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嵐山光三郎 素人庖丁記(1987講談社) [日記 (2021)]

素人庖丁記 (講談社文庫)  嵐山光三郎さんには『芭蕉という修羅』『悪党芭蕉』の芭蕉もの、『文人悪食』『追悼の達人』といったエッセーがあり、いずれも面白いです。その軽妙酒脱の語り口は私の憧れで、何時かは光三郎先生のような文章を書いてみたいと思っているんですが...。文章が無理なら髭でも生やすか…。
 雑誌編集者として 檀一雄の担当だったそうで、壇一雄といえば『檀流クッキング』、道理で本書が生まれるわけです。1988年講談社エッセイ賞受賞作です。

 舌で味わう料理を文字と想像力で味わうわけですから邪道です。コノ手のものは好きで、池波正太郎が『剣客商売』で描く根深汁は本当に美味そうです。単身赴任の頃は包丁を握っていました、魚も三枚におろせます。台所に立つのもいいですが、『檀流クッキング』『料理の四面体』や本書のようなエッセイで料理を楽しむのもイイです。目次と「さわり」。

 カレー風呂(焼酎のアテにはカレールーが最適だそうで、30種類のルーを試したとか)
 歩く水(美味い水の話。人間は水で出来ている、末期の水は何を飲むか?)
 豆腐の擂粉木(豆腐料理の蘊蓄。江戸時代には『豆腐百珍』なる本が出版されたとか)
 泥鰌だしの素(”どぜう”の食べ方。「カツオだしの素」があるならドジョウのだしの素があっていい)
 松尾バナナ(バナナは芭蕉科だから、芭蕉はバナナを食べたのだろうか?。バナナの栄光と悲惨の物語)
 ジャムのおむすび(おむすびは神産び(かみむすび)からきた言葉らしい。中国の”ちまき”に対抗する様々なおむすびの味は?)
 魔草メガの謎(「一口含んだ途端に宗教的悟りの世界に入る。脳天から冷やりとした宗教的観念の風が背骨を縦走する」魔草”メガ”の謎)
 茶漬合戦(光三郎先生は、芸術家にして料理人、美食家の北大路魯山人に対抗意識を燃やします。魯山人のエビ茶漬にぶつけるのが上海蟹のカニ茶漬け。蟹を茹で身をほぐしてご飯に乗せ、煎茶の代りに上から出汁をかけるというもの。上海蟹のお茶漬けは贅沢ですが、《納豆茶漬》は是非やってみたい)
 イトコンニャクのざるそば(イトコンニャクのざるそばは不味いそうででソース味のヤキソバ風は美味しいらしい。コンニャクは、煮るより炒めるほうが味の実力がひき出せる、そうです)
メロンのぬか漬け、空飛ぶステーキ、校庭結婚式、甘い生活、尺八の煮物、病院メニュー、などなど。最後を飾るのが、
死期の献立
 正岡子規(1867~1902)の『仰臥漫録』を読んで、鬼気迫る死期の献立に愕然とする話。先生によると日本の料理文学の最高峰に位置する一冊だそうです。死ぬちょうど一年前9月19日の食事は、
 朝:ぬく飯三碗、佃煮、なら漬 
 午:鱗三わん、焼鴨三羽、キャベージ、なら漬、梨一漬、葡萄
 間食:牛乳一合ココア入、菓子パン大小数個、塩煎餅
 晚:与平二つ三つ、粥二碗、まぐろのさしみ、煮茄子、なら漬、葡萄一房
 夜:林檎二切、飴湯

鴨は前日に長塚節が、与平飾は夕刻に伊藤左千夫が持ってきてくれたものだそうです。この日詠んだ句は

 淋しさの 三羽減りけり 鴫の秋

『仰臥漫録』には食べ物の句がエンエンと続くそうです。

 餓鬼も食へ 闇の夜中の 鱈(どじょう)汁
 主病む 糸瓜の宿や 栗の飯
 氷噛んで 毛穴に秋を 覚えけり
 夜更けて 米とぐ音や きりぎりす

などなど。子規の食べ物への執着は壮絶です。

ぼくがこだわる末期の一品というのは、人間が最後に食べる一食のことである。・・・人間、死ぬときに何を食べるか、これは重要な問題であるから、まだ決めてない人は早く決めておいたほうがよい。死はいつやってくるかわからないからである。
 
ちなみに、光三郎先生の末期の一品はレンコンの天ぷらだそうです。末期の一品で思い出すのが、宮沢賢治『永訣の朝』で妹トシ子が所望した一碗の「あめゆじゅ(みぞれ)」。これは清烈です。
自分なら何を食おうか?。

タグ:読書
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