SSブログ

山川出版の『朝鮮史』を読んで →いわゆる歴史認識 [日記 (2021)]

朝鮮史 1: 先史-朝鮮王朝 (世界歴史大系) 朝鮮史 2: 近現代 (世界歴史大系)朝鮮総督府.jpg

 山川出版の『朝鮮史1、2』を読んで来たのですが、読後感はスッキリしません。この本は1、2で2000ページに及ぶ通史で、出版元も山川だからと読み始めたのですが、スッキリしない理由は所謂「歴史認識」です。
 朝鮮史を学習する最大の壁がこれで、朝鮮史の正統な「通説」というものは無いようです。歴史認識のどちら側に立つかによって歴史の姿は全く異なってきます。伊藤博文を暗殺した安重根は、一方では英雄、もう一方では殺人犯となります。高宗の「露館播遷」も、日帝からの独立を目指した英雄的行為なのか国と国民を捨て我が身の安全を優先させた愚行なのか。本書もこの呪縛からは逃れられていません。

 普通、歴史は本から学ぶわけですが、著者の「歴史認識」「史観」によって、朝鮮近代史の実像は大きく異なります。朝鮮史に興味を持ち読んできた李栄薫、呉善花、 金完燮、古田博司などは、いずれも日韓併合を肯定的に捉える「植民地近代化論」です。これは近代史に限ったことではなく古代史で同じことです。例えば「任那の日本府」や半島南部にある「前方後円墳」についても、学術研究よりもイデオロギーが優先されているようです。民族史観に立てば、半島南部に倭の出先機関があってはならず、前方後円墳の被葬者は百済人でなければならないのです。前方後円墳を真ん中で切って円墳と方墳に改竄したり、埋め戻したりという話もありますw。

「世界史体系」の一冊として「史実を客観的に記述した」建前の本書は中立の立場を取っていますが、日本の侵略については歯切れがわるいです。第2章「植民地支配下の朝鮮」では、明らかに民族史観に立っています。

 「補説3 独立と従属の岐路をめぐって」で、著者はなぜ朝鮮は植民地となったのかを「考察」しています。

一に、朝鮮に植民地化される弱点があったというより、日本が要所要所で武力行使、武力威嚇の手段を用いて、勢力拡張や利権獲得をはかり、その結果が積み重なって植民地化にいたったとみるべきである。

日本は一方的に悪者です。大院君から高宗至る李朝末期の政権運営の失敗を実証しながら 、弱点が無かったというのは矛盾でしょう。イザベラ・バードも言うように、朝鮮に自己改革の能力は無かったと思います。植民地化は日本の安全保障の問題だったと思われます。

紛争を外交の手段によって解決しようとせず、朝鮮を弱小国とみて武力行使、武力威嚇をかさねて支配拡大をはかったこと、独立や領土保全の保証を謳いながら、主権をしだいに奪っていたことが、いかに虚偽に満ちた不当不法なことであったのかを認識し、反省しなければならない。

 高宗の外交的裏切りの前に、日本は実力行使しか無かったはずです。

第二に、朝鮮の官民は、自主の志向を強め、内政改革を進めようとしていた。この動きを近隣の日本や清が尊重して、三国間に良好で協力的な関係を築くことも可能であったろう。・・・朝鮮の自主、改革の動きを尊重し、それを妨害せず、求められば支援をおこなうという選択がありえたのである。

 朝鮮は内政改革の芽をことごとく潰してきたのですから、ヤルヤルと言われても誰も信用しません。

第三に、西洋諸国も植民地支配をおこなっていたのだから、日本だけが植民地支配をしたことを非難されるべきではないという議論についてであるが、西洋諸国ではなく日本が近隣の朝鮮を植民地支配したことの問題性をとらえていない議論である。朝鮮総督府の官僚は、日本の朝鮮統治は西洋諸国によるアジア・アフリカ諸国に対する植民地支配とは違うといって、自己の行動を弁護したことがある。しかし、西洋諸国との違いを示そうとするのであれば、西洋諸国と違うから、同じアジアの国を植民地として支配することを選択しない道があったのである。
 「必然」論ではなく、歴史を選択の積重ねとして動態的にとらえることが大事である。

日本が「選択」しなければロシアが選択し、朝鮮はロシアの植民地になったことでしょう。

 数え上げればキリがありませんが、本書は(特に第二章は)民族史観に立った記述が見受けられます。本書に比べれば、wikipediaの方がよほど中立ですw。
 続きはありませんw。

【朝鮮史1】
【朝鮮史2】

nice!(4)  コメント(0) 
共通テーマ:

nice! 4

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。