戦争として中国の内部に入っていくことのメリットは何もなかったからです。 広大な土地に兵士を大量に入れて、それで中国の資源を略奪するといっても、相当の資本がかかります。 帝国主義的な計算でいくと、中国へ軍を送るというのは得策ではない。(保阪)

にもかかわらず、日本は中国大陸に最盛期には80万もの軍隊を送り込んで戦争を始めたのです。「泥沼の日中戦争」と言われ、戦後、氏は蒋介石の右腕だった陳立夫や、蒋介石の次男の蒋韓国に、何故戦争が泥沼化したのかを質したそうです。

蔣緯国が言っていたことですが、古来、どんな強い軍隊でも、ナポレオンでもフビライでも、ひとたび軍を動かすと、直線的に進んでいくという心理があり、そうすると最後は、断崖にまで突き進んで、そこから落ちてしまう。自分たちが目論んだのは、まさにその心理を利用することであり、我々はとにかく日本軍を中国の奥地まで引き入れて兵站を切り、孤立した日本軍の部隊を次々と殲滅していくという戦略を考えていたと言うのです。(保阪)

 逃げる →追う →逃げるの繰り返しで、日本軍はどんどん深みにはまりこんだ。半藤さんの『昭和史(3267)』では、共産党軍の朱徳の「逃げの三原則」が紹介されています。「敵が進めば、逃げ」「 敵が駐屯すれば、周りでさわぎ」「敵が撤退すれば、追いかける」というものです。「まともな戦いができないから、やってられないん ですね」と嘆息し、「中国大陸で点と線を占領したところでどうにもならない」と書いています。決定打は、

(蒋韓国は)「日本の軍人は単純に言えば歴史観がないのだろう」と言う。なぜ中国と戦っているのか、なぜ中国に攻め入るのか、それを決めるのが歴史観だが、それが日本軍にはないのだろう。軍の論理でしか物事を考えないから、最後は軍事の限界にぶち当たって勝手に潰れていくのはわかっていたことだ――と言われたんです。これは、なるほどと思いましたね(保阪)

つまり戦争の大義が無いわけです。
今、日本が中国とやっているのは、宣戦布告していないことでわかるように戦争ではない。中国は、日本がイギリスやアメリカのような資本主義国を代弁していることに気づかず、日本に対して無駄な攻撃、反撃を行っている。つまり、これは一種の内乱、国際共同体に対する内乱にほかならない。だから日本はそれを鎮圧しているのだーーという論理です。(加藤)

大義が無い、歴史感が無い、戦争ではなく「支那事変」と呼ぶ内乱に、80万もの軍隊を注ぎ込んだのが日中戦争だと言います。

三国同盟の締結
 1939年ヒトラーがポーランドに侵攻し、第二次世界大戦が勃発します。1940年にドイツからの特使ハインリヒ・スターマーが来日し「日独伊三国同盟」交渉が始まります。
 ドイツは、日本と同盟を結ぶことでソ連を牽制し、日本の海軍力をもってアメリカを牽制して、ヨーロッパ戦線に参入してこないようにしたいわけです。
 国内では様々の思惑が渦巻き賛否両論。国際連盟を脱退して国際的に孤立していますから渡りに船。イギリスとアメリカはドイツと戦っていますから、ドイツと同盟を結べばアメリカを敵にまわすことになると海軍は反対。外務大臣の松岡洋右は、ドイツ、イタリアと手を組んで、そこにソ連も加わえて「日独伊露四国同盟」にすれば、アメリカは手を出せないと説きます。

一九四〇年六月にフランスがドイツに降伏しますが、そうなると、第二次世界大戦でドイツを相手に戦っている国はイギリスしかありません。ということは、そのまま終戦になるのではないかという見通しもありましたから、終戦になったときは、東南アジアに植民地を持っている宗主国、イギリスがその最たるものですが、フランスやオランダも含めて、植民地の主がいなくなってしまう。となれば、戦勝国であるドイツがすべてかっさらっていってしまうかもしれない。日本はドイツと防共協定(日独防共協定)を結んで国として参加しよう――そういう狙いがあったのです。(加藤)

 ドイツと同盟を結んで戦勝国の仲間入りをしておけば、ドイツ勝利の暁には東南アジアのイギリス、フランスの植民地が手に入るわけです。「バスに乗り遅れるな」ということです。

ドイツがヨーロッパを征服して、ヨーロッパ新秩序をつくる。日本はそのドイツの留守の東南アジアを征服して、日本を盟主とする東亜新秩序をつくる。そしてアメリカは、アジアから手を引いてアメリカだけの秩序をつくり、ソ連はソ連で秩序をつくる。だから、世界の新しい秩序が四つになって、めでたく平和な世界が来る――と。そんなことを本気で考えたのかと言いたいところですが、当時の多くの日本人は、本当に大真面目に考えたみたいです。(半藤)

 9/27近衛内閣は、アジアの「東亜新秩序」を目指して三国同盟を締結します。年表で整理すると、

***1940年***
1/26:日米通商航海条例が失効
6/14:ドイツがパリを占領
9/23:日本が北部仏印への占領開始
9/27:三国同盟締結
***1941年***
4/13:日ソ中立条約
4/16:日米交渉始まる
6/22:独ソ戦開始
7/2  :御前会議で南進を決定(情勢ノ推移ニ伴フ帝国国策要綱)
7/21:ヴィシー政権に南部仏印への進駐を認めさせる
7/25:米、在米日本資産凍結令
7/28:南部仏印への進駐開始
8/1 :米、石油輸出禁止


一九三九年(昭和十四年)、アメリカが日米通商航海条約という、明治以来、続いてきた日本との貿易の条約を破棄、廃棄すると通告してきます。そして翌四〇年の初めに、それが成立する。アメリカと本当に貿易ができなくなると、これは大問題です。とくに海軍は、アメリカから石油が輸入できなくなるとどうしようもなくなります。もしそういう事態が起きたときは、どうしたらいいかというのが最後の悩みでしたから、そこで目をつけたのが蘭印と仏印、今のインドネシアとベトナムの石油地帯です。簡単に言えば、スマトラとかボルネオ、インドシナ半島あたりの石油を手に入れたほうがいいと考えた。(半藤)

三国同盟は、一言で言えば、アメリカを戦争参加に促したと言っていいでしょう。 そして、日本はこのときにノー・リターン・ポイントを越えたのです。もはや戻れないところに、その先の一歩に進み出してしまったと、私は思います。(半藤)

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半藤、加藤、保阪 大平洋戦争への道 ② 1931-1941(NHK出版) [日記 (2022)]

太平洋戦争への道 1931-1941 (NHK出版新書 659, 659) 続きです。
リットン調査団、国際連盟脱退
 東三省の指導者が満州国の独立を宣言しようが、清朝のラストエンペラー溥儀を執政にしようが、後ろに関東軍がいることはミエミエ。中国の告発を受けて、昭和7年、国際連盟はリットン調査団を派遣します。日本は常任理事国で、常任理事国ロシアがウクライナに侵攻した同じ位相である辺りが面白いです。

 調査団の報告書は、満州における権益は認めるが、満州国は認めないというもの。日本の世論は、日本が満州を領土にしたのではなく、満州民族(五族)が集まって作った国であり日本の傀儡国家ではないと。新聞は、そんな判定を下す国際連盟など脱退すべきだと煽ります。国民も新聞も、事の発端の柳条湖事件は陸軍の謀略であることは知りませんから、当然です。

日本が太平洋戦争に進む道筋は、この満州国建国と国際連盟からの脱退による孤主義が大きな影響を持ったであろう。国内に、結果的にファシズム体制ができ上がっていくのは、この昭和八年が発端となった(保坂)。

五・一五事件、二・二六事件
 満州事変が始まった翌年、日本が国際連盟から脱退する前年の昭和7年、国内では「血盟団事件」が起き五・一五事件が起きます。
 当時の日本は、大恐慌の影響で農村が疲弊し、国際的孤立という外交の上の閉塞感もあり、批判は国家の指導層に向かうわけです。檄文には、
天皇の御名に於て君側の奸を屠れ!
国民の敵たる既成政党と財閥を殺せ!
横暴極まる官憲を膺懲せよ!(ようちょう=懲らしめる)
奸賊、特権階級を抹殺せよ!
農民よ、労働者よ、全国民よ祖国日本を守れ!
と左翼のアジビラと見紛うばかり。五・一五事件の首謀者を裁く法廷が「国家改造運動」のプロパガンダの場になります。救国を前面に押し出した首謀者の法廷陳述に裁判官や記者は涙し、全国から百万通と言われる嘆願書が集まったそうです。 そして、彼らは国士であり、行動は義挙だということになり、

動機が正しければ何をやってもいいという空気ができ上がってくるわけです。私はこれを日本の一つの特徴だととらえて、「動機至純論」と呼んでいます。(保阪)
一国の首相を殺した事件を「義挙」としてみんなして褒め上げるという、非常におかしな空気が、この国を覆っていた時期だと言えます。一九三三年(昭和八年)からの裁判の最中には、決起将校を支持する連中が、助命嘆願の血判書を出したという話もあり ます。さらに、軍の偉い人たち、荒木貞夫のような陸軍大臣までもが、「純真なる青年がやったことだから」と罪を軽くしてほしいというようなことを平気で言う よう な時代になっている。つまり、世の中全体が殺伐として、テロが正義であるがごとくになっていく時代が、 このときから始まったというふうに思いますね。(半藤)

五・一五事件によって日本の政党内閣は息の根を止められ、軍の暴力が政治や言論の上に君臨する「恐怖時代」が始まるわけで。昭和11年、二・二六事件が起こります。五・一五事件同様、救国を掲げたテロですが、

二・二六事件は四日間続きます。 なぜすぐに収束しなかったのかと言えば、それは、青年将校の決起に対して、陸軍の当時の指導者が様子見をしていたからです。・・・事件を起こした青年将校たちが敵視したのは、民政党に代表されるような議会政治主流、それから軍事費の膨張を抑える緊縮財政を求める大蔵省の要求に応える大蔵大臣です。つまり、軍事費の膨張を抑えるという国策と、貧しい農民、苦しい生活をしている庶民を見捨てる政治を刷新しようとしたとされていますが、結局のところ、二・二六事件は軍内の権力闘争によって起きた・・・。(保阪)

 二・二六事件は、満州の利権を護るためにはソ連を叩けという皇道派と、まず中国を叩いて後顧の憂いをなくしてからソ連と対決という統制派の闘争だと云います。保阪さんによると、天皇の側近を「君側の奸」として殺し、陸軍の重鎮である真崎甚三郎を担いで天皇親政国家をつくろうという計画だったようです。

その戦略論の争いの結果が一九三五年(昭和十年)の永田鉄山暗殺事件になり、それに対して、いわゆる皇道派系と言われている人たちが反撃をして、二・二六事件を起こすことになった。ところが結果としてクーデターが失敗し、「皇道派」はいっぺんに潰れたわけです。(半藤)

二・二六事件について私が注目するのは、やはり「暴力の恐怖」ですね。とくに議会ではこの二・二六事件以後、本来行うべき活発な議論が萎縮していきます。(保阪)

二・二六事件の結果、昭和天皇の周りを固める人間は、近衛文麿や木戸幸一などの若い世代になります。その前は、たとえば高橋是清であるとか、 井上準之助であるとか、そういう方がいた。それが血盟団事件で殺され、二・二六事件で殺され、実体経済の観点から国際協調の重要性を指摘できる人がいなくなってしまった。(加藤)

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再読 呉善花 侮日論 (2014文藝春秋) [日記 (2022)]

侮日論 「韓国人」はなぜ日本を憎むのか  続きです。呉善花氏の本の感想ですから、nearly《嫌韓》の記事となります、閲覧ご注意。

 韓国大統領が保守派に替わって、日韓関係も少しは変わるのかと思っていました。ところが、バイデンさんの日韓訪問が終わった途端、日本のEEZ内で海洋調査が実施され、韓国の「反日」は変らない様です。この手の話はもうお終いにしようと思っていたのですが、「反日」があまりに面白いので『侮日論』を再読しました。呉善花氏によると、反日とは「侮日」だそうです。侮蔑の「侮」です。

華夷秩序、侵略史観
 「侮日」が何処から来るのかと云うと、よく言われるように、「華夷秩序」の伝統(小中華主義)と、秀吉の半島侵略、日韓併合などの日本の「朝鮮侵略史観」辺りです。
 華夷秩序とは、中国からの距離でその民族の文化・文明を測るという面白い考えです。中国に近い朝鮮は文明度が高く、東北部の女真(満州)や海を隔てた日本は低いわけです。ところが、中国は明が倒れ女真による征服王朝・清となります。漢民族による「中華」が失われたため、中華の正統を引き継ぐのは我が李氏朝鮮だ!ということになります、ナルホド。そうなっても冊封の関係は続きます。
 華夷秩序に比べると侵略史観の方は分かり易い。4世紀末の好太王碑の時代からは、日本は朝鮮に侵略を繰り返し、倭寇は半島を荒らしまわり、秀吉が攻め入り日韓併合までやったではないか。日本人は「歴史的に野蛮で侵略的な日本人の民族的資質」を持っていると云うのです。ロシアの南下を恐れる江戸期の(今でもある?)「恐露病」みたいなものかと思うのですが、この侵略史観が、ことある毎に韓国が繰り返す「歴史認識」という言葉になります。

 劣った民族(夷族)である倭が、小中華の朝鮮族を支配(日韓併合)したのですから、誇り高き民族にとっては屈辱です。これに、

祖先が受けた被害については、子孫はどこまでも恨み続け、罪を問い続けていくことが祖先への孝行だという儒教的な道徳観(位置no.564)

がくっ付いて朴槿恵元大統領の云う「千年の恨」が出来上がったわけでしょう。

血の一体性
 韓国は夫婦別姓です。

この制度は、宗族と呼ばれる男子単系の血脈で構成される、同姓の父系血縁集団の伝統から行なわれてきたものです。(1682)

儒教では血脈が尊ばれ、この血脈が民族、国家まで敷衍されたのが大韓民国です。個人 →家族 →一族 →国家を繋いでいるのが「血」です。普通、個人と国家or民族を繋ぐものは共有する記憶=歴史だと思うのですが...。

(韓国には)強固な血縁集団を単位に社会を形づくってきた伝統的な価値観があります。その価値観は何かといいますと、「身内 正義の価値観」というべきものです。「 身内 =自分の属する血縁一族とその血統」は絶対的な善であり、「身内 = 自分の属する血縁一族とその血統」の繁栄を犯す者 は絶対的な悪だという、儒教由来の 家族主義モラルに基づく価値観です。(1508)

 この「血の一体性(紐帯)」が「華夷秩序」と「侵略史観」と結び付き

生来の野蛮で侵略的な資質をもつ「日本民族」が「民族の聖なる血の一体性を陵辱した」という神話

「従軍慰安婦」が生まれます。

「従軍慰安婦」問題は韓国人にとって、日本民族が「我が民族の聖なる血の一体性」の身体生理をストレートに陵辱した事件、まさしく民族の血そのものを汚した事件であり、心情的には最大の民族陵辱事件なのです。(1751)

 「血の一体性」は、「同姓・同本貫」間の婚姻が1998年まで法律で禁じていたことからも分かる様にDNAに刻まれています?。「華夷秩序」は現在の韓国民に無さそうですが、茶道からソメイヨシノまで元は韓国が発祥だという「韓国起源説」を唱える日本蔑視として逆説的に生き残っています。「侵略史観」に至っては、学校教育で憎悪の再生産を行っています。日韓で起こる事象は、この3つでほぼ説明が付きそうで、なかなか説得力のある面白い本です。

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絵日記 カボチャ植えました [日記 (2022)]

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 昨年同様、種から育てます。      昨年の成果

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Chromeのテキストモード、blogのスマホ投稿 [日記 (2022)]

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 テキストモード              blogのスマホ投稿

 1週間ほど自宅を離れることになりました。チョットした「漂流」みたいなもので、楽しく過ごそうとアレコレ考えてみました。1)お気に入りの本を読み、2)面白い映画を観て、3)netにアクセスできれば、何処にいても満足です。読書の方は文庫本を2~3冊持っていけばいいわけですが、2)と3)はnet接続に依存しています。ところが漂流先にnet環境がありません。PCをスマホをアクセスポイントに繋ぐことになりますが、これだと普通にnet利用するだけでデータ量は契約の3G/月を超えます。PrimeVideoを観るなどトンデモナイ話。

Chromeのテキストモード
 画像を読み込まなければデータ量の節約になるわけで、Newsを読むことが多いのでテキストモードで十分。ChromeのReader Modeを使ってみました。アドレスバーに「chrome://flags」と入力 →検索フォームに「reader」と入力 →Enable Reader ModeがDafaultをEnabledに変更 →RelaunchでChromeを再起動
 これでテキストモードになります。広告も消えて便利。どれ程の節約になるのかは?。

blog更新
 blogの更新もしたいです。昔、入院中にスマホでblog投稿したことがありますが、SSblogに変わっても使えます。管理ページ(ログイン)→blogメニューで「記事を書く」 →投稿。画像貼り付けもできてtwitterにも連携、PCと殆ど変わりません。
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読書
 図書館が利用できないのでKindle一択です。未だ初代Kindleを使っていますが、無料の3G接続ができるので、電子本を買うなり青空文化からダウンロードすれば解決(スマホのアクセスポイントも使えます)。クラウドは本棚の様なもので、ここに蔵書が並んでいますから、Kindle端末は本棚そのものです。
 これを機会に、版権切れの近代文学を腰を据えて読む、Kindleにある『源氏』や『カラマーゾフ』を読み直すのもいいかなと。Kindleを持って出れば読書には困りません。

映画
 PrimeVideoという手がありますが、漂流先にnet環境が無いので、
①スマホをアクセスポイントにPCで観る →支払いが怖いのでこれは却下。
②AmazonPrimeでタブレットにダウンロードして溜め込んでおく。再生しなければ30日間有効、再生すれば48時間。但し観たい映画があるとは限らない、というかあまりありません。映画が持ち出せるのはいいです。
③NHK/BSを録画したDVDがあるので、これとドライブをもってゆく。②に比べると荷物になる。アレコレするとSDカードに落とせます。
④映画のDVDをSDカードに落とす。windowsでビデオキャプチャしてHandbreakで圧縮すれば、1本5~600Mbになります。128Gカードに200本はいる!。
と云う手が考えられます。④は正確には違法なんでしょうが、リッピングソフトが販売されているのですから、これくらいは? →なかなか悩ましいですw。AmazonPrimeをキャプチャするのは 契約違反らしい。コンプライアンス上は②ですw。

TV、ラジオ
 TVは観ないので問題なし。TVerという配信もあるようですが、データ量3Gに収まるわけはない。
 ラジオは睡眠薬代わりにNHKの深夜便を聴いています。スマホで「らじる★らじる」かradikoを利用すればOKですが、データ節約のために、ここはアナログラジオです。大昔、百均で買ったラジオ、単4乾電池2本で普通に使えば1ヶ月持ちます。

 スマホ、Kindle、ラジオを持ってゆけば、1週間程度の出張、帰省なら快適に過ごせそうです。スマホ一台でも読書、映画、TVラジオにblog更新が出来てしまうんですね。

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