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ゾルゲ伝 (6)  二重スパイ [日記 (2023)]

ゾルゲ伝――スターリンのマスター・エージェント (新資料が語るゾルゲ事件)
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二・二六事件
 1936年の「二・二六事件」はゾルゲに多くのものをもたらします。ゾルゲは、宮城、尾崎を使って情報を収集し、オットからは参謀本部が作成した機密報告書を得、事件がソ連の安全保障に与える影響を見極めようとします。 ゾルゲの分析はモスクワに報告され、同時にドイツ大使にも提出されます。

ドイツ大使館のために書いた報告書はディルクセン(大使)、オット(大使館武官)、ヴェネッカー(大使館武官)により、情報に基づく分析の勝利と称された。ゾルゲは「このようにして、私は研究し書くことで、ドイツ人の信頼と同時に貴重な資料を密かに探り出すという、一石二鳥の結果をえたのである」と記している。 報告書の写しはベルリンの(独国防軍経済部)トーマス将軍に送られ、トーマス将軍は公式に、このように優れた仕事を重ねて求めるようになった。

トーマスの庇護のおかげで、ゾルゲは大使館のファイルに目を通し、その情報を尾崎に、そしてもちろんモスクワに伝えるという、鉄壁の条件を手に入れることができたのである。さらにゾルゲはハウスホーファーの『地政学雑誌』 五月号に掲載された「東京における陸軍の反乱」に関する長文の論文や『フランクフルター・ツァイトゥング』紙に寄稿した他の論文により、ドイツの最も権威ある新聞への権威ある寄稿者としての地位を確立している。 (p206)

「東京における陸軍の反乱」『フランクフルター・ツァイトゥング』紙に寄稿した論文がいかなるものかは本書には記されていませんが、

尾崎はこの反乱が資本主義を深く嫌悪する農村出身の将校たちにより先導され、超国家主義的著述家で宣伝家である北一輝の「革命的イデオロギー」に触発されたものであると記している。より現実的には右翼系の将校たちが陸軍を支配するのは時間の問題であると、尾崎は予測していた。(p207)

日本政治において唯一の価値あるこたえを得るのは陸軍を支配しているのはどの派閥なのか、というこであった。すぐさまソ連との戦争を主張する急進的な若手の皇道派か、それともより慎重な統制派か、である。 宮城は統制派がまだしばらくは政権を維持し、直ちにソ連を攻撃するのではなく、中国への侵攻を選択するであろうと考えていた。 (p208)

という尾崎、宮城の分析が盛り込まれた報告書だったはずです。重要なのは、「二・二六事件」によってゾルゲは 1)ドイツ本国の信用を得、2)大使館のファイルへのアクセス権を得、3)一流ジャーナリストとしての権威を得たことです。
 「ドイツ人の信頼と同時に貴重な資料を密かに探り出すという、一石二鳥の結果をえた」と言うことは、すなわちモスクワが疑っていた「二重スパイ」だと言うことにもなります。

日米交渉
並外れた情報通の友人に頼っていたオットは、ゾルゲから日米秘密交渉の状況を毎日報告され、近衛内閣の対米秘密外交の内情に警戒心を抱いた。「アメリカの新聞から少し、ワシントンの大使から少し、そしてリヒアルト・ゾルゲからかなりのことを学びました」とマイスナー三等書記官は回想している。 ゾルゲはベルリンのナチス親衛隊情報部シェレンベルク准将にも情報を伝え、ソ連のスパイとしての経歴とドイツの情報源としての重要な役割の境界線をさらに曖昧にしたのであった。「ゾルゲの情報資料は、我々にとってますます重要になり、一九四一年には、米国に関する日本の計画についてもっと知りたいと強く思うようになった」とシェレンベルクは書いている。(p336)

 シェレンベルクに情報を流すのは、見返りとしてさらに多くの情報を彼から引き出すためでしょうが、独ソ間を情報で綱渡りする二重スパイと言ってもいいででしょう。

 2015年、神田の古書店でドイツの外相リッベントロップがゾルゲに宛てた手紙が見つかります。
一九三八年五月付のこの手紙は・・・東京の大使館業務に対する彼の「傑出した貢献」を賞賛している。その手紙にはリッベントロップの署名入り写真も添えられていた。ゾルゲが熱心なソ連工作員であり続けたことに疑問の余地はないが、一九三七年以降、ドイツ側がロシア側と同じように、彼を貴重な情報将校とみなしていたことは事実である。(p243)

(2) 諜報団

タグ:ゾルゲ 読書
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