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ゾルゲ伝 (3) 東京のゾルゲ [日記 (2023)]

ゾルゲ伝――スターリンのマスター・エージェント (新資料が語るゾルゲ事件)
 3.jpg ゾルゲの部屋

東京のゾルゲ
  閑話休題、引用ばかりになりますが、当時の東京とゾルゲの私生活が想像できます。
 1933年12月、ゾルゲは麻布の永坂通り30番地の借家に移ります。木造二階建ての建物で、鳥居坂の交番の前を通る通りに面し裏口はなく、スパイが住むにはまったく不向きな借家だったようです。ゾルゲは10年近くそこに住み、人目につかないよう隠れていたわけです。
ゾルゲの小さな木造家屋は、一階が八畳の居間、四畳半の食堂、小さな台所、和式便所のある浴室からなっていた。狭い階段を上ると、八畳ほどの書斎があり、本棚、書類棚、そして唯一の洋家具であるソファーが置かれていた。この家には、この地区では珍しい専用電話線が引かれていた。六畳の寝室は、日本の伝統的な布団を何枚か重ね、ヨーロッパのベッドに近いものにしていた。
(友人の)作家のフリードリヒ・ジーブルクは、・・・二、三の部屋はテーブルほどの大きさで、「本や書類、そしてみな日常的に使っていたある種の記事の類でぎっしりと詰まっていた」と記憶していた。(p162)

愛人、石井花子よると「本や書類が山積みにされ、壁には地図が貼られている。 書斎の床の間には通常の生け花や掛け軸に加えて、ゾルゲの携帯用蓄音機、時計、カメラなどが置かれていた。」その部屋で、アルコールバーナーでコーヒーを鋳れ花子に振る舞っています。ちなみに、ゾルゲは『源氏物語』を持ち出して花子を口説いたそうですw。

彼は、街を離れると必ず警察が自宅を捜索することも(「これはすべての外国人に対する標準的な手続きだ」と彼は語っているのだが)、年老いた女中の福田トクが「特高」や憲兵隊から定期的に取り調べを受けることも知っていた。実際、ゾルゲは、福田が見つけるようにいろいろな売春宿からのマッチ箱を集めておいた、とクラウゼンに冗談を言ったという。

この福田トクさんはゾルゲに律儀で、主人に義理立てして特高の尋問にも口を割わらなかったらしいです。売春宿のマッチ箱を集めるのは造作もないことです、ゾルゲの日常ですからw。

ゾルゲの日課は、五時に起床し、和式の木製の小さな風呂で入浴し、健康体操と胸部拡張体操をすることであった。朝食は、女中の本牧がドイツ風コーヒーを添えた和朝食を用意してくれる。午前中はタイプライター⁠に向かい、『ジャパン・アドバタイザー』紙を読みながら過ごす。 昼食に出かけた後、家に帰って一時間ほど仮眠をとり、大使館、独逸倶楽部、日本の通信社、同盟通信事務所にあるドイツ通信社に出向く。午後五時過ぎ、帝国ホテルのバーでアペリティフを飲み、その後、街で食事をしたり、ドイツ人コミュニティとのパー ティーに興じたりするのが常であった。(p163、原典不明)

放埒なゾルゲが朝5時に起床し、午前中からタイプライターに向かうとは、とても信じられません。

ドイツ人コミュニティー
帝国ホテルには、地下にバーや店舗があり、外国の新聞を揃えた本屋もあった。 大使館から徒歩五分のところにあるドイツ倶楽部は・・・独逸東亜協会と共同で運営されていた。図書室や閲覧室には日本に関する英語、ドイツ語文献・・・などが置かれていた。バーとレストランがあり、ナチス党の会合が開かれていた。銀座の夜の街には、豚の腸詰やヴルストで有名なドイツ料理店「ローマイヤ」や、ドイツのビアホール「ラインゴールド」「こうもり」などがあった。有楽町にはジャーマン・ベーカリーがあり、 シュトゥルーデル (ドイツ菓子)やシュヴァルツヴェルダー・キルシュトルテ(ドイツケーキ)が売られていた。(p136)

ラインゴールドは、ゾルゲの愛人・石井花子がウェイトレスをしていた酒場です。ゾルゲはまた「こうもり」のウェイトレス・ケイコとも愛人関係にあったようです。

 東京の盛り場は当時も銀座、

⁠一九三四年当時、この界隈には二千軒以上のバーがあったと言われている。 銀座は日本の伝統文化と西洋文化が出会う場であり、近代日本の刺激的な融合が生じた場でもあった。そこは路面電車と人力車が混在する街であり、着物姿の女性と膝下丈のモダンなドレス姿の女性が混じり合っていた。 伝統的な三味線の音はジャズと混ざり合い、東京での最新のタンゴが「フロリダ・ダンスホール」や「シルバー・スリッパー」で演奏された。ゾルゲは「タクシー・ダンサー」と呼ばれる優雅なガウンを着た女性たちとタンゴを踊るのが好きであった。彼はまた、この地域の売春宿に頻繁に出入りしていた・・・彼の友人で左翼作家は、売春宿でゾルゲが「無慈悲にも大都市に送られた少女たちの運命に取りつかれていた…彼はその界隈では信じられないほどの人気者だった」と記している。(p158)
ゾルゲ伝――スターリンのマスター・エージェント (新資料が語るゾルゲ事件) history14.jpg 銀座ライオン
 酔っぱらいで女好きのゾルゲが、帝国ホテル、ドイツ倶楽部、ドイツ料理店、銀座の酒場をさ迷う姿が目に浮かびます。ドイツ本国の将軍、知識人から駐日ドイツ大使、はては娼婦に至るまでの人気者となるゾルゲとは、いったいどんな人物だったのでしょう。

 ゾルゲはナチスから共産主義者ではないかと疑われます。その真偽を確かめるためにヨーゼフ・マイジンガー大佐が潜水艦で東京に派遣されます。マイジンガーは元ワルシャワ地区の国家警察司令官で、ポーランド人とユダヤ人を虐殺し、「ワルシャワの屠殺者」と呼ばれた人物です。

(ゾルゲは)さっそくこの恐ろしい男を誘い、銀座で一緒に酒を飲んだのだった。帝国ホテル、ローローマイヤー、ラインールド、こうもり、銀座ライオン、 その他いつものバーでビールを飲みながら、オット、ヴェネッカー、シヨル、マッキーらと同じように、ゾルゲは古い魔法を使った。 マイジンガーもゾルゲと同じように、第一次世界大戦でバイエルン工兵大隊第二三〇ミーネンヴェルファー砲中隊歩兵二等兵であった。ゾルゲと同じように負傷し鉄十字勲章を受章し、下士官に昇進した。ゾルゲの戦争の英雄としての地位、荒々しいカリスマ性、東京の夜の街とハイポリティクス両方への豊富な知識は大佐の心を捉えた。・・・ 潜水艦が東京に到着して数週間のうちに、ゾルゲは「ワルシャワの屠殺者」を新しい飲み友達に変えてしまったのだ。(p317)

(2) 諜報団

タグ:読書 ゾルゲ
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