SSブログ

カズオ・イシグロ わたしを離さないで 第三部 (2008ハヤカワ文庫) [日記 (2020)]

わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫) わたしを離さないで [Blu-ray]続きです
提供者と介護人
 コテージを卒業すると、彼らクローンは提供者か介護人の道を選択します(他の選択肢は無い)。キャシーは回復センターで提供者を介護する介護人となり、へールシャム、コテージで共に暮らしたルースの介護人となります。ルースは、キャシーをキングスフィールドの回復センターにいるトミーとの面会に誘い、ヘールシャムの三角関係が復活します。
 3人で海岸に難破船を見に行き、提供によって「終了(死)」が迫っていることを知ったルースは罪を告白します。それはヘールシャムでキャシーとトミー仲を裂いたことだと言います。

カップルはあなたとトミーのはずだった。昔からわかってたのよ。許してなんて頼めることじゃない。だから、わたしが頼みたいのはそれじゃない。あなたたち二人に取り戻してほしいの。わたしがだめにしたものを取り戻してほしい
あなたとトミーでやってみて。提供を猶予してもらって。あなたたち二人なら、きっとチャンスがあると思う

ルースは、ポシブルを探しに行ったノーフォークでの、「愛し合っていて--それを証明できればそのカップルは提供を猶予され、数年いっしょに暮らすことができる」というあの噂話を持ち出し、マダムの住所を書いた紙片を渡します。キャシーはトミーの介護人となり、ヘールシャムの関係が復活します。

トミーは三度目の提供をしたばかりで、順調に回復してはいましたが、まだ十分な休養が必要でした。気になるそれを遠ざけておくため、わたしはあらゆることをしました。すべての抑制を取り払って、セックスに耽りました。
あのままの日々がずっとつづいていたら--おしゃべりをし、セックスをし、朗読し、絵を描く午後がつづいていたら--わたしたちは幸せだったかもしれません。でも、夏が終わろうとしていました。トミーが健康を取り戻すとともに、四度目の提供の通知が舞い込む可能性も無視できなくなりました。いつまでも待てない--わたしたちにはそれがわかっていました。

それとは、4度目の提供によって訪れる伴うかも知れない「終了」です。死を見据えたキャシーとトミーの生活は切ないです。キャシーとトミーは、提供を猶予してもらうためにリトルハンプトンのマダムに会いにゆきます。ふたりはそこで思わぬ人物、ヘールシャムの主任保護官だったエミリ先生に出会い、彼女はあっさり噂を否定し提供の猶予などは無いと言います。
 そしてヘールシャムの成り立ちと終焉を語って聞かせます。臓器提供を目的のため造られた「試験管の中の得体の知れない存在」クローンも、人道的で文化的な環境で育てれば、普通の人間と同じように感受性豊かで理知的な人間に育ちうる、それを証明するためにヘールシャムは作られたと言います。

わたしたちが作品を持っていったのは、あなた方の魂がそこに見えると思ったからです。言い直しましょうか。あなた方にも魂が--心が--あることが、そこに見えると思ったからです
なぜそんな証明が必要なのですか、先生。魂がないとでも、誰か思っていたのでしょうか

 一部の科学者がオリジナルより優れたクローンを生み出そうと計画し、普通の人間より優れた能力を持つ子供たちが生まれたら、いずれこの社会はそうした子供たちに乗っ取られる。それを恐れた人間はヘールシャムを閉鎖に追い込んだのだと言います。優れたクローンを文化的な生活で育てれば、彼らを目覚めさせるということです。

「追い風が吹くかに見えた時期もありましたが、それは去りました。世の中とは、ときにそうしたものです。受け入れなければね。人の考えや感情はあちらに行き、こちらに戻り、変わります。あなた方は、変化する流れの中のいまに生まれたということです」(エミリ先生)
「追い風か、逆風か。先生にはそれだけのことかもしれません」とわたしは言いました。でも、そこに生まれたわたしたちには人生の全部です(キャシー)

ヘールシャムとノーフォーク
 ...と、人間とクローンを軸に読んで来ましたが、実は違うんではないか?。クローンと臓器提供は背景に過ぎず、核心はもっとべつのところにあるのではないか?。keyは、キャシーとトミーが育ったヘールシャムです。最初から最後まで物語を貫いているのがヘールシャムです。

提供者の一人と話していて、記憶が 褪せて困るという不満を聞かされました。大事な大事な記憶なのに、驚くほど速く褪せてしまう……。でも、わたしにはわかりません。わたしの大切な記憶は、以前と少しも変わらず鮮明です。わたしはルースを失い、トミーを失いました。でも、二人の記憶を失うことは絶対にありません

ルースとトミーの記憶とは、ヘールシャムから続く記憶であり、3人を結びつけていたのもヘールシャムです。

いまでも、ときどき、元生徒がヘールシャムを──いえ、ヘールシャムがあった場所を──探し歩いているという話を聞きます。ヘールシャムの現状が噂になることもあります。ホテルになっている、学校だ、廃墟だ……。意識のどこかのレベルでは、わたしもヘールシャムを探しているのかもしれません。
静かな生活が始まったら、どこのセンターに送られるにせよ、わたしはヘールシャムもそこに運んでいきましょう。ヘールシャムはわたしの頭の中に安全にとどまり、誰にも奪われることはありません

 では、ヘールシャムとは何か?。楽園、トミーとキャシーは楽園を追われたアダムとイヴだと言ってしまっては身も蓋もありませんが、人間世界という俗世から隔てられ、創作よって魂を磨く生活を送ったへールシャムは間違いなく楽園です。その楽園でクローン「人間」たちに真実を教えたルーシー先生は、イヴに知恵の実を食べさせた蛇の如く追放されます。クローンである運命を背負い、その運命に抗うキャシーとトミー...これは現代の『失楽園』ではなかろうか?、そう思ってしまいます。

 もうひとつの重要な場所がノーフォーク。ヘールシャムの地理の授業で教師は、

静かないいところですが、見方によってはイギリスのロストコーナーとも言えます

と謎のようなことを言います。

ロストコーナーには二通りの意味があります。一つは「忘れられた土地」の意味で、先生が言おうとしたのはこちらです。そして、もう一つは……実はヘールシャムの四階にも「ロストコーナー」と呼ばれている場所がありました。遺失物置き場、つまりは落し物や忘れ物が保管される場所です。授業のあとで誰かがエミリ先生が言ったのもその意味だ、と言い出しました。「イギリスのロストコーナー」とは「イギリスの遺失物保管所」という意味で、国中の落し物は最終的にノーフォークに集められるのだ、というのです。

キャシー、ルース、トミーの3人がポシブルを探すのもノーフォークです。ポシブルは見つからなかったものの、キャシーはノーフォークのリサイクル・ショップで失くしたミュージックテープ『わたしを離さないで』を見付けます。また後に、ルースは介護人キャシーにこう言います、

何か大事なものをなくしてさ、探しても探しても見つからない。でも、絶望する必要はなかったわけよ。いつか大人になって、国中を自由に動き回れるようになったら、ノーフォークに行くぞ。あそこなら必ず見つかる、って……。ルースの言うとおりでしょう。ノーフォークはわたしたちの心の 拠り所でした。

トミーが使命を終えたと聞いてから二週間後、キャシーはノーフォークに行きます。

この場所こそ、子供の頃から失いつづけてきたすべてのものの打ち上げられる場所、と想像しましました。

 ノーフォークでキャシーはトミーの幻影を見ます。トミーという遺失物をロストコーナーで見つけたことになります。幻のトミーとは何を意味するのか?。人は大切なものを喪失することで代わりに何を得るのか?。作者が描いたのは、この喪失の物語だった思われます。

タグ:読書
nice!(5)  コメント(0) 
共通テーマ:

カズオ・イシグロ わたしを離さないで 第二部 (2008ハヤカワ文庫) [日記 (2020)]

わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫) わたしを離さないで [AmazonDVDコレクション]  続きです。
執行猶予
 第二部で、キャシーたち8人はヘールシャムを卒業しコテージへ移ります。コテージは同年代の男女の暮らす共同体で、保護官はいず、外出も旅行も自由で「提供」に至るまでの執行猶予期間を過ごすコミュニティーです。コテージで自由に過ごすことは、彼らが大人として成長する学校のひとつなのか、使命を果たすという彼らの過酷な運命に対する見返りなのか、よく分かりません。コテージを経て、彼らは提供者または介護人となります。

 男女が共同生活するコミュニティーですから恋愛もあり、カップルも存在し、普通にセックスも行われます。唯一つ違うのはクローンは妊娠しないということです。つまり、コテージの男女関係は子孫を残せない、結婚「家族」に結びつかない関係であり、ルースとトミーのカップルも恋愛というより、快楽によって結び付けられた関係のようです。彼らは、臓器提供によって命を落とすという短い将来しか約束されていません。結婚や家族が想定できず、長くは生きられないという制約下での男女の関係とは何か?ということです。

 ポシブル(possible)というエピソードが描かれます、可能性という意味です。彼らは複製されたクローンですから、

外の世界のどこかに、わたしたちの複製元と言いますか、「親」がいて、それぞれの人生を生きているはずです。
外の世界に出かける時・・・自分の--あるいは友達の--「親」に出くわさないか、いつも目を 凝らしていました。これはと思う人が見つかると、「親」の可能性があるという意味で、「ポシブル」と呼んでいました。

たとえ「親」が見つかっても、彼らの運命に変化は無いはずですが、

「親」がどんな人かを見れば、自分が本来どんな人間でありえたか、どんな人生を送りえていた が少しはわかると、わたしたちの誰もが──程度はさまざまながら──信じていました。

コピー元の「親」を知ることで、あり得たかもしれない将来を想像するという切ない話です。コテージのカップルがノーフォークの街でルースのポシブルを見た、ということから話は始まります。このカップルとルース、トミー、キャシーの5人はポシブルを確認するため街に出かけますが、これには裏があります。カップルはある噂をヘールシャム出身の3人に確かめたかったのです。そのためのポシブルでした。

男の子と女の子がいて、二人が愛し合っていて--ほんとうに、心底、愛し合っていて--それを証明できれば、ヘールシャムを運営している人たちが何とかしてくれるんですって。いろいろと手を回してくれて、提供が始まるまでの数年間、一緒に暮らせるようにしてくれるんですって

ヘールシャム出身のカップルが提供の執行猶予されたという噂があり、このカップルはキャシーたち3人に事実を確認するためにポシブル探しをデッチあげたのです。数年間であっても提供から逃れたい、先送りしたい、という彼らの切実な願いです。この噂が第三部への伏線となります。
 トミーは、愛し合っているカップルは「提供」の執行を猶予されるという噂と、ヘールシャムの”マダム”を結びつけます。マダムは、生徒たちの優れた絵画、彫刻などの作品を施設から展示館に持ち出していました。これを噂と重ね、

マダムが作品を持っていく理由を先生に尋ねた。先生がどう答えたって君は聞いてる?
絵も、詩も、そういうものはすべて、作った人の内部をさらけ出す……そう言った。作った人の魂を見せる

トミーによると、カップルから提供の執行猶予の申請があった時、「ほんとうに、心底、愛し合っていて証明」のためにヘールシャムから持ち出された作品が使われる、というのです。マダムに作品を取り上げられなかったトミーはコテージで絵を描き始め、それをキャシーに見せます。
 キャシー、ルース、トミーの関係は結構複雑。このポシブルを探す外出でも、トミーは失った「わたしを離さないで」でミュージック・テープを探し出しキャシーにプレゼントし、愛し合っている証明のための絵をルースではなく彼女に見せています。ヘールシャム時代からキャシーはトミーを愛していたようであり、トミーもまたルースよりもキャシーが気にかかる存在であるようです。
 ルースはトミーとの破局を予感したのか、キャシーを牽制します。

仮にわたしとトミーが一緒にいることをやめようってなったとして、そのあとのこと
(トミーはキャシーを)ガールフレンドとしては見てない
トミーはね、あの人ともこの人とも……その、付き合ってたような女性は相手にできないの

これを知って、キャシーは介護人になるためコテージを離れます。

続きます

タグ:読書
nice!(5)  コメント(0) 
共通テーマ:

苔 こけ [日記 (2020)]

7.jpg 6.jpg5.jpg 4.jpg3.jpg 2.jpg1.jpg
 庭の苔です。こういうのも仔細に見るとけっこう面白いです。HUAWEI p20liteで撮ったのですが、マクロもいけますね。

nice!(7)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

カズオ・イシグロ わたしを離さないで 第一部 (2008ハヤカワ文庫) [日記 (2020)]

わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)
 原題、Never Let Me Go。 『日の名残りが面白かったので引き続きカズオ・イシグロ。ノーベル文学賞の小説ですから文学なんでしょうが、サスペンスとして読めます。大江健三郎がサスペンスを書けば、こんな作品ができそうです。『日の名残り』同様、文章は平易で晦渋な表現や観念的な言い回しもなく読みやすいです。

ヘールシャム
 31歳の介護人キャシー・Hが、「施設」へールシャムで過ごした子供時代の思い出を語ります。この施設も、キャシーが現在勤める介護施設もまた、医療施設でも老人ホームでもなく、謎。ヘールシャムは、ブリックスクールのような全寮制の学校で、生徒は「使命」のために保護官と呼ばれる教師によって教育を受けている様子。庭師や配達人、「マダム」以外誰も訪ねる人は無く、施設から一歩も出ず「外の世界」と隔離されているようです。子供ですから親がいるはずなのですが一言も触れられず、あるいは孤児院なのか?。彼らは何者で、使命とは何か?。キャシーによって、少女期から思春期にかけての集団生活がノスタルジックに語れ、そのすき間から次第に真実が顔を覗かせます。

もう五歳や六歳の頃から、頭のどこかには「いつか……そう遠くないいつか」と、ささやく声があったのかもしれません。「いつか、きっとどんな気持ちのものかわかるだろう」と。ですから、わたしたちはそれと知らずに、きっとあの瞬間を待っていたのだと思います。自分が外の人間とはとてつもなく違うのだと、ほんとうにわかる瞬間を。

 「外の人間」と何がとてつもなく違うのか?。マダムという存在を契機にその謎が徐々に明らかにされます。マダムは、定期的にヘールシャムを訪れ子供たちが作る優れた絵、彫刻や詩を外部に持ち出しています。ツンと済ましたマダムは、実は子供たちを怖がっているのだという噂が流れます。彼女はなぜ施設を訪れ彼らの作品を持ち出すのか?、何故幼い子供たちを怖がったのか?。
 キャシーは、お気に入りのジュディ・ブリッジウォーター「わたしを離さないで(Never Let Me Go)」の曲に合わせて、赤ん坊に見立てた枕を抱いて踊っている姿をマダムに見られます。この赤ん坊というのに意味があります。

何かを感じ、部屋に誰かいるような気がして、ふと目を開けました。すると、目の前にある戸口の向こうに、マダムが立っていたではありませんか。
マダムは部屋に入ってこようとせず、敷居の向こう側の廊下にじっと立っていました。その位置から頭を一方に 傾げ、ドアの内側を覗き込むようにして、わたしを見ていました。そして……泣いていたのです。
気味の悪いものでも見るようなあのいつもの 眼差しで、ドアの向こうからわたしを見て、しゃくりあげていました。

(マダムはわたしたちを)目にするたびに「この子らはどう生まれ、なぜ生まれたか」を思って身震いする。少しでも体が触れ合うことを恐怖する。そのことがわかる瞬間、初めてその人々の目で自分を見つめる瞬間──それは体中から血の気が引く瞬間です。生まれてから毎日見慣れてきた鏡に、ある日突然、得体の知れない何か別の物が映し出されるのですから。

わたしたちにとってはマダムが一つの流れの始まりでした。その流れは年月とともに大きくなり、わたしたちの人生を左右するまでになっていったのです。

 タイトルの『わたしを離さないで』は同名曲から採られているようです。キャシーたちヘールシャムの女性徒は、みな赤ん坊が産めない身体だということが明かされます。親がいない?、子供が産めないということはどういうことなのか。彼女たちは異形の者なのか?。

自分たちの将来を語り合う生徒たちの会話に、教師(ルーシー)が割り込みます。

あなた方の人生はもう決まっています。これから大人になっていきますが、あなた方に老年はありません。いえ、中年もあるかどうか……。いずれ臓器提供が始まります。あなた方はそのために作られた存在で、提供が使命です。

なんと、キャシーたちは、臓器提供を目的に造られたクローン人間だったわけです。このルーシー先生は、真実を暴露したためヘルーシャムを追われたようです。

何をいつ教えるかって、全部計算されてたんじゃないかな。保護官がさ、ヘールシャムでのおれたちの成長をじっと見てて、何か新しいことを教えるときは、ほんとに理解できるようになる少し前に教えるんだよ。だから、当然、理解はできないんだけど、できないなりに少しは頭に残るだろ? その連続でさ、きっと、おれたちの頭には、自分でもよく考えてみたことがない情報がいっぱい詰まってたんだよ

 「使命」とは臓器提供であり、生徒たちは外部の人間のために造られ、提供の後に死んでゆく家畜だったわけです。ヘールシャムの教師・保護官は、生徒たちに情報を少しづつ与え、例えば性教育の中に自分たちの伝えタイ情報をそっと滑り込ませ、彼らが運命を受け入れるように巧妙に誘導します。ルーシー先生は、徐々に洗脳してゆくヘールシャムの教育方針を踏み外したため、辞めさせられたのでしょう。外部から隔離され洗脳された子供たちは、臓器提供を何の疑問を抱かず受け入れ成長します。教育というものの恐ろしさです。
 その事実を知ったキャシーたちは、『ブレードランナー』のレプリカントのように人間に対して反乱を起こすのか?。外の世界を知らず無菌保育器のようなヘールシャムで育てられたクローンたちは、運命に疑問を挟むこともなく普通の少年少女たちと何ら変わるところはありません。

ヘールシャムでの最後の数年間、十三歳から十六歳で巣立つときまでをお話ししましょう。わたしのヘールシャム時代の記憶は、最後の数年間とそれ以前という二つにはっきり分かれています。
ヘールシャムを出て何処へ行くのか?、外の世界でどんな体験をし、どう変わるのか?。

続きます

タグ:読書
nice!(5)  コメント(0) 
共通テーマ:

五つ葉クローバー [日記 (2020)]

IMG_20200313_131935.jpg IMG_20200313_132145.jpg
 五つ葉クローバーを見つけたそうです。そんなものあるのか?と思うのですが、あるらしい。四つ葉のクローバーは幸運ですが、五つ葉のクローバーは+金運だそうです。

タグ:絵日記
nice!(5)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

Xperia 誕生10周年 [日記 (2020)]

10周年.jpg PA220682.jpg
 Xperia(android版)が誕生して10周年だそうです。初代Xperia10(SO-01B) →arc →acroHD →ZとずっとXperiaを使い続けてきましたから、感慨アリです。mvnoのためキャリア3社とは無縁で、2年で機種変更というわけにはいかず旧機種を使い続けています(直近は何かと話題のHUAWEI)。それ以前は、Palm→linuxZaurs→w-zero3[es]→T-01Aですから、「携帯端末」は20年近く使っていることになります。もっとも通信機能が付いたのはw-zero3[es]からで、ここからが「スマートフォン」です。そう言えば、Opera搭載の「京ポン(AH-K3001V)」も使っていました。PHSのガラケーですが、netに繋がりメールができてカレンダーやメモ帳が使えてカメラも付いていたのでスマホの走りです。net、メール、予定表、辞書、メモ帳、カメラと使っているアプリは当時も今もいっしょ。メールがlineに、メモ帳がevernoteに変わり、クラウドとGPSが使えるようになってケータイは格段に進化しました。それにしてもw-zero3[es]は名機でした。

 Xperiaが面白かったのは、flashtoolというソフトを使ってandroidのバージョンup(rom焼き)やroot権限取得が出来たこと。Xperia Zはandroid4を非公認の5にバージョンupして使っていました。オリジナルromにすると、裏で動くバッテリを消耗させる不要なアプリが無くなって、バッテリの保ちが良くなるなどのメリットがあります。なによりdocomoお仕着せのアプリ(羊など)が無くなって文字通り「スマート」なスマホになります。→この辺り。最近の端末は性能が上がったので、そこまでする必要はありません、というか根性がなくなりました。
  動態保存してあるのですが、電源を入れてみるとXperia10はバッテリが死んで起動せず。acroHDは嫁入りし、arcとZは健在、Zはradiko専用で現役です。MVNOで5Gが使えるようになれば、またXperiaにしようかと思っています(家族親族はみなiPhoneですが)。なにはともあれXperia10周年、おめでとう。

nice!(5)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

青空文庫 の kindle変換 [日記 (2020)]

screenshot_2020_03_08T16_55_07+0900.jpg screenshot_2020_03_08T16_57_56+0900.jpg
 図書館が休館になり、こういう時には青空文庫でも読もうかとなります。KindleStoreは有料だが青空文庫にはあるという本は、青空文庫 → kindle変換するとpaperwhiteで「無料」で読めてます。青空文庫からダウンロードしたテキストファイルをAozoraEpub3(java環境必要)を使ってepubに変換し、Kindle Previewerでmobioに再変換すればkindlePaperwhiteで読めます。ここここを参照しました。旧法でぎりぎりで青空文庫に入った山本周五郎の『五瓣の椿』を変換してみました、簡単でした。kindle版にすると、フォントが選べ、辞書が使え(wikipedia検索可能、但し単語指定がシビア)、ハイライトで書抜き、メモが使えて便利です(何故か検索が出来ない)。

 こうなると、片っ端から変換して「携帯図書館」を作るか!です(笑。

【追記】
 ひとつだけ困ったことがあります。amazonからダウンロードした本は、一旦クラウド(amazon)に入り、必要に応じて端末に呼び出して読みます。読み終わったら端末 →クラウドに移動となります。机の上から本棚に戻すようなものです。ところが、上記方法で変換した本は、端末からクラウドに移動できません。削除すれば消えてしまいます。amazonドライブにでも預けておけばいいのですが、これだと端末にダウンロードできません。使っているのが第二世代paperwhiteなので、本体に何冊も持つと動作が鈍くなります。ちょっと困ったことです。PCに残ってるので、致命的ではありませんが。
screenshot_2020_03_08T16_57_56+0900.jpgscreenshot_2020_03_08T18_40_18+0900.jpgscreenshot_2020_03_09T09_06_19+0900.jpg
 フォント変更                    メモ、ハイライト

nice!(6)  コメント(0) 
共通テーマ:

カズオ・イシグロ 日の名残り (2) (2001ハヤカワ文庫) [日記 (2020)]

日の名残り (ハヤカワepi文庫)続きです。
日の名残り
 ミス・ケントンを訪ねる旅は、彼女の部屋のドアの前にたたずんでいた、20年前の自分自身を取り戻す旅でもあります。ミス・ケントンがダーリントン・ホールに戻るという期待は外れます。彼女は自分の人生を振り返り、こう語ります、

私の人生はでも、そうは言っても、ときにみじめになる瞬間がないわけではありません。とてもみじめになって、私の人生はなんて大きな間違いだったことかしらと、そんなことを考えたりもします。そして、もしかしたら実現していたかもしれない別の人生を、よりよい人生を--たとえば、ミスター・スティーブンス、あなたといっしょの人生を考えたりするのですわ。
・・・結局、時計をあともどりさせることはできませんものね。架空のことをいつまでも考えつづけるわけにはいきません。人並の幸せはある、もしかしたら人並以上かもしれない。早くそのことに気づいて感謝すべきだったのですわ。

ミス・ケントンのこの言葉に、私はすぐに返事をしたとは思われません。聞いた言葉を噛み締めるのに一瞬を要しました。それに--おわかりいただけましょう--私の胸中にはある種の悲しみが喚起されておりました。いえ、いまさら隠す必要はありますまい。その瞬間、私の心は張り裂けんばかりに痛んでおりました

 20年前にミス・ケントンの部屋のドアの前に立ちすくんだ夜、「私はみずからの『地位にふさわしい品格』を保ちつづけた」と言い切ったスティーブンスは、後悔にホゾを噛みます。同時に「あなたといっしょの人生」というミス・ケントンの言葉に慰められます。ミス・ケントンは夫のもとに帰り、  スティーブンスは、ドーセットのウェイマスに出掛けます。桟橋で老人と出会い、戦後、ナチスに加担したと非難されるダーリントン卿の思いでを語ります、

卿は勇気のある方でした。人生で一つの道を選ばれました。それは過てる道でございましたが、しかし、卿はそれをご自分の意思でお選びになったのです。少なくとも、選ぶことをなさいました。しかし、私は……私はそれだけのこともしておりません。私は選ばずに、信じたのです。私は卿の賢明な判断を信じました。卿にお仕えした何十年という間、私は自分が価値あることをしていると信じていただけなのです。自分の意思で過ちをおかしたとさえ言えません。そんな私のどこに品格などがございましょうか?

 ダーリントン卿の道は自らの意思で選択した道だったが、自分は卿に仕えるだけで意思を持たなかったと振り返り、「品格」があると思いこんでいたのは過ちだったと悟ります。では、執事として新しい主人であるアメリカ人に如何に仕えればいいのか?。冗談の好きな主人を思い、

本腰を入れて、ジョークを研究すべき時期に来ているのかもしれません。人間どうしを温かさで結びつける鍵がジョークの中にあるとするなら、これは決して愚かしい行為と言えますまい。主人が執事に望む任務としても、ジョークは決して不合理なものではないように思えてまりました。

 スティーブンスは立ち直ります。桟橋で出会った老人の言葉が、小説の主題かも知れません、

人生、楽しまなくっちゃ。夕方が一日でいちばんいい時なんだ。脚を伸ばして、のんびりするのさ。夕方がいちばんいい。わしはそう思う。みなにも尋ねてごらんよ。夕方が一日でいちばんいい時間だって言うよ。

 ミス・ケントンと出会い、ウェイマスで夕刻の桟橋に至るくだりはこの小説のハイライトです。スティーブンスにもミス・ケントンにも、ダーリントン・ホールにも時代にも「夕方」があり、「夕方が一日でいちばんいい時間」だというです。人生の「夕方」は、後悔や思い出に生きるだけの時ではなく、希望も新たな出立もあるのです。
 人はそうやって老いを迎え、人生の日没を迎えようとする「夕方」に、「夕方が一日でいちばんいい時間」だと言えるかどうか...。
 引用ばかりで感想にもなっていませんが、「小説」を堪能しました。

 『緑の光線』という映画を連想します。太陽が沈む時に緑の光線が射す瞬間があり、緑の光線を見た人は幸せをつかむという言い伝えを信じて夕日に見入る、こちらは若い女性の話です。スティーブンス、ミス・ケントンもこの「緑の光線」を見たのでしょう(小説にはありませんが)。

 昨今のウィルス騒動でカミュの『ペスト』が増刷になったというニュースを読んで、70年前の小説が息吹(普遍性)を吹き返すという文学の力をあらためて思い知りました。感染症を引き起こすウィルスは、この小説が書かれた1947年どころか、何万年も前から人間の敵です。『日の名残り』はイギリスの芥川賞?ブッカー賞を受け、カズオ・イシグロはノーベル賞作家ですからポピュラーな本ですが、ある日、1989年のこの小説が彼方から突如として現れる、かも知れません。


タグ:読書
nice!(5)  コメント(2) 
共通テーマ:

EOS kiss で野鳥 (2) [日記 (2020)]

IMG_0284.jpg IMG_0286.jpg
シジュウカラ

IMG_0294.jpg IMG_0290.jpg
EOS kiss X5+250mm望遠
 最近なかなかチャンスがめぐってきません。庭に来る鳥を、2Fのベランダから狙ってみました。

nice!(5)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

カズオ・イシグロ 日の名残り (1) (2001ハヤカワ文庫) [日記 (2020)]

日の名残り (ハヤカワepi文庫)   イギリスの貴族屋敷ダーリントン・ホールの「執事」の話です。
 第二次世界大戦後、ダーリントン・ホールの主が亡くなり、アメリカ人の富豪が屋敷を買い取って、スティーブンスは執事として新しい主人に仕えることになります。小説は、1920~30年代のダーリントン・ホールの栄光の日々を語るスティーブンスの独白です。それは同時に彼の執事としての栄光の日々を語ることでもあるわけですが、屋敷がアメリカ人の手に渡ったように、初老を迎えた彼自身の斜陽を語ることにもなります。
スティーブンス
 ダーリントン・ホールは、最盛期には28人もの使用人を抱え、50人もの客が入る宴会場を持つ大邸宅。ケインズ、H.G.ウェルズ、バーナード・ショーなどの著名文化人、チャーチル、ハリファックス卿、ドイツの外交官リッペンドロップなどの政治家が訪れ、第一次世界大戦後のヨーロッパの政治体制を決める重要な国際会議まで催されます。このダーリントン・ホールを取り仕切るのが執事スティーブンスと女中頭のミス・ケントンです。
 アメリカ人がダーリントン・ホールの主人となって使用人も減り、新たな女中頭が必要となった時に結婚で去ったミス・ケントンから手紙が届きます。彼女は夫との折り合いが悪く家を出たようであり、文面からはダーリントン・ホールに戻ることを望んでいる、スティーブンスはそう読み取ります。
 スティーブンスは、彼女を雇うため屋敷のあるオックスフォードシャーから南西部コーンウォール州まで、自動車旅行に出かけます。車中、執事としての来し方、ミス・ケントンとダーリントン・ホールで過ごした思い出が語られます。ミス・ケントンは、間違いなくこの小説のヒロインですが、スティーブンスの思い出の中の人物として描かれるだけ(最後の最後に登場)。執事と女中頭という単なる仕事上の関係かというとそうでもなく、それを超えた男女の感情があったようです。あえてその感情を押し殺すスティーブンス、その態度に戸惑うミス・ケントン。スティーブンスは40歳を、ミス・ケントンは30歳を少し超えた歳であり、使用人を監督する立場から踏み越えることが出来ません。おまけにステーブンスには名家の執事たる矜持と品格があるわけです。

 イギリスには執事という職能の「業界」まであり、優秀な執事だけが加入できる協会があり、『季刊 執事』という機関誌まである、ということになっています。そして、優秀な執事の要件は「品格」であることが繰り返し語られます。品格とは、もうひとつ分からないのですが 、名家に仕え、主人、執事ともに紳士であり、執事は主人を敬愛して仕えるというようなことのようです。名家とは、新興の富豪などではなく、英国の伝統に根ざした血統を指すようです。スティーブンスは、自身が当然名家に仕える品格ある執事であると思っています。

ダーリントン卿
 執事ですから主人に従うのが努めですが、主人と意見が合わなかった時どうするのか?。主人のダーリントン卿は政界の重鎮で、ヨーロッパの平和のためにドイツに過酷な「ベルサイユ条約」を緩和する「宥和政策」を推し進めるため、各国の要人をダーリントン・ホールに集め国際会議を開催します。結果的には、過酷な賠償金によって疲弊したドイツはナチズム台頭を許し、第二次世界大戦を起こすことになります。それは後の話し。国際会議ともなればスティーブンスの出番、多くの使用人を指揮してこれを成功に導きます。
 ダーリントン卿は「宥和政策」を推し進めるのですから、親ドイツ派。やがてファシスト党に近づき、ユダヤ人の女中を解雇するに至ります。スティーブンスは反対ですがやむなくこれを実行し、ミス・ケントンは猛然と抗議して自身も辞めると言い出します。主人に非があっても、執事は主人に従うべきなのか?という問題です。終戦後、ダーリントン卿は批判されますが、スティーブンスは卿の高潔な人格故に一貫して卿を擁護します。このあたりは、スティーブンスが誇る執事としての品格、時流に阿らない大英帝国の(伝統的な)保守性として理解していいのかどうか、分かりません。
 ダーリントン卿のモデルは、「ミュンヘン会談」でヒトラーに譲歩して宥和政策を進めたチェンバレンではないかと思います。

ミス・ケントン
 ダーリントン卿が、首相と外相、リッペンドロップ(駐英ドイツ大使)を屋敷に招き宥和政策を協議するくだりは小説の山場です。たまた屋敷を訪れていたジャーナリストは、卿はヒトラーに利用されている、ヒトラーの野望に荷担している、とダーリントン卿を敬愛しているスティーブンスに問い詰めます、

きみは平気かい、スティーブンス? ダーリントン卿が崖から転げ落ちようとしているのを、黙って見ているつもりかい?(ジャーナリスト)
申し訳ございません。何の事を言っておられるのか、私にはよく理解できかねます
私には、卿が高貴なる目的のために行動しておられるとしか考えられません。
私はご主人様のよき判断に全幅の信頼を寄せております。(スティーブンス)

 スティーブンスのダーリントン卿への信頼は揺るぎません。この会合とともに、彼の人生を分かつ出来事が同時に進行します。

ミスター・スティーブンス、少しお話ししたいことがあります(ミス・ケントン)
何ですかな、ミス・ケントン?(スティーブンス)

私の知合いのことです。今晩、私が会う相手ですわ
この方に結婚を申し込まれていますの。あなたには、そのことを知っておく権利があるだろうと思いまして

私はまだどうしようかと考えているところですけれど、でも、やはりこういうことはお伝えしておいたほうがよいと思いまして

よく教えてくれました。では今晩は楽しく過ごされますように

 愛の告白に他ならず、スティーブンスはこの会話が何を意味するのか知っていたはずです。今この時、ダーリントン・ホールではヨーロッパの運命を賭けた会合が始まっています。その歴史を左右する大事な時に、スティーブンスには主人を助ける義務(忠義)があり、ミス・ケントンの愛の告白など聞いている時ではない、ということです。もっとも執事に出る幕はありませんが、彼にしてみれば、外交を影で支えているという自負(あるいは誤解)があります。
 ミス・ケントンが屋敷にもどります。スティーブンスはワインを運ぶ途中、ミス・ケントンの部屋のドアに立ち止まります、

この瞬間、ドアの向こう側で、私から数ヤードのところで、ミス・ケントンが泣いているのだ、と。あの瞬間、もし私がドアをノックし、部屋に入っていたなら・・・

 彼はミス・ケントンが泣いていることを確信しているのですが、スティーブンスは立ち去ります。ドアをノックしていたら、ふたりの人生は変わっていたのか?...。

あの夜のどの一点をとりましても、私はみずからの「地位にふさわしい品格」を保ちつづけたと、これは自信をもって申し上げられます。



タグ:読書
nice!(6)  コメント(0) 
共通テーマ: