オーウェン・マシューズ ゾルゲ伝 (1) スターリンのマスター・エージェント (2024 みすず書房) [日記 (2023)]
昭和10年代の東京、時の近衛内閣の最深部まで諜報の手を伸ばしたソ連のスパイ、リヒャルト・ゾルゲの伝記です。原題は”AN IMPECCABLE SPY”、完璧なスパイ。著者は序言でゾルゲの歴史的役割を評価した上で、
嘘つき
ゾルゲは理想主義的共産主義者であると同時にシニカルな嘘つきであった。彼は自身を、革命戦士でありソ連の敵たる帝国主義の城壁突破の神聖な任務を託された秘密結社幹部の高位階級の一員である、 と見なしていた。しかし、同時に彼は衒学的で、酔っ払いで、女好きであった。 危険を冒す嗜癖があ り、自慢話が好きで、しばしば乱暴に規律を乱した。頻繁に度を越したアルコールに浸り、車やバイクを損壊させ、酔っ払ってナチスの聴衆にスターリンとソビエト連邦への愛を告白し、無謀にも、最も貴重な諜報員や親しい同僚の妻を誘惑した。(p3)
と記します。衒学的、酒と女性に目がない、危険を犯す嗜癖、スピード狂、自信家、それに「人たらし」が加わります。
それは1933年、日本に潜入する準備のためにドイツに戻たゾルゲの活動を見ると分かります。まず『フランクフルター・ツァイトゥング』と特派員契約を結びジャーナリストの隠れ蓑を得ます。次いで日本での人脈形成のために『地政学雑誌』の編集者からドイツ大使館への紹介状を得、地政学研究所長ハウスホーファーからは駐日ドイツ大使、駐米日本大使への紹介状、新聞社からドイツ大使館と名古屋の日本砲兵連隊に派遣されていたオット中佐への紹介状を得ます(p131)。短期間にこれだけの紹介状を手に入れるゾルゲには、人を誑かす才能があったわけでしょう。オット中佐への紹介状は、後にオットが大使となりますからまさに運命的な紹介状です。『地政学雑誌』やハウスホーファーはナチ系です。共産主義者のスパイがナチを味方に引き入れるわけです。まさに嘘に嘘を重ねる交渉だったことでしょう。ワシントンでは駐米日本大使から外務省情報部長・天羽英二(後外務次官)への紹介状まで入手しています。
それは1933年、日本に潜入する準備のためにドイツに戻たゾルゲの活動を見ると分かります。まず『フランクフルター・ツァイトゥング』と特派員契約を結びジャーナリストの隠れ蓑を得ます。次いで日本での人脈形成のために『地政学雑誌』の編集者からドイツ大使館への紹介状を得、地政学研究所長ハウスホーファーからは駐日ドイツ大使、駐米日本大使への紹介状、新聞社からドイツ大使館と名古屋の日本砲兵連隊に派遣されていたオット中佐への紹介状を得ます(p131)。短期間にこれだけの紹介状を手に入れるゾルゲには、人を誑かす才能があったわけでしょう。オット中佐への紹介状は、後にオットが大使となりますからまさに運命的な紹介状です。『地政学雑誌』やハウスホーファーはナチ系です。共産主義者のスパイがナチを味方に引き入れるわけです。まさに嘘に嘘を重ねる交渉だったことでしょう。ワシントンでは駐米日本大使から外務省情報部長・天羽英二(後外務次官)への紹介状まで入手しています。
何よりも彼はプロの偽善者であった。 職業上の偉大さに達したほとんどの人々同様、ゾルゲは人を欺きたいという深い衝動に駆られていた。騙しはゾルゲのスキルであるとともに免 れ難い嗜癖であった。人生の大部分において、ゾルゲは彼の周囲の多くの恋人や友人、同僚や上司といった人々すべてに嘘をついていた。おそらく彼は自分自身にも嘘をついていたのであろう。(p4)
ハウスホーファーと折衝している時、ゾルゲは自分をナチだと思っていたのでしょう。 ナチ党への入党申請し1934年に党員となります。人を欺くことがスパイの要件です。ゾルゲは希代の嘘つきで詐欺師ということになります。
ゾルゲ、尾崎、オットの相関
ゾルゲは、情報を収集するだけではなく情報を分析し独自の解釈を加えることで、並みのスパイと一線を画した存在となります。あるいはこれがスターリンに嫌われた原因の一つかもしれません。
尾崎は、(朝日東亜問題)調査会で得た情報をすべてゾルゲに与えた。ゾルゲはそれをオットに伝え、大使館の期待の星として自分がなくてはならな い存在となり、ベルリンの主人たちの目にはオット自身の地位を後押ししているように見えた。また、ゾルゲはオットから見聞きしたことを尾崎に伝え、ド イツとヨーロッパの権力政治がどう機能しているのかについて、これまでにない形での洞察を尾崎にもたらした。(p170)
朝日新聞の「東亜問題調査会」には、各界の専門家が集まっています。ゾルゲは朝日新聞記者、尾崎秀実を通じ日本の知性による調査研究を手に入れていたことになります。
尾崎を尋問した検事は、
ゾルゲによる情報こそ尾崎の出世の鍵であると確信していた。 「ゾルゲが重要な情報源であり 、しかも分析的な解釈に優れていたから、尾崎の方からゾルゲに近づこうと望んだ」のである。オットもまた、ゾルゲの情報のおかげで、 (独大使)ディルクセンの最も重要な政治問題顧問(軍事担当としては異例の地位)にすぐ就任することができたのだった。(p171)
結果的に、ゾルゲ、尾崎、オットの3人は持ちつ持たれつの関係だったといいます。もっともオットはこの諜報セットワークに組み込まれている自覚はなかったわけですが。
ゾルゲの分析の源泉は、ハンブルグ大学で博士号をとる学識、コミンテルンで訓練された世界情勢の分析と、日本研究だったと思われます(源氏物語も読んでいたらしい)。逮捕された時、ゾルゲの自宅には1,000冊近い日本に関する書籍があったといいます。ゾルゲ自身も、スパイでなければ学者になっていたと語っています。
実際に学問の世界に身を置こうとしたとき、それはすべて党活動や諜報活動に邪魔された。・・・モスクワの図書館で 過ごす生活を心から望んでいた部分がゾルゲの心中にはあったに違いない。だが、彼の性格のより強い部分は、いつも最後にはアクション、女性、レストラン、高速バイク、そして絶え間ないリスクの世界を選択するのだった 。(p123)
酒と女性とスリルの快楽が学問的好奇心に勝っていた、と言うより、ゾルゲにとって酒も女性もバイクも学問も好奇心を満たすという快楽の対象だったのでしょう。そしてスパイという行為も。原題通り”AN IMPECCABLE SPY”です。続きます。
※※※ 目次 ※※※
1「教室から戦場へ」
2 革命家たちの中へ
3「滅びた世紀の狂信的な有象無象たち」
4 上海での日々
5 ·満州事変
6 東京を考えたことはあるかい?
---以下、東京---
7 諜報網がつくられる
8 気がねなきオット一家
9 モスクワ 一九三五年
10 花子とクラウゼン
11 モスクワの血の海
12 リュシュコフ
13 ノモンハン
14 リッベントロップ-モロトフ
15 シンガポールを攻撃せよ!
16 ワルシャワの屠殺者
17 バルバロッサが明確になる
18 「彼らは我らを信じてはくれなかった」
19 北進 南進か
20 限界点
21「今まで出会った中で最も偉大な男」
(1) オーウェン・マシューズ ゾルゲ伝 スターリンのマスター・エージェント (2024 みすず書房)
(2) 諜報団
(3) 東京のゾルゲ
(4) マックス・クラウゼン
(5) 尾崎秀実、宮城与徳
(6) 二重スパイ?
(7) バルバロッサ作戦
(8) 北進か南進か
人に嘘をつくと自分にも嘘をつくことになりそうで怖いですね。このあたりの時代は奥が深く読んでみたいのですがなかなか手がまわりません^^;
by Lee (2023-10-16 14:37)
昭和7年の満州国に始まり、上海事変、二・二六、盧溝橋、ノモンハン事件があり、日独伊三国同盟、南部仏印進駐、真珠湾奇襲と日本が軍国化の坂を駆け上る?時代です。ヨーロッパではヒトラーが政権を取り、ポーランドに侵攻してWWⅡが始まり独ソ戦が開始されます。そんな時代にゾルゲは諜報活動をしたわけです。ゾルゲをkeyにすればそんな時代が見えてくるかも、と云うところです。
by べっちゃん (2023-10-16 19:05)