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映画 セデック・バレ(2011台) [日記(2019)]

セデック・バレ 第一部:太陽旗/第二部:虹の橋【通常版 2枚組】[DVD]  台湾の映画は初見です。1930年(昭和5年)日本統治時代、台湾先住民による抗日・蜂起事件「霧社事件」を描いた映画です。「太陽の旗」、「虹の橋」の2部構成、4時間を超える大作です。
 台湾は、明治28年日清戦争で割譲されてから終戦までの50年間日本の統治地でした。異民族による支配ですから多くの抵抗運動もあり、そのなかで原住民による日本人惨殺という特異な事件と思われます。

 事件は、台湾原住民セデック族の頭目モーナ・ルダオが6部落の300余人が、駐在所を襲い銃器を奪って霧社の運動会に乱入、日本人130余人を惨殺したというものです。反乱は、日本軍によって2日で鎮圧され、セデック族は山に逃げてゲリラ戦を展開、1ヶ月で鎮静します。
セディック2.jpg セディック3.jpg
 映画は、モーナ・ルダオを中心に、狩り、原住民同士の抗争、首切りの風習など原住民セデック族の誇りが描かれます。
 セディックの村人が、日本人の警官を婚礼の宴席に誘い、警官がこれを拒否して揉み合いになったことから事件が起こります。日頃の抑圧が堰を切ったように噴出し、日本人排斥運動、それも武力による排斥が原住民の間に起こり、6部属300人が襲撃を計画するに至ります。
 原住民と日本人の関係が険悪だったかというとそうでもなく、モーナ・ルダオの妹は日本人に稼し、セデック族の若者ふたり(ひとりは日本の師範学校卒)は霧社の警察官となり、原住民の子供は学校で教育を受けています。日本人が支配者として上から目線で見ていたでしょうが、搾取していた事実があったのかどうか。映画では安い賃金で使役される程度です。神聖な狩場に他部族を入れるな、というセリフが何度も出てきますから、日本帝国主義の台湾近代化が彼らの狩場を荒らしていたのかもしれませんが、アヘンを武器に中国に進出したイギリス帝国主義、先住民から土地を奪い彼らを居留地に追いやり、アフリカから黒人奴隷をつれて来て使役した北米の白人ほどの悪辣さはありません。日本人の驕りが原住民の誇りを傷つけていた、その反動がささいな事件をきっかけに噴出したというのが映画の解釈だと思われます。
 日本軍相手に戦うことの無謀を主張して蜂起に加わらなかった部族もあり、蜂起しても待っているのは死だとモーナ・ルダオに言わせていますから敗北は覚悟のうえ。蜂起はセデック族の誇りの表現だということです。

 セデック族の女性の歌をバックに描かれる日本人襲撃シーンは悲惨です。殺された日本人は、彼らの風習によって首を落とされます。日本軍はわずか二日で霧社を制圧し、原住民は山岳地帯に籠ってゲリラ戦を戦い自滅し、セデック族の兵士の妻は子供を殺し自決します。男は身勝手だという古謡をバックに次々と自決するシーンは胸を打ちます。多大の犠牲を払って護らねばならなかった彼らの誇りとは何なのか。タイトルの「セデック・バレ」とは現地語で「真の人」、「霧社事件」は人間の尊厳を賭けた戦いだったということでしょう。ラストで日本軍の司令官に、彼らには日本人が忘れつつある武士道があると言わせています。

 南京事件を描いた『南京!南京!』、この『セデック・バレ』と最近観た中国・映画が、自国に阿らず冷静に人間を見つめる視点に立って描かれていることに感心しました。アクション映画としてもお薦めです。

監督:ウェイ・ダーシェン
出演:リン・チンタイ マー・ジーシアン 安藤政信 ビビアン・スー

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ユッシ・エーズラ・オールスン 特捜部Q-吊るされた少女- [日記(2019)]

特捜部Q―吊された少女― 上 (ハヤカワ・ミステリ文庫) 特捜部Q―吊された少女― 下 (ハヤカワ・ミステリ文庫)  飽きもせず『特捜部Qシリーズ』、6冊目。

 1997年、デンマーク・ボーンホムル島の秋季セミナー(寄宿制市民大学)に参加していた19歳の女性が轢き逃げされ死亡します。撥ね飛ばされて木の枝に逆さま吊るされた状態で発見されます。2014年、この事件を捜査していた警官ハーバーザートは特捜部Qに再捜査を依頼し、カールが断ったため「特捜部Qが最後の希望だった」というメールを残し自殺、それも自分の退職セレモニーの最中に拳銃自殺をとげるという劇的なもの。
 ローセは、捜査の行き詰まりか犯人を突き止めたが手が出せない状況で、ハーバーザートは派手な自殺を演出してカール達を呼んだと解釈し、いいかげんに済ませたいカールをよそに事件に踏み込みます。カールとアサドは、 ローセに引きずられるように自殺した警官の勤務地ボーンホムル島を訪れ、特捜部Qは事件に着手することになります。
 劇的な幕開け、舞台が「バルト海の宝石」と言われるボーンホムル島、さらに世界遺産にも登録されたスエーデンのエーランド島と今回の『特捜部Q』はなかなか豪華。

 第一発見の警官のハーバーザートは、自分の担当でもなく解決の見込みもないこの事件をひとりで捜査します。執着の度が過ぎ妻は息子を連れて去り、彼に協力する同僚はなく、ハーバーザートの人生は交通事故と少女の死によって破滅の道をたどった事実が明らかになります。少女を轢き殺したのは誰か、ハーバーザートは何故17年もの間家庭を犠牲にしてまでひとりで捜査を続けたのか、この二つが『吊された女』の主題です。

 轢き逃げ事件の捜査とともに、スピリチュアルなコミィニティ(新興宗教)の話が同時進行します。カリスマ性を備えた教主がコペンハーゲンやロンドンで信者を集めエーランド島に宗教施設を建てて教団を組織するあたりは、「オウム心理教」を連想します。信者が白い服をまとい、教主が女性に目のないところもそっくりで、オウム事件がヒントになっているのかもしれません。

 教団の教義を太陽信仰とし、エーランド島のストーンサークルやボーンホムル島の遺跡、マルタ騎士団の古城、円形教会を小道具に使い、なかなか凝っています。ストーリーの方も、カルト宗教にヒーリング療法、次々と男子学生を誘惑する美少女、女性に目のない教主、教主をめぐる女性信徒の確執、と多彩です。もっとも、事件の核心はこの教主の好色で、笑ってしまいますが。
 殺人方法に工夫が凝らされるのもシリーズの特徴です。今回は、マークとアサドが太陽発電の高圧電流で殺されかけ、アサドが身を挺してマークを護り重傷を負います。これくらい大したことはないとうそぶくアサドには、どうも電気で拷問された経験があるらしい。


 と、『特捜部Q』第6作も依然快調です。

特捜部Qシリーズ
檻の中の女
キジ殺し
Pからのメッセージ
カルテ番号64
知りすぎたマルコ
・吊された少女・・・このページ
・自撮りする女たち ・・・あと1冊!

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ユヴァル・ノア・ハラリ サピエンス全史ー文明の構造と人類の幸福(上) (2016河出書房新社) [日記(2019)]

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福 【上巻】
第1部 認知革命 第1章-唯一生き延びた人類種、第2章-虚構が協力を可能にした 第3章-狩猟採集民の豊かな暮らし 第4章-史上最も危険な種)

第2部 農業革命 第5章-農耕がもたらした繁栄と悲劇 第6章-神話による社会の拡大 第7章-書記体系の発明 第8章-想像上のヒエラルキーと差別

第3部 人類の統一 第9章-統一へ向かう世界 第10章-最強の征服者、貨幣 第11章-グローバル化を進める帝国ビジョン

【下巻】第12章-宗教という超人間的秩序 13章-歴史の必然と謎めいた選択

第4部 科学革命 第14章-無知の発見と近代科学の成立 第15章-科学と帝国の融合 第16章-拡大するパイという種本主義のマジック 第17章-産業の推進力 第18章-国家と市場経済がもたらした世界平和 第19章-文明は人類を幸福にしたのか 第20章-超ホモ・サピエンスの時代へ

 世界で800万部売れたというベストセラーです。人類史を、猿が木から下りた600万年前から現在まで「認知革命」「農業革命」「科学革命」のエポックに分け、人類の未来を見渡そうという歴史書です。

認知革命
 ホモ・サピエンスは、ホモ属のサピエンス(賢い人間)という意味で、ホモ属にはネアンデルタール、エレクトスなどが存在するそうです。原生人類のひとつであるサピエンスは、ネアンデルタール、エレクトス等を駆逐して唯一人類として生き残り今日の繁栄を築きます。
 生き残った要因は、サピエンスが言語を獲得したこと。認知革命とは、人類が言語によって物事を抽象化する能力を獲得したことだと理解します。人間の個々人識別能力は150人が限界で、それを越える集団は例えば村、氏族集団という個人を越えた共同体のイメージで認識されます。いわゆる共同幻想です。共同体をイメージするために象徴が生まれ、象徴が肉付けされて神や神話が生まれます。

 この150人を越える共同体はひとつの象徴のもとに(知らない)共同体の構成員と協力し、肉体的に勝るネアンデルタール人を駆逐し、ホモ属のサピエンスとして生き残ったわけです。この共同体をたとえばヤマト王権と呼んでもいいでしょうが、眼に見えない擬制であり想像上の仮想です

農業革命
 教科書的に言えば、植物の栽培、野性動物の飼育によって人類は定住化し、狩猟採集から離陸します。農耕によって余剰生産物の蓄積が可能となり、貧富の差、支配被支配の関係が生まれ、共同体は国家に発展?します。進化し複雑化した共同体運営のために文字による記録が生まれます。本書では「書記」という単語が使われます。脳の外に生まれた第二の脳、とは書いていませんが、記録しindexを作ることで人類の認知能力は飛躍的に伸びたと考えられます。

 第1部、第2部は歴史の啓蒙書といったところ。新しい視点や鋭い分析があるというわけでも無さそうです。

人類の統一
 第3部「人類の統一」では、グローバリゼーションに話が及びます。世界は様々な文化とイデオロギーで満ち、共同体(国家)どうしが反目しあっているのではないのか?。著者はそれでも「歴史は統一に向かって進み続ける」というのです。どうもこれが本書の主題らしい。

 紀元前1000年紀(1~999年)に普遍的な秩序となる可能性を持ったものが三つ登場し、著者はその信奉者は初めて、一組の法則に支配された単一の集団として全世界と全人類を想像することができたと書きます。貨幣、帝国、宗教の三つです。

 集団の内と外を隔てる壁が、その三つによって崩れ、個別の集団に囚われていた人々は「全世界と全人類を想像することができた」というのがこの章の趣旨です。

 金と銀による貨幣は、その交換価値によって共同体の壁を越えて流通します。現在ではテロ集団もドルで決済し、為替制度で世界はひとつの経済圏になっているというわけです。
 帝国主義は植民地に帝国の文化、言語、貨幣、制度を持ち込み、植民地の帝国化を図ります。第二次世界大戦後多くの植民地は独立しましが、独立したからといって以前の状態に戻ることはありません。旧主国の文化、言語、制度を維持します。そうした意味で、帝国主義は世界のグローバル化に一役買います。これは19世紀の帝国に限りません、ローマ帝国、唐、中南米を支配下におさめたスペインにおいても同じことです。

「全世界と全人類を想像する」とは、例えば中国の歴代帝国は、近隣諸国を野蛮な「夷狄」と見なし、彼らを征服することは、搾取するのではなく帝国の恩恵によって文明化する(してやる)と考えています。夷狄の中華化です。ローマ人も、未開のゲルマン人やガリヤ人を、法と公衆浴場と哲学を教え撫育し文明社会に参加させたということです。帝国には世界と人類が(それは中華とローマに他なりませんが)視野に入っていたと、なるほど。
 残る宗教です。異端を認めない一新教が世界のグローバル化とどう繋がるのか?。以下は「下巻」となります。


 合っているのか?ですが、貧弱な脳にはこのレベルです、続きます。

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ユッシ・エーズラ・オールスン 特捜部Q-知りすぎたマルコ- [日記(2019)]

特捜部Q―知りすぎたマルコ― 上 (ハヤカワ・ミステリ文庫) 特捜部Q―知りすぎたマルコ― 下 (ハヤカワ・ミステリ文庫)  シリーズ5冊目!。ミステリのシリーズを読むのは、トム・ロブ・スミスのソ連国家保安省・捜査官レオを主人公とした『チャイルド44』以来です。このシリーズは、ソ連という特殊な体制下での犯罪捜査が興味の中心でした。『特捜部Q』の面白さは、なんと言ってもコペンハーゲン警察署・警部補カールと、助手のシリア人アサド、女性アシスタントのローセの絶妙なコンビネーションです。デンマークは幸福度世界一位と言われますが、アンデルセンと人魚姫以外日本人にとって馴染み薄い国が垣間見えるあたりもそのひとつです。

特捜部Qの面々
 幕開きはカメルーン。デンマーク外務省の開発援助事業の話で、特捜部Qもいよいよ海外進出かと思ったら、デンマークに戻って、イタリア移民の少年マルコと『オリバー・ツィスト』のフェイギンのような人物が登場。やっとカールが現れたと思ったら、殺人捜査課長マークスが引退しカールと犬猿の仲だったラース・ビャアンが後を継ぎ、特捜部Qには後に三人目の助手(ビャアンのスパイ)となるゴードンが現れローセを口説く始末。アサドは、ビィアンはアラブで仕事で知りあったらしい、おまけにアサドを「Q」に送り込んだのはビィアン。ビィアンはフセイン支配時代に悪名高いイラクの刑務所にいたらしくふたりはここで知り合った?。カールはひとりごちます、”アサド、いったいおもえは何者だ?”。

この男(アサド)には決してひとには明かせない秘密がある、とマルコは直感した。笑いじわ裏に鋭いナイフを隠し持っている。こんな男にはどんなスリも近づけない。この男には近づかないほうがいい。それだけは確かだ。

ストリートチルドレンとして人物眼に鋭いマルコにはアサドがこう映ります。

 ストリートチルドレンとして人物眼に鋭いマルコにはアサドがこう映ります。

リスベトが声をあげて笑った。その笑い声がカールの琴線にそっと触れた。カールはリスベトの口元に目をやった。なんだこの奇妙な気分は?
「あなたはクライメに住んでいるんでしたっけ・・・」
「いや、アレレズだ・・・」
「あら、アレズスにお住まいなの?」
「ええ、あなたも?」
「いえ、わたしはヴェアールセ・・・」
「仕事が終わるのは何時ですか?」アサドが意味ありげな笑みを浮かべている。何を考えているんだよ?

カールはリスベトを食事に誘い、その後送って行ってなるようになります。モーナに未練のあるカールは、元恋人とリスベトの間で揺れに揺れ捜査にも身が入らない有様。とミステリの本筋とは関係のない部分でけっこう楽しませてくれます。ハーディが車椅子に乗れるようになり、イェスパ、モーデン、ラウアンスも健在で、特捜部Qファンにとって滑り出しは快調。

マルコ
 カメルーンへの開発援助事業とそれを統括するデンマーク外務省の局長と参事官、局長が関与する銀行幹部が登場します。事業資金の流れに不正が発見され参事官スタークはカメルーンに出張、帰国した途端失踪。この失踪事件を特捜部Qが捜査を始めミステリはスタートします。

 本編の主人公マルコがスタークの死体を発見し、「知りすぎたマルコ」の口を封じようとする一味、逃げるマルコ、スターク失踪を追う特捜部Q、とストーリーは三つ巴で進行します。
 マルコは15歳のイタリアの不法移民、無国籍のロマ(ジプシー)。マルコは叔父のゾーイが率いる物乞、スリ、かっぱらいの窃盗集団の一員。ディケンズの『オリバー・ツィスト』そのままで、ゾーイはフェギンに当たるというわけです。マルコが窃盗団のひとりをかばったことで睨まれ、ゾーイが逃亡阻止のためマルコの足を砕き障害者にしようとしたため、窃盗団から逃亡します。逃亡途中で、マルコは横領一味の指示でゾーイの殺したスタークの死体を発見し、マルコは追われる身となります。
 マルコはゾーイから逃げるためにスタークの身元を調べ、スターク失踪事件を追うカール等特捜部Qとの接点が生まれるわけです。ストリートギャングだったマルコは、探偵にうってつけ。観察が鋭く、不法侵入、スリはお手のもの。カールのポケットから財布を盗んでメモを入れて戻し、ストーリーを進めます。
 窃盗団から逃げたマルコは、コペンハーゲンのストリートチルドレンとなって生活します。この15歳のマルコの逃亡劇が本書の見せ場のひとつ。マルコとゾーイ、スターク殺害した横領一味、特捜部Qが一本となって事件は大団円を迎えます。EUは経済とともに人の流れも規制が緩いため、こうした背景が成り立つわけでしょうね。

特捜部Qシリーズ
檻の中の女
キジ殺し
Pからのメッセージ
カルテ番号64
・知りすぎたマルコ・・・このページ
・吊された少女
・自撮りする女たち ・・・あと2作読めます!

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B級映画の楽しみ ホラー、オカルト編 [日記(2019)]

ジェーン・ドウの解剖 [DVD] サイレントヒル [DVD] キャビン スペシャル・プライス [DVD] ウィッチ [DVD]







  当blogの古い記事に「B級映画の楽しみ」というのがあり、 1)SF編 2)西部劇編 3)サスペンス編 4)ファンタジー編 5)邦画編 6)戦争編 7)ラブストーリー編 8)アクション編  9)歴史編 10)ドラマ編、といろいろ書き散らしています。「ホラー編」が無かったので付け加えてみました。ホラーならB級と相場が決まっていますが、A級ホラーは何だ?、ということになります。『シャイニング』『エクソシスト』『オーメン』辺りかなと書けば異論がでそうです。怖がりなのでホラーは苦手、オカルト系サスペンス系であれば何とか見れます。

ジェーン・ドウの解剖(2016米)
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 殺人現場の床下から掘り出された死体はまるで生きているような、しかも美女。死後うっ血も腐敗もなく、死因特定のためメスを入れると血が流れるという不思議な死体。このジェーン・ドウを、葬儀屋で検死官の親子が解剖します。ジェーン・ドウと300年前の北米の魔女狩り(セイラム魔女裁判)との関係が明らかになり、モルグでは怪奇現象が次々と起こり...というホラーです。死体に付けられた鈴が鳴り死体が蘇って近づくシーンでは、正直ビビりました。

サイレントヒル(2006仏加)
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 石炭が地下で燻り雪のように灰の降るゴーストタウン。失踪した娘を探しにサイレントヒルに紛れ込んだ若い母親が魑魅魍魎と出会う恐怖の物語。何よりもこの灰の降る「異界」が秀逸です。ゴーストタウンで怪物と出会うだけでは映画になりませんから、ひとヒネリ。娘を探して母親がたどり着いた先が、女司祭が組織する教団の教会。教会で行われる秘儀から怪物とゴーストタウンの謎が明らかになり、さらにもうひとヒネリ...。
 「おどろおどろしい」とい程ではありませんが、結構怖い。これも「魔女狩り」が下敷きになっています。

ウィッチ(2015米加)
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 17世紀、ニューイングランド?の開拓家族の娘が魔女になる物語です。英国から新大陸に渡った清教徒たちは、力を会わせ教会を建て森を拓き植民地を築きます。『映画では、神と教会を冒涜した罪で植民地という楽園を追放されたウィリアム一家が、飢えと狂気によって崩壊し、そのなかからひとりの魔女が誕生する様が描かれます。
 ゾンビも幽霊も出てきませんから、怖くはありません。圧倒的な自然のなかで、疎外された人々の哀しい末路です。「セイラム魔女裁判」前史のような映画です。

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 5人の学生が田舎のキャビン(別荘?)に出かけ、ゾンビに襲われるというホラー映画です。早い段階で明かされますが、この5人の体験するホラーそのものが「劇中劇」、シナリオがあり舞台が設定されモンスターが準備され、ドラマをコントロールするプロデューサーと何と観客までいます。ラストは、5人の劇中劇と劇(映画)の境界が崩れカタストロフィーに雪崩れ込む...というホラー。ホラーというより、ホラー映画をホラーで皮肉った(茶化した)コメディです。この発想に一票です(笑。

 ホラーは「恐怖」を描く映画ですが、恐怖の映像だけではなくなく、恐怖に至る過程がポイントですね。出るか出るか出るかと恐怖を盛り上げてゆき...出た!という具合、この典型がお馴染みの『エイリアン』。枯れ尾花と幽霊の例では、恐怖は想像力の産物。落語の「四谷怪談」は太鼓と語りだけで恐怖を引き出します。想像力のゆく先が怪物である必要はなく、想像できない何かであってもいいわけで、『ウィッチ』は魔女も悪魔も出てきませんが、少女が魔女になる物語は十分に怖いです。屋敷に住む母子の話『アザーズ』は、ラストの一瞬で今まで見ていた世界が異界に変わるホラーです。「ホラー」というのは奥が深い。

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映画 湯を沸かすほどの熱い愛(2016日) [日記(2019)]

湯を沸かすほどの熱い愛 通常版 [DVD]  双葉(宮沢りえ)の夫は「パチンコに行ってくる」と家を出てそのまま蒸発、家業の銭湯は休業。パート先で倒れ病院に行くと、末期がんで余命三ヶ月。夫の蒸発、末期ガンのうえ一人娘の安澄(杉咲花)はイジメに合うという三重の苦難のなかで、双葉は人生で「し残した事」をするため立ち上がります。

 娘を励ましイジメと正面から対峙させ、探偵に頼んで夫を探します。イジメと向き合うというのはそれほど簡単なことではなさそうですが、宮沢りえの叱咤激励、杉咲花の体当たりの演技は心をうちます。夫・一浩(オダギリジョー)は外出の途中、子供とふたりの生活苦にあえぐ昔の恋人に出会い、ついふらふらと同居に至ったよう。オダギリジョーは、末期ガンの妻、イジメにあっている娘の力の入った演技に比べヘラヘラと軽佻浮薄。この軽佻浮薄がラストと結び付いて後味を爽快なものとしています。

 一浩が元彼女との娘・鮎子を連れて戻り、銭湯が再開され、一息ついた双葉は血の繋がらない娘と向かい合うことになります。ここまで来ると、主題は「家族」なんだということが分かります。双葉が、グータラな夫と思春期の娘、なさぬ子を抱えてどうやって余命三ヶ月を生きるのか?。銭湯が舞台ですから『時間ですよ』?、とんでもない。

 ネタバレです。
1)実は安澄も一浩と先妻の子であることが明かされます。双葉は十数年他人の娘を育て、今また鮎子を娘として育て、さらに双葉自身母親の顔も知らないという身上を抱えています。一浩にとっては、安澄と鮎子は血を分けた娘で四人は家族ですが、双葉にとってこれは家族なのか?...
2)安澄の実の母・君江が登場し、ふたりは手話で会話を始めます。何故手話ができるのかと問う君江に、何時かきっと役に立つ時が来ると双葉に勧められた、と安澄は答えます。
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 余命三ヶ月ですから、双葉は最後には亡くなります。亡くなってからの一騒動が、この映画のタイトル「湯を沸かすほどの熱い愛」。これには参ります。なかなかツボを押さえた映画で、映画賞総なめなのも分かります。
 日本の家族映画といえば、小津安二郎の『東京物語』、山田洋次の『民子三部作』があります。いずれも時代の中で血縁の家族が描かれますが(『東京物語』はそうでもない?)、現代の家族は血縁を越えて人と人の繋がりを描きます。それだけ「絆」が必要な時代になったというこでしょうか。
 宮沢りえの主演女優賞、杉咲花の助演女優賞は別に異存はないのですが、オダギリジョーの軽佻浮薄がこの映画のラストを支えているという意味で、オダギリジョーに一票。

監督:中野量太
出演:宮沢りえ 杉咲花 伊東蒼 松坂桃李 オダギリジョー

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絵日記 大島ツツジ [日記(2019)]

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 右の鉢なんですが、他のツツジと色が違っています。調べると「大島ツツジ」らしい。江戸時代に大流行したとか。挿し木で移植したうちの一株です。
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これも挿し木。アジサイが色づいてきたので梅雨です。

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映画 クルーシブル(1996米) [日記(2019)]

クルーシブル [DVD]  原題、”The Crucible”坩堝(るつぼ)。『ジェーン・ドウの解剖(2016米)』、『サイレントヒル(2006仏加)』は「セイラム魔女裁判」が背景にあるホラーで、裁判で魔女の烙印を押され処刑された女性の怨念が現代によみがえるというものです。「セイラム魔女裁判」とは何?、その魔女裁判を描いた映画があるというの見てみました、アーサー・ミラーの戯曲『坩堝』が原作だそうです。ホラーではありませんが、ある意味ホラーより怖い映画です。

 舞台は1692年、マサチューセッツ州セイラムで200名近い住人が裁判にかけられ、19名が魔女として処刑されます。「魔女狩り」は中世ヨーロッパだと思っていたのですが、17世紀のアメリカで魔女狩りが行われていたのです。アーサー・ミラーは「マッカーシズム」批判として『坩堝』を書いたということですから、魔女狩りは20世紀にもあったわけです。

 10代の少女たちが男性と想いが遂げられるという儀式を行い、この儀式を村の牧師に見つかります。儀式に参加していたふたりの少女が眠りから覚めなくなり、悪魔に憑りつかれたという噂が村中に広まり、悪魔祓いの牧師が呼ばれます。儀式に参加していた少女たちと儀式を悪魔との契約と見なす村人、という構図、悪魔の手先=魔女と清教徒という構図が出来上がります。この構図と少女のひとりアビゲイル・ウィリアムズ(ウィノナ・ライダー)とジョン・プロクター(ダニエル・デイ=ルイス)の関係が交わります。ふたりとも「セイラム魔女裁判」に登場する実在人物。映画は(すなわちアーサー・ミラーは)このふたりを不倫関係にすることで、集団の狂気と個人の尊厳を描こうとします。

 異端審問が開かれ、少女たちは自白を強要されます。悪魔との契約を自白しなければ魔女として処刑、自白し悔い改めれば許されるというもの。植民地はピューリタニズムによって成り立っていいます。イエス以外の神を崇める人間の出現は共同体の崩壊に繋がり厳しい制裁が待っています。異端者の処刑は共同体を守る自衛策です。
 アビゲイルをリーダーとする少女たちは悪魔との契約を認め、次々と村人を魔女として告発します。共同体を浄化するアビゲイルは次第に”聖女”となり、

 私は神の指

 彼女たちが「指さした」人は魔女の疑いを受け法廷に立たされ、村人たち間でも告発が始まります。植民地で物乞いをする弱者がまず犠牲となり、牡山羊を追っ払った女性が告発され、焚火が燃え上がったことで近くにいた老人が告発されます。告発が正義となり、告発された人間は免罪を得るため他人を告発し、負の連鎖で200人もの人間が異端審問にかけられ悪魔との契約を否定した19人が処刑されます。契約を告白して悔い改めれば許されるわけです。つまり悪魔の存在を認めないことは、神の存在を否定するとみなされたわけです。悪魔が存在するから神は存在する!という逆説。ジョン・プロクターも告発され、悪魔の存在を否定したために処刑されます。

クルーシブル1.jpg クルシーブル2.jpg
                    神の指

 映画はこのふたりで成り立っています。
アビゲイル:ジョン・プロクターとの不倫関係を復活させるために悪魔崇拝儀式を行い、告発されると悪魔との契約を認め他人を告発することで生き残る
ジョン・プロクター:アビゲイルとの姦淫の罪(姦通=十戒のひとつ)を告白するが悪魔との契約は認めなかったことで処刑
 人間の二相です。神は悪魔に支えられ神は悪魔を生み出す、どちらが先かは分かりませんが『坩堝』というタイトルは言い得て妙です。

監督:ニコラス・ハイトナー
出演:ダニエル・デイ=ルイス ウィノナ・ライダー ジョアン・アレン

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