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J.D.サリンジャー ライ麦畑でつかまえて [日記(2019)]

ライ麦畑でつかまえて (白水Uブックス)  サリンジャー生誕100年で、映画『ライ麦畑の反逆児/ひとりぼっちのサリンジャー』も公開されるようです。大昔読んだ『ライ麦畑でつかまえて』を引っ張り出してきました。野崎孝訳の1964年白水社版です。1951年のアメリカ初版ですからずいぶん昔の小説です。私が読んだのは19歳の頃ですが、最近の若者はサリンジャーを読むのでしょうか?。

 ペンシルバニアの(名門)私立高校生、16歳のホールデン・コールフィールドのクリスマスも近い土日の2日間の物語です。

もし君が、この話をほんとに聞きたいんならだな、まず、僕がどこで生まれたかとか、僕のチャチな幼年時代がどんな具合だったとか、僕が生まれる前に両親は何をやってたか、とかなんとか、そんな《デーヴィッド・カッパーフィールド》式のくだんない話から聞きたがるかもしれないけれどさ、実をいうと僕は、そんなことはしゃべりたくないんだな。

と16歳の砕けた会話体で始まり、読者は、ホールデンのとりとめのない饒舌に付き合わされることになります。ホールデンの語り口は、訳者解説によると「50年代アメリカのティーン・エイジャーの口調を実に的確に捕らえている」らしいです。

 転校を繰り返し、4校目で単位が足りず退学になる寸前、ホールデンは、退学の手紙が実家に届く前に学校の寮を出て実家のあるニューヨークに向かいます。親の苦情を聞きたくないので家に帰ることもできず、ほとぼりが冷めるまでニューヨークのホテルで過ごすことになります。三人連れの女性とダンスをし、クラブでピアノを聴いて酒をのみ、ホテルのボーイに娼婦を紹介されて童貞を捨て損ない、ガールフレンドを誘い出して演劇を見にて、スケートをして結局は喧嘩別れ。と、この小説にはおよそ物語となるような事件は起きません。ホールデンは自分の感性と現実とのギャップを、インチキ野郎、イカレたトンマ野郎とけなし、とりとめもない饒舌で語るだけです。これを少年のたわごと読むか、ホールデンのたわごとに頷くかが、『ライ麦畑』を楽しめるかどうかの分かれ目でしょう。

 たとえば、欠点を付けた歴史の教師の自宅を訪れ、別れ際に「幸運を祈るよ!」と言われます。何でもない別れの言葉ですが、ホールデンに言わせると(欠点を付けられたからではなく)「ひどい言葉」だということになります。
 「弁論表現法」という科目でも欠点をとっています。この科目はクラス全員が何かを喋り、少しでも本題と無関係な話で脱線すると「脱線!」と怒鳴られるゲームのような授業。「これがどうも頭に来ちゃって、《F》でした、僕は」。そして同じくFになった友人の話を始め、「興奮して喋ってる奴に向かって、《脱線!》ってどなってばかりいたりするのが、僕には不潔に思えるんです」。ホールデンのFは確信犯です。

 君は何もかももうたくさんだっていう気持ちになったことがあるかい?・・・こっちでなんかをやらなければ、何もかもつまんなくなってしまいそうだっていう、そんな不安を感じたことはないかね?、たとえば学校とか、そういったもの、君、好きかい?・・・僕はいやでいやでたまんないんだ。

 ホールデンが退学になったのは、学校と教育に不信感を抱き反発し、何もかもいやになって、勉強もせず単位を落としたからです。ホールデンが反発するのは、既成のモラルや常識そのものです。バカやってんじゃないよ、と別の教師から諭されます。

 未成熟な人間の特徴は、ことにあたって高貴な死を選ぼうとする点にある。これに反して成熟した人間の特徴は、ことにあたって退屈な生を選ぼうとする点にある。

とつまりホールデンは「成熟」を拒否していることになりますが、いつまでも拒否できるものではありません。ホールデンは、家出を決意し、幼い妹フィービーに別れを言いに行きます。ふたりが動物園で回転木馬に乗るシーンです、

 今度は、いっぺん、兄さんも乗ってと、彼女は言った。
 いや、僕はただ、君を見ててあげるよ。僕は見てるだけでいいんだ

 幼いフィービーを見ていることで「成熟」を受け入れます。16歳のホールディングはさすが回転木馬に乗ることができず、できないことことが「成熟」を受け入れることだったわけです。けっきょく家出は中止、実家に戻ることになります。

 退屈な生を選んだオッサンが読んで面白いかというと、どうでしょう。大人と子供の間で揺れる危なっかしさに郷愁を感じ、大人にならざる得なかったホールデンに「ようこそ!」と言う他はありません。次は、同じ頃読んだ『丘の上の悪魔』でも引っ張り出してこようかと思います。

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絵日記 梅 [日記(2019)]

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司馬遼太郎 翔ぶが如く(7) [日記(2019)]

新装版 翔ぶが如く (7) (文春文庫) 新装版 翔ぶが如く (8) (文春文庫)
【高瀬の戦】
 薩軍は、熊本城に一隊を残し小倉を目指し、植木、木葉、高瀬で政府軍と遭遇します。特に高瀬の開戦は、植木、木葉が小競り合いだったのに比べ、薩軍の主力が初めて政府軍と激突します。

 27日、高瀬に進出した政府軍4000に対し、薩軍は2800を3軍に分け、正面を篠原国幹、別府晋介、北から菊池川を渡り桐野利秋、南から村田新八が迎え撃ちます。桐野、篠原、別府、村田と薩軍の中枢が参戦し、東上への一歩となるはずだった高瀬の開戦は、西南戦争を左右する戦闘だったと言えます。この重要な戦いで薩軍は敗北します。正面の篠原隊は弾切れを起こして退却し、そのため桐野も村田も退却します。

【田原坂の戦】
 高瀬で破れた薩軍は田原坂(村田新八大隊、別府晋介郷士隊)が、吉次越(篠原国幹大隊と熊本隊)、山鹿(桐野大隊)に保塁を築いて政府軍と対峙します。田原坂は、政府軍にとって大砲を引っ張って熊本城に入る唯一の道であり、薩軍、政府軍の生命線とも言うべきこの坂を巡って激闘がおこなわれます。田原坂は両側が谷となった尾根道で、薩軍はこの斜面に保塁を築き、政府軍は谷から攻め上るため不利となります。
 田原坂の戦闘は3月4日に始まり20日の薩軍の撤退で終わり、死者は3500にのぼります。局地に激しい銃撃戦が展開されたため、田原坂からは、敵味方の弾が空中で衝突した「行きあい弾」と言われる銃弾が発掘され、激闘がうかがわれます。銃弾の不足する薩軍は「斬りこみ隊」による白兵戦を展開します。示現流の叫喚のもと白刃で突撃してくる薩摩兵児の凄まじさに、鎮台兵は怯えたようです。

政府軍が大兵を投入して一塁を抜くと、死を決した薩軍が 搏撃 につぐ搏撃でもってこれを血しぶきの中で奪いかえし、奪うとすぐ塁の中の敵味方の死体をほうり出してこれに 拠った。そういう状況が各戦域で繰りかえされ、双方にとって戦局の前途など予測もつかぬありさまであった。

 田原坂の戦いでは、坂路を上から見おろすことができる横平山の争奪戦がもっとも激しく、政府軍は横平山を占領し山上から田原坂を砲撃し、これが勝敗を決定します。
田原坂.jpg
【抜刀隊】
 政府軍は、「斬りこみ隊」に対して100人余の警察官からなる「抜刀隊」で対抗します。警察官は、西郷が送り込んだ薩摩郷士を中心に、奥州諸藩出身者なかでも会津藩人が多く、いずれも戊辰戦争では賊軍の汚名を着せられた士族です。大警視・川路利良は、薩摩郷士の城下士への屈折した恨み、会津人が持つ薩人への怨恨を利用したわけです。川路の奸計?が奏功し、「抜刀隊」は多くが斬り死にするという凄まじさで田原坂の戦況を左右する活躍を見せます。従軍記者福地源一郎(桜痴)、犬養毅が抜刀隊の戦闘を観戦し、「会津士族の警察官は鬼のような勢いで薩塁にとびこんでゆき、「戊辰の 復讐、戊辰の復讐」と叫びつつ薩人を斬りたおし」と犬飼は書き送っています。抜刀隊の主力は薩摩郷士ですから、抜刀隊は薩摩人同士が相争うという西南戦争の本質を象徴しているようです。
 大警視・川路利良は、実に9,000の警察官を動員し自らも臨時の少将として出陣しています。川路のほか、政府軍には川村純義、黒田清隆、大山巌、野津鎮雄、高島鞆之助、伊東祐麿などの薩人が。政府要人から前線で刃を振るう兵士まで、薩摩士族が合い争ったことになります。

 余談ですが、浅田次郎『一刀斎夢録』で、新撰組の斎藤一が維新後警察官となり「抜刀隊」として西南戦争で戦います。この小説で西南戦争は、西郷と大久保が仕掛けた第二の維新ということになっています。西郷は、維新の新体制は戦いの焦土のなかから生まれると考えていました。西南戦争の後明治維新は第二期に入りますから、「第二の維新」と言えなくもないです。

 田原坂、吉次越,山鹿の戦いで薩軍は破れ、敗走が始まります。

タグ:読書
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映画 ボーダーライン(2015米) [日記(2019)]

ボーダーライン スペシャル・プライス [DVD]  原題”Sicario”、暗殺者。『ウィンド・リバー』の監督テイラー・シェリダンが脚本を担当しています。メキシコ国境に壁を作るとかいう話があります。アメリカの麻薬はメキシコから国境を超えを運ばれます。このルートを遡ってメキシコの麻薬カルテルを潰す話です。

 FBIのケイト(エミリー・ブラント)は捜査経験を買われ、CIAのマット(ジョシュ・ブローリン)にリクルートされます。CIAは国内活動を禁じられているため、FBIをダミーに麻薬カルテルを潰す作戦に参加します。マットとともにこの作戦の中核を担うのがアレハンドロ(ベニチオ・デル・トロ)。流暢なスペイン語を話すアレハンドロは、CIAでもなくどうやらアメリカ人でもない謎の人物。

 マットの一隊は、カルテルの幹部を引き取るためメキシコの街に向かいます。帰路の高速道路で、幹部の奪還を企てるカルテルの襲撃を受け銃撃戦となり、一般人を巻き込みかねないこの戦闘にケイトは疑問を感じ始めます。カルテルのマネーロンダリングをつかんだケイトは、マットに幹部の逮捕を要求しますが、組織トップの抹殺を目論むマットはこれを拒否。ケイトはFBIの上司に訴えるも、政府上層部が関与している作戦であり、FBIは関与できず、政府がCIAを使い違法手段に訴えてでもメキシコの麻薬カルテルを潰そうとしている実態が明らかになります。政府転覆、暗殺と過去CIAが手を染めてきた違法行動が、麻薬という限られた局面(麻薬戦争)では未だ堂々と行われているということであり、ケイトはそのために利用されたのです。

 後半明かされますが、アレハンドロは、妻子をメキシコのカルテルに殺された、復讐のためコロンビアの麻薬組織に雇われた元検事。CIAは、復讐を目論むアレハンドロを、カルテルの中心人物を倒す暗殺者に仕立て上げたというわけです。ケイトは、CIAに利用され国家のダーティーな部分を見せられても手も足も出ず、麻薬戦争に翻弄される一FBI捜査官。原題の示すように真の主人公は暗殺者・アレハンドロ、という映画です。
 麻薬戦争に巻き込まれたケイト、クールな暗殺者のアレハンドロ、影で操るマット、と登場人物が際立っており、麻薬戦争をシリアスに描きアクションも十分でオススメです。続編『ボーダーライン:ソルジャーズ・デイ』もあり、こちらも脚本はテイラー・シェリダン。ちなみにドゥニ・ヴィルヌーヴは、『ブレードランナー 2049』の監督でもあります。

監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ脚本:テイラー・シェリダン
出演:エミリー・ブラント ベニチオ・デル・トロ ジョシュ・ブローリン ダニエル・カルーヤ

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映画 ウィンド・リバー(2017米) [日記(2019)]

ウインド・リバー [DVD]  原題”Wind River”。ワイオミングの先住民(インディアン)居留地ウインド・リバーを舞台にした社会派ミステリです。かつてインディアンは西部劇の敵役として登場しましたが、『ソルジャー・ブルー』辺りから先住民を抑圧する白人の視点が生まれます。黒人差別は繰り返し映画化されていますが、現代の先住民を描いたものは、(ジョニー・デップ監督のものがあるそうですが)少ないと思います。『ウィンド・リバー』は、居留地を舞台に先住民の現在を垣間見させてくれます。


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 主人公は、(本人はハンターだと言ってます)野生生物局の職員コリー(ジェレミー・レナー)。コリーが家畜を襲ったピューマを追っている途上、若い先住民の女性ナタリーの死体を発見します。マイナス30度の雪原を素足で数kmを走り、肺が氷ついて窒息死したということです。FBIのジェーン(エリザベス・オルセン)による捜査が始まります。女性は先住民の娘で、レイプされレイプ犯から逃れるために雪原を走って逃げたようです。ジェーン、地元の「部族警察署」とコリーは、他殺ではないものの殺人事件として捜査を開始します。居留地では、レイプと傷害事件であれば部族警察、殺人であればFBIの管轄となります。
 ナタリーをレイプした白人グループが判明します。部族警察が捜査に向かいますが、グループの居住区域はウィンド・リバーではないため部族警察に捜査権はなく、グループは銃を構えて抵抗し一触即発の事態となります。居留地の行政は二重構造であり、先住民が置かれた複雑な環境が描かれます。

 先住民は、国によって居留地に押し込められ、差別され、アルコール、薬物に溺れ、雪と静寂以外何も無いウィンド・リバーで合衆国の「棄民」となります。
 コリーは、先住民の女性と結婚し、娘を今回の事件と似た状況で亡くし、それが原因で離婚した過去があります。元妻が先住民であることで居留地ウィン・ドリバーの住民(半先住民)であり、娘を殺された被害者であり、さらにハンター(先住民もまたバッファーローを狩るハンター)であることによって、コリーは疑似先住民となります。

 ミステリとしてはシンプルです。ナタリーを死に至らしめた白人グループが浮上し、部族警察との銃撃戦とコリーによる私的制裁により全滅します。主題はミステリではなく、入植者の白人が先住民を駆逐し彼らに取って代わった歴史が現代に及ぶアメリカの深部です。居留地に掲げられる星条旗は、上下が逆になっています。先住民の歴史認識の象徴です。声高に差別を描くのではなく、ひとりの女性の死から綻びるアメリカの現実が、荒涼としたワイオミングの雪原を背景に淡々と描かれます。地味な映画ですが、脚本がしっかりしているので見応えは十分、お薦めです。

監督:テイラー・シェリダン
出演:ジェレミー・レナー エリザベス・オルセン

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司馬遼太郎 翔ぶが如く(6) [日記(2019)]

翔ぶが如く(六) (文春文庫) 新装版 翔ぶが如く (7) (文春文庫) 【熊本城(熊本鎮台)】
 2月15~17日、薩軍は1番大隊から順次発進します。西目街道を市来→川内→阿久根、米ノ津(出水)から海路、肥後の佐敷へ出る西回りコースと、加治木→横川、大口を経て水俣へ出る東コースをとったようです。

 20日、薩軍先鋒の別府晋介の大隊(郷士隊)は熊本城南の川尻に達し、22日には篠原国幹の一番大隊、村田新八の二番大隊、桐野の四番大隊、池上四郎の五番大隊が到着し熊本城を包囲し戦闘が始まります。熊本城に拠る鎮台兵は、「神風連の乱」でその弱さを露呈し、その後は犬が騒いでも敵兵かと思って銃を発する臆病風に吹かれている有り様。鎮台参謀長・樺山資紀(薩)によると

 熊本鎮台の兵士というのものは、言わば土百姓、素町人の烏合の衆たるに過ぎないのであるから、いかにしても、剽悍なる薩摩隼人の向こうに立ちそうにもない

という鎮台兵が、勇猛さ日本一と謳われた薩摩士族と戦い、圧倒的兵力と物量に支えられたとはいえ最終的にはこれを打ち負かします。一方、桐野にとっては、熊本を通過するにあたって、鎮台兵は城門を開き薩軍を迎えるはずでした(そうした命令が「陸軍大将」西郷から出ている)。

 鎮台は、本気で戦さ(ゆっさ)をするつもりか

と以外な展開に驚きます。2月19日に政府は征討令を出し、22日には熊本城攻防が始まります。
 鎮台が自ら手を下したのか不明ですが、19日、不審火により熊本城天守閣が焼け落ち城下9000戸が類焼します。砲撃の目標となる天守、薩兵の遮蔽物となる民家が無くなることは鎮台にとっては僥倖であり、熊本城は容易に落ちません。薩軍は砲を用いず(到着していなかった)遮二無二銃撃し、鎮台は砲で応戦するという戦いで戦線は膠着。西郷は、熊本城包囲に一隊を残し残りを小倉に向けて発進させます。

 田原坂の戦いで兵員の不足に悩まされますから、この兵力分散も敗因のひとつです。というより、熊本城にこだわったことが決定的な敗因で、政府の援軍が無い間に熊本城を捨てて久留米、博多、小倉と攻め上れば、勝機があったかも知れません。熊本城に時間を取られている間に政府の援軍が到着し、高瀬、田原坂の敗戦となります。
 もっとも、政府の兵員動員は迅速で、20日に第1旅団(野津鎮雄)、第2旅団(三好重臣)の6400の兵力が神戸から先発し、22日博多湾に入り熊本にむけ南進します。この政府軍の迅速な(弾薬を含めた)補給が勝敗を決定づけます。さらに政府軍は薩軍のミニエー銃に比べ連発の新式のスナイドル銃を装備し、電信によって熊本と京(政府要人)大阪(補給基地)、東京と連携し薩軍に対処します。

【熊本隊】
 薩軍は、薩摩士族だけではなく、人吉藩の人吉隊、日向高鍋藩の高鍋隊、日向福島の福島隊、都城隊、豊後竹田の報国隊、豊前中津隊が加わっており、なかでも最大の勢力が池辺吉十郎率いる熊本士族の隊です。多数の学校党と少数の民権党(宮崎八郎、熊本協同隊)の約1000人。いずれも、西郷に期待した九州の不平士族です。

 宮崎八郎(宮崎滔天の兄)の熊本協同隊は、中江兆民から学んだルソーの民権を奉じていることが特徴で、作者は他の不平士族と思想の質の異なる八郎に多くの紙数を費やしています。

 肥後の地を駈けまわっているのは、薩軍や熊本隊、協同隊といった士族だけではありません。西南戦争と同時に農民一揆が起こります。西郷に呼応したものではなく、当時各地で起こった地租改正に反対する農民一揆です。その規模や人数は日に日に大きくなり、乱の後、裁判所に起訴された人数だけでも35000人を越えるという規模です。薩軍がこの一揆と連携すればその後の状況は変わった筈ですが、誇り高い薩摩士族にとって農民は支配の対象に過ぎず、彼らと手を結ぶという発想は無かったようです。

 西郷隆盛の思想における非普遍性の部分は、結局は一般的日本人や人類が、現実としてその理想の中にとらえられていないということにあったであろう。 かれには観念として日本人や人類は存在したが、具体的なかれの感触は日本の士族社会を対象とするときに敏感になった。さらにいえば士族一般というより薩摩士族を考えるときに敏感であり、さらにいえばかれの出身の城下士を考えるときに過敏で、他の郷々の士族についてはやや鈍感であった。

 作者は、宮崎八郎を「人民を座標に置いた最初の革命家」とするに比べ、西郷は反革命家に過ぎないと言っているようです。

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映画 ビフォア・ミッドナイト(2013米) [日記(2019)]

ビフォア・ミッドナイト [WB COLLECTION][AmazonDVDコレクション] [DVD]  『ビフォア・サンライズ(1995)』→『ビフォア・サンセット(2004)』→、シリーズ第3作『ビフォア・ミッドナイト』。
 アメリカ人ジェシー(イーサン・ホーク)とフランス人セリーヌ(ジュリー・デルピー)がブダペストからパリへの長距離列車で知り合いウィーンの夜の街を彷徨い、1年後の再会を約束して分かれる『ビフォア・サンライズ』。9年後、パリで再会する『ビフォア・サンセット』。『サンセット』では、ジェシーはセリーヌとの出会いを小説に書き、作家となっています。ふたりは再開し、誘われるままセリーヌのアパートに行き、ジェシーは結婚して息子がいることが明かされます。飛行機の時間が迫り、ジェシーは果たしてアメリカに帰ったのかどうか?、という幕切れでした。

 『ミッドナイト』の冒頭は、ギリシアの空港で息子をシカゴの母親の元に送り出すシーンです。どうやらジェシーは離婚したらしい。息子を送り出した後車に戻るとセリーヌと女の子が待っています。セリーヌとジェシーは結婚はしていないようですが一緒に暮らし、双子の娘までいます。ギリシア人の作家に招かれ、セリーヌと娘、先妻との息子の5人でギリシアでバカンスを送っていたようです。

 『サンライズ』で20代だったジェシーとセリーヌは『サンセット』で30代、『ミッドナイト』では40代と、映画と共に主人公たちも俳優も歳を重ね成熟しています。出会いから18年、一緒に暮らし始めて9年、40代にさしかかった二人はかつての甘い関係ではありません。ジェシーは離婚を経験しセリーヌは男遍歴と、純真で情熱的だった心は年を経たの分厚い鎧で覆われています。

 登場人物が実によく喋ります。ほとんど会話から成り立っている映画と言ってもいいです。友人を交えた会食では仲のよい夫婦を演じたジェシーとセリーヌも、ふたりだけになると、遠慮会釈のない不満が噴出します。ホテルの部屋で久々にふたりきりになり、昔を思い出していい雰囲気となるのですが、子育ては任せっきりであなた好勝手なことを、いやオマエこそ等々(犬も喰わない)痴話喧嘩が始まり、もう愛していな!とセリーヌは部屋を出ていってしまいます。

 『サンライズ』『サンセット』の愛もここに至ってついに崩壊?、そんなことはありません。ジョシーはホテルのカフェで沈むセリーヌに他人として近づき「芝居」を演じます。「僕は94年に君に会ったことがある」と、セリーヌに出会いの頃を思い出させ気をひこうとしますが、あえなく失敗。今度は、「僕は時空を越えて50年後の未来からやって来た、部屋にタイムマシンがある」と。小説家ですから、この手の創作はお手のもの。「50年後のキミから手紙を言付かってきた」と、紙ナプキンを手紙に見立てて読み始めます。ラスト会話です、

そのタイムマシンは、裸にならないと乗れないの?(セリーヌ)
衣服は時空連続体の中を移動できないから(ジョシー)

 他愛ないと言えば他愛ない話ですが、18年の歳月がふたりにもたらしたものは、経験と知恵でしょうね。

監督:リチャード・リンクレイター
出演:イーサン・ホーク ジュリー・デルピー

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映画 オンディーヌ 海辺の恋人(2009愛) [日記(2019)]

オンディーヌ 海辺の恋人 [DVD]  原題”Ondine”、いつものことながら「海辺の恋人」は余計。

 アイルランドの漁師シラキュース(コリン・ファレル)のトロール船の網に若い女性(アリシア・バックレーダ)がかかります。女性は生きていて自らをオンディーヌ(水の精)と名乗ります。漁師が水の精を釣り上げたわけで、罠にかかった鶴を助ける民話「鶴の恩返し」を連想します。これでだいたい分かった!→想像通りです。半裸の女性が網にかかって引き上げられるシーンで、『オンディーヌ』の世界に思わず引き込まれる仕組みです。

 シラキュースは、人と会うことを極端に恐れるオンディーヌを亡くなった母親の小屋に匿います。コリン・ファレル演じるシラキュースは、実直な「与ひょう」(「夕鶴」でつるを助ける農夫)ではなく、元アル中、これも飲んだれくの女房と別れアルコールを断って2年7ヶ月の漁師。腎臓疾患をかかえる車椅子の幼い娘アニー(アリソン・バリー)がいますが、親権は母親に取られ、母親は母親で怪しい男とくらしているという複雑な境遇。シラキュースのあだ名はサーカス、ピエロをもじったあだ名が付いているように、パッとしない人物。
 アニーにオンディーヌを釣り上げた話をしたところ、彼女はオンディーヌは水の妖精ではなく、セルキー(アザラシ女)だと思い込みます。セルキーとは、「あざらしの皮」を脱いで若い女性に変身し人間をたぶらかす北欧の民話の主人公。アニーは図書館からセルキーの民話集を借り出し研究となります。
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 アニーはオンディーヌを探し当てます。アニーによると、人間がセルキーの脱いだアザラシ皮を隠すと7年間陸上で暮らさねばならず、海に帰るために七つ涙を流さねばならないのだそうです。アニーは、オンディーヌがセルキーであることを信じるようになり、観客もアニーの創造力に引きずられように伝承世界にひきずりこまれます。
 シラキュースがオンディーヌを連れて漁に出ると、彼女が歌を歌うと豊漁になり、シラキュースもそんなわけは無いと思いつつアニーの創造力に引きずられます。アニーの存在は、この映画のポイントです。
 もうひとり、スティーブン・レイ(ニール・ジョーダンの常連らしい)演じる神父が登場します。シラキュースはオンディーヌの件を告解し、アニーは教会は人間とアザラシの結婚を許すのか?と問い、アイルランドでカトリックと庶民の関係をユーモラスに描きます。

 ストーリーはこのセルキーの伝承に沿って展開します。「異類婚姻譚」のファンタジーであるはずはなく、次第にオンディーヌの正体をめぐるミステリーとなり、やがて怪しい影が出没し始めます。幻想性は、スィフト(ガリバー旅行記)、ブラム・ストーカー(吸血鬼ドラキュラ)のアイルランド文学の伝統でしょうか。
 荒涼とした海をバックに、ファンタジーとミステリー交差する佳作です、オススメ。

 監督は『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』『ことの終わり』(これお薦めです)のニール・ジョーダン。コリン・ファレルは説明の要はないですが、この人アイルランド人なのですね。

監督:ニール・ジョーダン
出演:コリン・ファレル アリシア・バックレーダ

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司馬遼太郎 翔ぶが如く(5) [日記(2019)]

新装版 翔ぶが如く (5) (文春文庫) 新装版 翔ぶが如く (6) (文春文庫)  西郷挙兵の章の名称は雷発です。西南戦争は、明治維新が瓦解してしまうかもしれない危機であり、新政府にとっては「雷」以上の衝撃が走ったことでしょう。

 西郷が挙兵する顛末を時系列にすると、

1月29日:私学校生徒が弾薬庫を襲う
2月3日:西郷下山、武の自宅に戻る、帰郷団、中原尚雄ら逮捕
2月5日:西郷東上を決意
2月6日:西郷を迎えて私学校本部において大評定
2月7日:「薩軍本営」で作戦会議
2月9日:川村純義(薩摩)が鹿児島湾に入り西郷に面会を求める
2月11日:西郷、アーネスト・サトウ、ウィリアム・ウィリスと会う
2月12日:西郷、「陸軍大将」の名で県令大山綱良に対し出兵の届出
2月14日:伊敷村玉江練兵場で出陣の閲兵、東京、熊本鎮台へ使者
2月15日~17:出陣

 本書によると、西郷は大評定、作戦会議においても発言せず、川村純義の面会要請も篠原の反対で思いとどまります。アーネスト・サトウ、ウィリアム・ウィリスとの面会以外、出兵届、閲兵と一連の行動はすべて桐野ら私学校幹部の書いた筋書きを西郷は演じているだけです。

起つ以上は、戦いの方針その他について西郷はみずから案も練り、みずから発言し、進んでかれらを指導すべきであった。が、そのことはいっさいせず、さらに驚くべきことには、西南戦争の全期間を通じて西郷は一度も陣頭に立たず、一度も作戦に口出ししなかったのである。

 西郷は、征韓論を主張して後西南戦争から城山で自害するまで、まるで自己を放擲したようです。

 2月14日、西郷は陸軍大将の制服を着て伊敷村玉江練兵場で出陣の閲兵を行います。政府は西郷に陸軍大将の給与を払い続けていますから依然陸軍大将ですが、職をなげうって帰郷した以上、西郷の心情としては最早陸軍大将とは思っていなかった筈です。ところが、県令大山に出した出兵届け、熊本鎮台への書面で「陸軍大将」を名乗っています。
 熊本鎮台への書面は、「自分はこのたび政府に尋問すべきこと(西郷暗殺を指す)があって鹿児島県を発する。鎮台のそばを通過するときは、鎮台兵を整列させ私の指揮を受けよ」というものです。書面は私学校幹部の書いたものであり、制服の着用も彼らの勧めであったにしても、維新の英雄・西郷の面影は何処にもありません。軍服については西郷だけではなく、桐野、篠原も陸軍少将の軍服を着用しています(村田新八はフロックコートにシルクハット)。薩摩の組織を公に対する「私」学校とし、「薩軍本営」としたことと矛盾するにではないかと思います。

 西郷のこの変貌こそが、西南戦争の最大の謎です。

 一方の熊本鎮台。司令官の谷干城は籠城作戦を取ります。兵糧を集積し城を要塞化し、兵2500(後援兵900が加わる)が加藤清正が築いた堅城に拠ります。谷干城は土佐藩出身ですが参謀長樺山資紀は西郷に引き立てられた薩人であり、鎮台将校のなかに薩人が多いため、薩軍の工作、内通によって寝返る危険があります。ところが、幕末にあれほど謀略を駆使した西郷は、一切の工作もしません。桐野、篠原にしても、百姓町人の熊本鎮台など恐れるに足らず、あるいは樺山資紀ら薩人が城の門を開くと考えていたのでしょう。

 新政府はどう考えていたか?。大久保は、弾薬強奪事件は桐野以下の暴発と考え、挙兵を知っても西郷はその中にいないと考えています。薩摩が新政府に反旗を翻し独立国の態をなしていることについて苦々しく思っている大久保は、これをチャンスと考えたわけです。

「誠に朝廷(にとって)不幸(中)の幸と 窃 に心中には笑を生候位に有之候」 と、大久保はいうのである。

 西郷軍の陣容は、大隊5個の1万人と郷士による1000人規模の独立大隊が2個、他に砲隊が2個兵員400の総勢約13000名(後これに宮崎八郎ら熊本の士族1000余が加わる)。第一番大隊篠原国幹、二番大隊村田新八、三番大隊永山弥一郎、四番大隊桐野利秋、五番大隊池上四郎、独立大隊別府晋介が率います。
 西郷は護衛50名と大砲16門の砲兵隊を伴って17日に出陣。桐野、篠原がこれに従います。当日は南国には珍しい雪。日本の歴史にとどめられる事件には「雪」が似合います。

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映画 大統領の陰謀(1976米) [日記(2019)]

大統領の陰謀 [WB COLLECTION][AmazonDVDコレクション] [DVD]  『ペンタゴン・ペーパーズ』は、不審者がウォーターゲート・ビルに侵入するシーンで終わっていました。『ペンタゴン・ペーパーズ』が終わったところから『大統領の陰謀』が始まります。『大統領の陰謀』は、ワシントン・ポストの二人の記者が、1972年に民主党本部に侵入した犯人から大統領の犯罪を暴き、ニクソンを辞任に追い込む話です。

 ウォーターゲート・ビルの民主党本部に不法侵入した5人が捕まります。犯人の所持品にカメラと無線機があり、連番の100ドル紙幣を所持していたことで、5人は単なる窃盗犯ではなく背後に何者かの影が伺われます。5人のうち3人はピッグス湾事件の関係者で2人は元CIA。折から大統領選の最中、民主党本部への侵入は大統領選がからんだ事件だと疑いを持ったワシンポストの記者、ボブ・ウッドワード(ロバート・レッドフォード)とカール・バーンスタイン(ダスティン・ホフマン)がこの事件の解明に乗り出します。ウッドワードは入社9ヶ月の新米記者、一方のバーンスタインは16歳でポストに入社したという叩き上げのベテラン。二人会わせて”ウッドスタイン”のコンビが「大統領の陰謀」の扉をこじ開けます。『ペンタゴン・ペーパーズ』のポスト編集主幹のベン・ブラッドリー(ジェイソン・ロバーズ)もしっかり登場します。

 犯人の持つ住所録に、元ホワイトハウスの顧問ハワード・ハント、ニクソンの補佐官チャールズ・コルソンの名前があったことで二人は色めき立ちます。ここで登場するのが有名なホワイトハウス内の情報源”ディープスロート”。ディープスロートは金の流れを追うようにウッドワードに助言します。バーンスタインは、侵入犯のひとりバーカーの通話記録と銀行資料を調査し、ニクソン再選委員会からバーカーへの金の流れ掴み、再選委員会の委員長(前司法長官)が機密費の管理者であったことを突き止めます。ふたりは再選委員会の名簿入手し、財務関連の人物をかたっぱしから夜討ち朝駆け。箝口令が敷かれ圧力がかけられているため調査は進展しません。委員会の腐敗に憤る帳簿係の女性が重い口を開き、委員長の指示で金を動かす人物が特定され、大統領補佐官の関与が明らかになります。1976年の映画ですから、観客(特に米国人)にとってウォーターゲート事件に登場する人物は記憶に新しいのでしょうが、事件から30年以上経った現在、次々に登場する関係者に混乱します。

 ディープスロートは、再選委員会の機密費は盗聴、尾行、デマ、手紙の偽造、集会の妨害、私生活の調査、スパイの潜入など民主党浸透工作に遣われたこと、大局を見失うな、ホワイトハウスを調べろとウッドワードに助言します。
 ワシントンポストは一連の報道は物議を醸し、情報提供者が前言を翻したことで、同紙は苦境に立たされます。ディープスロートは、「もみ消し工作」が行われていること、工作はCIA、FBI、司法省が関わっていることを伝え、ふたりは命を狙われており、自宅にも盗聴器が仕掛けられていることを告げます。サスペンス映画であれば、ここで暗殺の恐怖が描かれるはずですが、ノンフィクションですからそれはありません。バーンスタインの自宅で音楽を大音量で流し、ふたりはタイプライターで会話する様が描かれる程度です。
 ベン・ブラッドリーは、我々が守るべきは憲法修正第1条、報道の自由、この国の未来だ、と言って”ウッドスタイン”のふたりをけしかけます。この憲法修正第1条は『ペンタゴン・ペーパーズ』にも登場しました。この後ホワイトハウスの録音テープをめぐる山場があるわけですが、映画の方は「大統領の陰謀」の扉をこじ開けたところで終わっています。

 地味な映画ですが、ふたりの記者がウォーターゲート事件の断片を集め裏を取り、事件の全貌を組み立ててゆく様はスリルに満ちています。
 ウッドワードは、2018年にトランプ政権の内幕を描いた『恐怖の男 トランプ政権の真実(Fear: Trump in the White House)』を出版しています。原作の『大統領の陰謀』にも興味がありますが、こちらを読んでみたいです。

監督:アラン・J・パクラ
原作:カール・バーンスタイン ボブ・ウッドワード
出演:ダスティン・ホフマン ロバート・レッドフォード

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